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“報道しない自由”はメディアにとって最大の罪である


公平・中立を理由に選挙報道を自主規制

近年のマスメディアは、放送法4条の「政治的公平性」や公選法を理由に選挙報道を控えるが、それが言い訳にすぎないのは明らかだ(注1)。2024年の兵庫県知事選挙ではマスメディアの「情報の空白」が問題視され、2017年に出されたBPOの意見書を踏まえてメディア批判がなされた。このBPOの意見書を読めば、選挙報道を控える根拠として放送法4条を持ち出すことに妥当性が無いとわかる(注2)。ではなぜ大手メディアは選挙期間中の報道をしたがらないのか。

確かに安倍政権下でのメディアへの締め付けは厳しかったから、萎縮効果が持続しているのかもしれない。ただ、現時点でマスメディアが恐れているのは政治権力だけではないようだ。一般の人々の反応、とりわけネットでの反応を気にして、腰が引けているふしもある。最近はマスコミ叩きが過熱しているので、現場の人たちからは「どうしてこんなに叩かれるのか。まじめにやっているのに」といった声も聞かれる(肝心なのは「まじめ」の中身なのだが……)。

選挙のように明確に意見が分かれる場面で、どちらかに肩入れした報道だと思われたら、反対陣営の支持者からクレームが殺到するといった「ハレーション」が生じる可能性がある。そのような反発を跳ね返す心構えのない報道機関は、選挙報道には手を付けずにいようと判断するのだろう。そのとき「政治的公平性」は格好の言い訳になる。

彼らがいう政治的中立は、安全地帯に逃げ込んで高みの見物をするための方便だ。このような安易で逃避的な「中立」は単なる現状追認であって、権力に取り込まれる隙を与え、政治的に利用されてしまう。


報道しない自由を発揮する大手メディア

昨年(2024年)は選挙報道以外にも不自然な報道姿勢が顕著に見られ、マスメディアへの不信感を強める一因となった。たとえば、重要な局面やテーマをめぐって大手メディアの報道が極端に減少するとか、重要度がさほど高くないテーマを過剰に大きく取り上げるといったケースが多々見られたのである。

たとえば、共同親権法案などの重要法案については、国会で審議される前から審議中にかけてはほとんど取り上げず、衆院を通過してようやくニュースになる始末だった。また、「大谷ハラスメント」なる新語が生まれたように、大谷選手の動向を連日のように事細かに報じて視聴者・読者をうんざりさせる一方で、政治的、社会的に重要なニュースはろくに報じないというアンバランスさが見られた。端的に言って、ニュースの優先順位に説得力がないのである。

「マスゴミ」呼ばわりは慎むべきだし、報道機関への過剰なバッシングは誰のためにもならないのでやめた方がいいと思うが、世間一般のマスメディアに対する不信感には一理ある。報道すべきことを報道しないメディアの側にも責任があると思われるのだ。メディアが消極的な態度をとっていると、受け手側は「何か隠しているのでは」と勘繰りはじめ、陰謀論めいた方向性すら出てきてしまう。報道しないことの罪は重い。

報道機関が果たすべき社会的な責務は、報道すべきことを報道することに尽きるのであって、報道の自由はその責務を遂行するために与えられている。にもかかわらず大手メディアは、安易なリスク回避的発想から報道への反響を過剰に見積もり、報道しないことを選ぶのである。このような姿勢は「報道しない自由」などと揶揄されたりするが、本来そのような自由は許されていないはずだ。

ネットメディアやSNSへの責任転嫁

私たちには知る権利がある。判断に必要な情報を求めるのは当然のことで、選挙の時などは特にそうだ。投票行動を決するための情報を速やかに提供することは、報道機関の重要な役割である。2024年に実施された選挙でマスメディアはその役割を果たさず、情報の空白を生じさせた。空白を埋めたのがYoutubeやSNSである。マスメディアはそれらが大衆扇動的であり、真偽不確かな情報が氾濫していると批判して、SNS規制を後押しする報道を展開している。だが、彼らのどこにそんな資格があるのか。

マスメディアが選挙期間中に適切な情報発信をすればすむ話なのに、そうすることなく有権者を困らせた。その責任をとることなしにネットメディアやSNSに責任転嫁をするのは、まったく筋が通らない。

それらの新興メディアが支持を集めるのは、発信する情報の真偽や質はともかくとして、人々のニーズに応えようとするからだ。他方で、既存メディアは私たちのニーズに応えているだろうか?わたしたちの知る権利のために報道の自由を発揮しているだろうか?報道すべきことを報道しているだろうか?

多くの人にとってその答えはNOだった。NOを突き付けられたマスメディアは、これからどうするつもりなのだろう。失われた信頼の回復に努めるのか、それとも庇護を求めて権力の側につくか。前者であることを願いたい。


(注1)放送法第4条第1項には放送番組の編集準則として、「政治的に公平であること」が規定されている。https://www.bpo.gr.jp/?page_id=1293

(注2)2017年2月7日に公開されたBPO放送倫理検証委員会決定第25号「2016年の選挙をめぐるテレビ放送についての意見」を参照。
https://www.bpo.gr.jp/wordpress/wp-content/themes/codex/pdf/kensyo/determination/2016/25/dec/0.pdf

BPO倫理委はそれ以前にも選挙に関して委員会決定を出している。
第9号(2010年12月2日)https://www.bpo.gr.jp/?p=2819  
第17号(2014年1月8日) https://www.bpo.gr.jp/?p=7043&meta_key=2013

2024年は世界的な選挙イヤーであり、日本国内でも重要な選挙が相次いだ。選挙報道のあり方について議論が巻き起こったにも関わらず、BPOからは何ら意見表明がなかった。これをBPOの責任放棄、ないしは機能の弱体化と見なすべきなのかもしれない。

<参考>「放送の「政治的公平」と BPO の役割」
https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info:ndljp/pid/13703426


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