子どもたちがネット炎上したときに大人は何をするべきか
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※マスメディアで大々的に報道されている事案のため学校名を隠すのは不自然と考えて固有名詞を出していますが、事態が収まった後は固有名詞は伏せる可能性があります。
およそ10年ぶりに夏の全国高等学校野球選手権大会を見た。
きっかけは、広島県代表の広陵高校で1月に起こった上級生から下級生への暴行事件について、その事件の被害者の保護者がSNSに投稿した事件の顛末を偶然目にしたことだった。
すでに報道などで知っている人も多いと思うので経緯は割愛するが、保護者の投稿をきっかけにXでは義憤に駆られた別の関係者(と思しき人物)が加害者の実名入りの報告書をアップし、さらにそれを見たネット民が加害者と推定される生徒の顔写真を拡散し、その結果Xでは広陵高校が24時間連続でトレンド入り、もはや「祭り」状態になっていた。
広陵高校の試合は、さらに運が悪いことに、昨日8月7日の午後18:45(実際には前の試合が長引いて19:30)開始だった。祭りの真っ只中、しかもゴールデンタイムの放送である。果たして今回名前が挙がっている生徒たちは出てくるのか、皆の関心は一気に集まった。私も関心を寄せた一人だった。
正直なところ試合が始まる前までは「おそらく疑惑の渦中にある選手たちは出てこないのではないか」と思っていた。なぜなら、事実がどうであろうが、この大炎上の最中全国ネットの地上波で動く姿を晒すことは、いわゆる「デジタルタトゥー」となる素材を提供することになり、彼らの将来にとって大きな負の遺産になる可能性が極めて高いからだ。
ところが、広陵高校はネット上で拡散されている生徒たちの大半をベンチ入りさせ、おそらく普段どおりのメンバーで試合に臨んだ。正直、大変驚いた。随分と肝が座っているなとも思ったが、もしかしたらそうではないのかもしれないとも思った。単に、大人たちがインターネットに疎すぎて、これからどんな恐ろしいことが起こるのかを理解していない、つまりネットの影響を軽視している可能性があるのではないかと思った。もしそうであれば、自分たちの意思で出場するかどうかを決められない子どもたちに対して、とんでもないことをしてしまったとも言えるのではないだろうか。
もしかしたら、学校関係者や指導者たちは「これまで全人生を野球に捧げてきた才能ある若者たちが、憧れの甲子園に出場できないのはかわいそうだ」と考えたのかもしれない。しかし彼らのこの先の長い長い人生を考えたら、甲子園に出場できないことよりも、「暴力事件の加害者」というレッテルを貼られて、顔や名前が晒されて、一生ネットのおもちゃにされ続けることの方がよほどかわいそうなのではないだろうか。このことを、周囲の大人たちはわかっていなかった可能性もあるのではないかと思った。
ネット炎上は「守ろうとすること」で火力を増す
そしてもう1つ、火に油を注いだと感じるのは高野連の対応である。
高野連は本件に対して、「過去の報告を受けており、処分はすでに済んでいる」「SNSでの誹謗中傷は法的処分を含め厳正に対処する」「出場はこれまでどおり(認める)」という見解を示したのだ。
この高野連の公式見解が、ネット民の「処罰感情」に火をつけてしまった。それまでの火力が3だったとしたら、ここで一気に10段階までヒートアップしたと言える。
ここまで火力が高まった背景には、広陵高校の校長先生が広島県高野連の副会長だったことも関係があるように思う。事実はどうかまったくわからないが、「権力を使って隠蔽しようとしたのではないか」「周囲が権力者に対して忖度したのではないか」という邪推が瞬く間に広まってしまった。
私のアスリート向けのSNS講習でも「ネットでは現実社会と”強者”と”弱者”が入れ替わる」という話をよくしているのだが、このようなシーンでは社会的には強者とされる人(権力者や著名人)は最も弱い立場になり、完膚なきまでに叩きのめされるのである。
結果的に、今回の事案は学校関係者や高野連の対応が被害者や被害者に共感したネット民の処罰感情に火をつけ、必要以上に加害者を窮地に追いやってしまった。
では、このようなことがあった場合に、大人たちはどのように対処するべきなのか。
まずは、被害者への誠実な対応である。今回のケースでは、監督が被害者に対し「2年生が試合に出られなくなってもいいのか」と、暗に圧力をかけるような発言をしたことが保護者によって明らかにされている。もちろん事実関係はわからないが、事実であれば最悪の対応である。なぜなら、SNSの出現によって誰もが全世界に告発できるこの時代に、このような隠蔽と受け止められる発言は簡単に世に晒されてしまうからだ。今回は録音などはなかったようだが、場合によっては録音されてネットに公開される可能性もある。この時代に隠し通せることなどないと思った方がいい。
極端な話をすれば、今の時代、権力を持っている人は全員「すべての挙動は録音・録画されている」と思っていても差し支えないくらいなのである。
そして次にやるべきは、加害者に対する厳正な処罰である。今回に限らず、事件が大炎上する背景には「一般の人が思うより加害者への処罰が軽すぎる」ことがある。本件に当てはめると、高校野球ではこれまで部員の飲酒・喫煙や、メンバー外選手の不祥事などで出場を辞退することが通例であったにも関わらず、広陵高校はレギュラーメンバーが暴行事件に関わっていたという重大事件であるにも関わらず、軽い処分を下しただけで、何食わぬ顔で甲子園に出場するという点が「処罰が軽すぎる」と民衆にジャッジされたのだ。
「身内が処罰を与えないならば自分たちの手で罰を与えよう」
これが、ネット民が暴走してしまう最大の理由なのである。
これも私のSNS講習で話しているのだが、ネットはことさら悪人が多いから恐ろしい場所になるのではない。むしろ、人並みの正義感を持った普通の人たちが束になって正論を投げつけてくるところに本当の怖さがある。ひとたび火がついたら最後、「過ち」は決して看過されないのである。
これを避けるには、一般大衆から見て「それはさすがにやりすぎでは」と感じるくらいの重い処罰を下すべきなのだ。しかも、「見つかる前に」こちらから公表をする。これしかない。
今回であれば、出場辞退は当然のことながら、加害が認められた生徒を退学処分にしていれば、絶対にここまで騒動は大きくならなかった。なぜなら、一般の人からしても重い処罰なので、それ以上の処罰感情が湧かないからだ。しかし、学校はそれをしなかったし、高野連もそれをよしとした。そこにスポーツ業界特有の、パフォーマンスが高い選手に対する「甘さ」があったのではないかと、穿った見方をしてしまう人もいるのではないかと思う。
「才能無罪」は通用しない
私はこのように、才能ある人、すなわち周囲の人間の利益になる人が悪さをした時に軽い処罰で済むことを「才能無罪」と呼んでいるのだが(どこかの誰かがこう言っていて気に入って使わせてもらっているのだが)、これは確かに平成の終盤までは確実に存在していた。
しかし、令和の時代になってこの「才能無罪」は通用しなくなったと感じている。それは、有名映画監督や芸能人の大御所が次々にセクシャルハラスメントを訴えられ、表舞台から姿を消したことにより証明されている。すべてはSNSにより形成された世論を、マスメディアが打ち消すことができなくなったことに起因しているのだ。
このように世の中がシフトチェンジしたことに気づかず、旧態依然としたやり方で事件に向き合えば、当たり前のように物事は悪い方に転がっていく。残念ながら、今回の加害者とされる面々はプロの道に進むことはかなりハードルが高くなったと言わざるをえない。なぜなら、プロのアスリートというのは、ただ競技が上手いから評価されるわけではなく「夢」や「クリーンなイメージ」を売る商売だからだ。
私がこれまで長年ネットを見てきた経験でいうと、「いじめ」「性加害」「動物虐待」この3つに絡む事件は、忘れ去られることはない。不倫や失言などによる炎上は3年もすれば皆すっかり忘れて「まあ、そんなこともあったよね」程度に収まるのだが、処罰感情が苛烈な事件は本人が表の世界に出てきた瞬間にまた確実にぶり返すのである。それは、30年前のいじめ疑惑で東京五輪の音楽プロデューサーを辞任に追い込まれた小山田圭吾氏の件を見れば、火を見るより明らかだろう。
確かに、いじめはやってはいけないことであるし、暴行は犯罪である。当事者が悪くないとは言わない。だけど、大人たちが彼らの犯罪を犯罪として厳正に処罰していれば、ここまでの一生消えない傷を負うことにはならなかったのではないだろうか。
悪いのは本当に子どもたちだけなのか
そして最後になるが、もう1つ気になっていることがある。
それは、今回の件を見聞きした時に「まさか甲子園常連校の野球部でそんなことが起こるなんて」と驚いた人がどれだけいたのか、ということである。
正直私はこの話を聞いたときにまったく驚きはしなかった。というのも、過去に強豪校出身のプロ野球選手たちが、上級生との関係性やその場で受けたパワハラや鉄拳制裁をテレビのバラエティ番組やYouTubeのチャンネルなどで赤裸々に語っているのを見たことがあるからだ。
もちろん野球だけではなくサッカーでもバスケでも陸上でもあるとは思うのだが、これまで公の場で見聞きした中では圧倒的に野球部の話が多かった。むしろ強豪校ではこのような暴力沙汰があるのが通例なのではないかと思うほどだ。実際、ネット上では野球部出身者からの「そもそも被害者がカップラーメンを食べるなというルールを破ったのが悪い」という意見も散見され、「いやいや、だからといって先生ではなく上級生が殴るのはどう考えても変やろ」と、そちらの意見のほうに驚いてしまった。
つまり今回の上級生による下級生への暴行は、突然変異のように現れた個別の事象ではなく、強豪野球部の中で伝統的に受け継がれるカルチャーなのではないかということである。それが当たり前の環境にずっといたら、多くの人はそのカルチャーに染まってしまうものである。ましてやそれが競技が上手い下手の序列、学年が上下の序列の中で行われることであれば、序列が下の人間には逆らう術もない。
そういった理由で、私は今回の件は当事者である子どもたちも悪いことは悪いが、それ以上にこのカルチャーを長年放置していた大人たちの責任が大きいのではないかと感じている。そのうえで、彼らの顔と名前がネットにデジタルタトゥーとして残り、今後の人生において長きにわたり責めを受け、将来更生の道すらも断たれてしまうかもしれないことは、いささかオーバーキルなのではないかと感じている。なにせ、いじめ加害は30年経っても許されないのである。
おそらく学校も指導者も、子どもたちの今後も考えて、退学などの厳しい処分を科さなかったのではないかと思う。しかし、それが完全に裏目に出てしまったのではないだろうか。そして今回だけでなく、今後も同じようなことが起こったときに同じように対処すれば、また同じことが起こると思う。
私たち大人も「ネットに疎い」では済まされない時代が来ている。それを改めて感じた出来事だった。
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