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誰がジャーナリズムを殺すのか②フジテレビ記者会見から「二次加害」を考える

前回のnoteを書き終えてからもすっきりしない気分が続いていたが、うまく言語化できずにいた。先日、会見に参加していたフリージャーナリストの横田増生氏とYoutubeチャンネル主宰の石田健氏が対談している動画を見て、なぜ記者会見のあの場面に心を動かされたのかがわかってきた。やはり被害者の立場を抜きにして論じるのは片手落ちであり、当事者性について触れないわけにはいかない。今日はそのことを書こうと思う。


当事者性という特権

声を荒げてフジテレビの経営陣に迫った横田氏を、トーンポリシングの文脈で非難する声が多いのは残念なことだ(注1)。横田氏の発言内容を「二次加害」と見なす意見もあるが、的を射ていないように思われる。議論が表層的なものにとどまっているのは、二つの論点のいずれにおいても当事者を置き去りにしているからだ。

深く傷つけられた一人の生身の人間が現実にいるという事実と、その人の存在そのものを、出発点としなければならない。この問題、この事件で一番の当事者であり最優先されるべきは、被害を受けた女性に他ならない。いうまでもなく、記者会見であれ何であれ被害者のためにおこなわれるべきである。それが当事者としての被害者がもつ特権性であり、この特権性を認めることが被害者を尊重することにつながる。

当事者の特権性を起点に考えてみると「フジテレビの記者会見について、被害者は何を望んでいたのか」という問いが生まれる。フジテレビ側が隠蔽しようとする真相を明らかにして責任を問うことが、被害者の一番の望みではないだろうか。そうでなければ記者会見を開く必然性がない。被害者が一切を表沙汰にしたくないと思っている場合はそもそも会見を開けないが、この事案ではおそらくそうではない。

「配慮」の形をとった欺瞞

被害者が誰であるかはすでに周知の事実になっているのに加えて、被害者みずから苦難の中にあって情報発信を始めている。このように被害体験をてこにして立ち上がろうとしている人に対して、過剰な「配慮」をするのは、被害者をステレオタイプな「弱者」に押し込め、力を奪うに等しい行為である(注2)。被害者に「配慮」するあまり、真実に迫り切れないとしたら(あるいは「配慮」を言い訳に真相究明をあきらめて、安全地帯に身を置き続けるなら)、被害者を失望させることはあっても喜ばせはしないだろう。

10時間以上に及ぶ会見をめぐっては、さまざまな視点から議論がされている。報道と人権、性加害の問題、ジェンダー論、世代間ギャップ、新旧メディアの対立など、実に多くの論点が含まれていて、社会の縮図さながらである。ところが、「被害者が何を望んでいるのか」を問うものはほとんど見当たらない。

記者会見の場がどうあるべきか、そこで何がおこなわれるべきかを、被害者の立場から考えてみれば、「ルールを守れ」「静かにしろ」等々の学級会的規律の馬鹿らしさがよくわかる。そして、被害者の個人情報やプライバシーの保護、人権擁護などを隠れ蓑にして保身を図るフジテレビ経営陣の卑しさや、その筋書きを批判するのではなく踏襲して、アテンションエコノミーからの利益を最大化しようとする人々のいじましさも見えてくる。彼らが被害者の立場と望みを真剣に考えているとは思えない。むしろ、被害者を利用し、冒涜し、搾取しているように見える。フジテレビ側の人間より、結果的にフジテレビに加担してしまっている人々の方が、たちが悪いと言えるだろう。

彼らは「客観的」で「冷静」で「中立的な」態度を示すことで、被害者という不都合な真実の生々しさに触れるのを避け、システムや概念を論じることに逃げこんでいる。被害者をカッコに入れて「観察対象」としたうえで、人権やジェンダーや二次加害への配慮を謳いつつ、知的好奇心を満たすための手段にしている。

真相を追いかけて、被害者の人権や尊厳を侵害する境界線ぎりぎりまで迫るリスクは、負いたくないのだろう。「人権」を尊重するポーズをとることは、一石二鳥のイメージ戦略である。人権侵害や二次加害のそしりを受けるのを避けるとともに、「いい人アピール」で世間の支持を集めることができる。このようにして、被害者を守るための「人権」「尊厳」「二次加害」といった概念を被害者から横取りし、自己保身のために使っているという意味では、フジテレビと同罪だ。

二次加害の罪深さはまさにそこにある。第三者が被害者を利用し、心理的に搾取することで、被害者の尊厳は二重に傷つけられる。石田氏は横田氏の発言(中居氏と被害者との間に認識の一致があったかどうかを問うもの)をプライバシーを侵害するという点で二次加害だと批判するが、そういう石田氏の方こそ、被害者に対し二次加害をなしているとは言えないだろうか。

共に憤る人/観察する人

横田氏の怒りは半ば戦略的なものだと思っていたが、そうでもないらしい。フジテレビの首脳陣が言を左右にして回答を避け続けているのを見るうちに、「卑怯だ」という思いが募っていったという。経営陣が前言撤回したことから、横田氏の怒りはピークに達し、本人曰く「大人げない」ふるまいに出たという。私は記者会見をほぼ通しで見ていたが、あの場面で横田氏が腹を立てるのはもっともだと感じた。あのような不正義を目の当たりにして、強い怒りが湧き起こらない方がおかしい。戦略的にもあのタイミングで畳みかけることは有効だったように思うが、横田氏のふるまいはまたたく間に非難の的になった。

強大な権力によって理不尽な目に遭わされながら、必死の抵抗を試みている被害者にとって、生半可な同情や共感は足かせになる。いっぽう、一緒に憤ってくれる人の存在は大きい。被害者の「傍らに」立ち、同じ方向を見て、憤る。「被害者のため」等々の綺麗ごとを口にする余裕もなく、被害者を苦しめる不正と悪に怒って思わず立ちあがる。その「お行儀の悪さ」が突破口となって事態を動かす可能性は、大いにある。

それとは逆に、被害者を対象化する人々は、被害者の傍らに立つことなく、上から見下ろしている。被害者を一人の尊厳ある生身の人間としてではなく、システムを構成する一つの要素、コンテンツを制作するための「素材」として見ている。大マスコミを含めたシステムの枠組みを揺るがしはせず、予定調和の維持に加担する。システムに隠された真相を暴いたり、システムを維持している人々の責任を問うたりすることは、彼らにとって難しいだろう。そんなことをする気は最初からないのかもしれない。

報道にたずさわる人々には、私たちの代わりに真実を明るみに出し、社会に広く伝える責務がある。傍らに立ってともに憤る人と、上から観察して素材扱いする人のどちらが、わたしたちの代理人としてふさわしいだろうか? 被害者の女性にこの問いを訊ねるすべはないし、もし自分が同じ目に遭ったらと仮定することすら軽々しくはできないけれども、私はともに憤ってくれる人を選びたい。


(注1)フジテレビの記者会見が「荒れた」ことについて、一部の記者たちのふるまいを非難する意見が大半を占めているが、それは正確ではなく、一種のトーンポリシングに近い。
話の流れを追っていくと、フジテレビ側は最初からずっと被害者の個人情報やプライバシーの保護を理由に、のらりくらりと質問をかわし続けていた。そんな中、読売新聞の記者による質問に答えてフジテレビ側が踏み込んだ発言をした後で、前言撤回したことから、報道陣から抗議の声があがった。
私は最初から最後まで見ていたので、あの場面で会見が紛糾したのは当然だと感じた。だが、そこだけ切り取って見た人には、「記者たちの態度が悪い」としか思えないのかもしれない。
この場面については、ネットメディア「Arc Times」の望月記者と尾形編集長が、動画で詳しく解説している。https://www.youtube.com/watch?v=j49B76OVlY8

横田氏ご本人が「元文春記者チャンネル」に出演し、フジテレビ会見で声を荒げた理由を語っている。


(注2)被害者を前にすると、人はとかく「寄り添いたがる」ものだが、これについても慎重さを求めたい。安易な「寄り添い」は被害者をエンパワメントするどころか、「弱者」のステレオタイプに被害者を嵌め込んで、力を奪ってしまうこともあるからだ。

(参考)古田徹也著『謝罪論 謝るとは何をすることなのか』柏書房,2023年


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