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マスコミ不信を乗り越えてジャーナリズムを復権するには?

公共性が失われた社会でジャーナリズムは成立しうるのか、ということを少し前から考え続けている。既存メディアの側では信頼回復への試みがわずかながら始まっているようだが、それを受け入れる土壌がなければ無駄な努力に終わってしまう。
 
マスコミ不信の問題に関しては、市民社会の側からの働きかけがあまり見られないのが気になるところだ。「マスゴミ」批判がSNSで目に付く一方、市民団体などによる組織だった動きやまっとうな議論に乏しい。既存メディアだとか伝統メディアなどと呼ばれる新聞業界やテレビ業界に対して、どうしたら信頼できる情報源に生まれ変わることができるのか、そのためには社会全体でどのような取り組みが必要なのかといったことを、市民の側からも問いかけていくべきではないか。
 
マスコミ不信で不利益を被るのはメディア業界だけではなく、その影響は社会全体に及ぶ。昨今では大手メディアの化けの皮がはがれて、権威と社会的信頼は低下の一途を辿っているが、彼らを「マスゴミ」呼ばわりする人々も不信感を抱きながら日々を生きるのはしんどいはずだ。私のように公共放送すら信じられなくなった人間は、情報のダークサイドに陥らないよう踏みとどまるのが精いっぱいである。
 
マスメディアの報道は判断基準として機能するが、その機能が失われてしまうと普通の人は途方に暮れる。独自の情報源など持ちあわせていないからマスメディアの報道に頼らざるを得ないのに、頼みの綱がこれではどうしようもない。
 
伝統メディアの特権的地位が低下し、新興のネットメディアやインフルエンサーの地位が上昇すると、両者の信頼度の差が縮まっていく。そうなるとどれを頼りにしていいかますますわからなくなる。どの情報源を信頼するかという点について一時的に判断保留することはできるし、それは一見すると賢明な姿勢のようだが、永遠に保留するわけにもいかない。判断を下すことを迫られる局面は必ず訪れるからだ。あるいは、とりあえず疑うことが最も合理的に思える人は何であれ片っ端から疑うかもしれないが、心理的な負担は増す。
 
何もかも疑わなければならない状況には、耐え難いものがある。それは精神的な安定を保てないほどの危機的状況である。信頼できる情報源を求めてさまよった挙句、「マスゴミ」よりもっとたちの悪いカルト的言説に迷い込む人がいても不思議ではない。
 
陰謀論や疑似科学がはやるのはマスコミ不信と無関係ではなく、明らかに相関関係がある。マスメディアが情報と信頼を提供しないせいで、人々はオルタナティブな情報源を求めざるを得なくなり、社会が不安定化している。情報リテラシーやメディアリテラシーの必要性が強調されるようになったが、「疑う」ことを前提として生きるのはストレスを伴う。
 
ニュースをマスに届けていた既存メディアが衰退すれば、人々が共有する情報基盤は失われて情報摂取はタコ壺化していく。マスメディアによる日々のニュースを通じて社会課題を共有するという習慣が失われること、それは社会の紐帯がほどけてバラバラになることを意味する。伝統メディアの衰退は中間共同体の解体と相まって、人々を個としてアトム化していく。アトム化された個人は共同体に付随していたアイデンティティを喪失して不安定化するので、よりどころを求めてカルト的な言説や活動や集団(推し活含む)に向かったり、国家と直接つながったりして喪失を埋め合わせようとする。
 
このような不安定な状況下で多くの人が強いリーダー(という名の独裁者)を求め、自由と引き換えに安心・安全(の幻想)を得ようとするならば、権力監視の「需要」はない。ジャーナリズムは社会にとって必要がなくなる。このときメディアによる報道、ニュースの提供はジャーナリズムを抜きにしてなされることになる。それはもはや報道ではなく、政府広報とか大本営発表などと呼ばれるものであり、現状はそうなりつつある。「報道の自由ランキング」を見なくてもわかることだ。
 
マスコミ不信はマスメディアだけの問題ではないと先に述べたが、報道の自由の喪失もメディアだけの問題ではない。報道機関が自由に報道できないということは、じゅうぶんな情報が市民にもたらされないことを意味する。報道の自由の危機は知る権利の危機でもある。だから私たちはマスメディアに対して、必要な情報を適切に届けるよう強く求めなければならない。
 
その際には、信頼が相互的なものであることを留意する必要がある。いうまでもなく、メディアと市民社会が「お互いに」信頼し合うことが理想的なあり方だ。メディアの側が一方的に信頼を押し付けることは望ましくないが、社会の側にメディアと共に問題を考える余地がなく拒絶的であることも、問題解決を遠ざける。信頼の構築が一方的ではなく相互的になされる以上、そこには対話が必須であるが、いま最も欠けているのがまさに両者間の対話であるように私には思える。
 
マスコミ不信を打破する糸口は、伝統メディアと市民社会の対話にある。対話の必要性に気づくことさえできれば、対話のテーブルにつくまでは早いはずだ。かろうじて残されているジャーナリズムと市民の良心をかき集めて、もう一度社会の紐帯を結びなおすにはどうしたらいいのかを話し合う時が来ている。

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