06:卒業旅行だから
室内用の服に着替え、昼同様にバイキング形式の夕飯を済ませる。
その後ロビーで雑談をしていると、飾られている時計を見上げて宗佐が立ち上がった。
「悪い、ちょっと用があるんだ」
その言葉に、一緒に話していた者達もまた「部屋に戻るか」だの「ホテルの中の店を見に行こう」だのと立ち上がる。対して俺はもう少しのんびりしていようと考え、ソファーに座ったまま彼らを見送った。
チラと横目で隣を見るのは、宗佐がまだ残っているからだ。言い出したくせに歩きだしはせず、誤魔化すように携帯電話をいじっている。
きっと先に行った奴らと同行したくないのだろう。
それを理解しているからこそ、俺は携帯電話を弄り宗佐の異変に気付かないふりをした。「行かないのか?」とは言わないでおく。
「……健吾、お前どうする?」
「もうちょっとくつろいでる。夕食後にのんびり出来るなんて滅多にないからな」
座るソファーは柔らかく、ゆったりと流れる音楽と聞こえてくる多少のざわつきが心地よい。
ここには駆け回る双子の猿も居なければ、泣き喚く赤ん坊も居ないのだ。せっかくだからもう少し堪能したいと話せば宗佐が苦笑を浮かべた。
「それじゃ、俺行くから。先に部屋に戻っててもいいからな」
「ん、分かった」
携帯電話を弄ったまま返せば、宗佐が足早にロビーを……俺達の部屋とは違う方向へと歩いていった。
どことなく足早で、その背中は緊張しているようにも見える。
何の用事があるのかとか、どこに行くのかとか、ましてや俺も一緒に行くなんて言うのは野暮だ。
だって俺は、宗佐が席を立つ少し前に、委員長が一人で同じ方向に歩いていくのを見ているのだから。
宗佐と委員長が去っていった先を、そしてそこで行われているであろうやりとりを思えば、胸が詰まるような心苦しさを覚える。
「そうだよな、卒業旅行だもんなぁ……」
「なに一人で黄昏れてるんだ」
独り言のつもりが返事が聞こえ、見れば木戸をはじめとする顔見知りの生徒が数人。彼等も食事後なのだろうか、木戸だけが向かいのソファに座り、他の生徒達は部屋に戻ると告げてロビーから去っていく。
同じホテル内なのだからさして惜しむことなくそれを見届け、気付けばロビーには俺と木戸が二人。
「芝浦の妹もここに泊まってるんだってな」
「あぁ、宗佐から聞いたのか?」
「いや、うちのクラスの女子。人伝に聞いたみたいで、敷島の妹が泊まってるって言ってたぞ」
「俺の妹じゃありません」
「ややこしい呼び方するお前が悪い」
はっきりと言われ、思わず唸ってしまう。……だが正論である。
かといって今更「珊瑚」などと呼べるわけがない。こんな風に意識してしまったら猶更で、誤魔化すようにそっぽを向けば木戸がクツクツと笑いだした。
「……なんだよ」
「いや別に。芝浦の妹も団体旅行なんだろ。夕飯は俺達みたいにどっかでバイキングか?」
「俺が知るわけないだろ」
「本当は?」
「上の階の広間で和食。茶碗蒸しが美味しいって喜んでたら周りから三つも貰って苦しいらしい」
素直に自白すれば木戸の笑みが強まる。あぁ、なんて腹立たしい……。
だが今なにを言っても勝てるわけがない。
現に俺はいまだ珊瑚とやりとりをしており、互いの夕飯についての話もしたのだ。
否定したところで逆に墓穴を掘る展開になるのは分かりきっている。だからこそここはさっさと話題を変えてしまうべきだと考え、若干白々しいが明日の予定を尋ねた。
明日は今日のような自由行動ではなく、クラス単位で移動する。
「俺のクラスは水族館だ。敷島のとこもそうだろ」
奇遇だな、と木戸が笑う……が、次いで視線をそらすと「女子が決めた」と呟いた。
思わず俺も顔をそむけるのは、移動先の決定にあたり、いかに男の発言力が皆無かを思い知らされたからだ。
行き先を決める話し合いの際、女子全員が水族館を希望した。
そこには勿論クラスどころか学校中のアイドルである月見も含まれている。彼女が瞳を輝かせて水族館を希望するのだから、これを無下に出来る男はそう居ないだろう。
更に言えば、この旅行――どころではなくクラスのあれこれ全て――を一手に担ってきた委員長までも水族館を望んでおり、ここまでくると反論など一つも上がらなかった。
結果、満場一致で水族館に決まったわけだ。
どうやら木戸のクラスも似たり寄ったりな状況だったらしく、「こういう時の男は無力だ」と冗談めかして大袈裟に嘆く。
次いで、何を思ったのかその表情を楽しげに歪ませた。弧を描く口元に嫌な予感を覚えれば、当然言われるのは……。
「で、芝浦の妹は明日はどこに行くんだ?」
これである。
「……俺が知るわけないだろ」
「本当は?」
「午前中に歌舞伎を見て、午後は未定だそうです」
呻きながら答える俺に対して、木戸の楽しそうな表情といったらない。してやったりとご満悦だ。
だが次の瞬間その楽しげで意地の悪い笑みをふっと解き、穏やかなものに変えると「会えるといいな」と告げてきた。その声色には冷やかしの色も煽りの色もなく、ただ胸の内から出たかのような穏やかなものに聞こえる。
だからこそ、それに対しては俺も誤魔化すことなく、ただ素直に頷いて返した。
どれだけ冷やかされようとも、会えるのなら会いたいと思っているのは事実。
同じホテルに泊まっていると知ってから、ふとした瞬間、無意識に珊瑚の姿を探しているのだ。
それに、と考え、正面に座る木戸を見た。
さすがに桐生先輩までこのホテルに……なんて奇跡的な偶然は起こらず、彼女は今日も明日もここではない別の場所で普段通りに過ごしている。
木戸には『会えるかもしれない』という可能性も無いのだ。
それは本人も自覚しているのだろう、俺に対して向けられる視線には、どことなく羨むような色合いさえある。
「でも、桐生先輩に何か買っていくんだろ」
気遣うように尋ねれば、それを聞いた木戸が一瞬間を空け……、どういうわけかヘラと間の抜けたにやけ顔を浮かべた。
先ほどまでのしんみりとした表情から打って変わった変化で、とても気持ちが悪い。触れちゃいけない話題だったかと後悔が湧く。
すぐさま話題を変えよう。そう考えるも、俺が話し出すよりも先に木戸が口を開いた。それもグイと身を寄せて。
「聞いてくれよ。俺も旅行に行くことは桐生先輩に伝えたんだ。まぁ相変わらず返信は素っ気ないんだけど、それでもどこに行くのかって聞いてくれてさ。二日目は水族館って返したら、あのひとなんて答えたと思う?」
「桐生先輩だろ……。まぁ他の男に対してなら『楽しんできて』くらい言いそうだけど、お前相手だと返事しない可能性すらあるな」
「だと思うだろ。ところが、桐生先輩からの返事は即答で『水族館なんて高校生のくせに生意気』だったんだ」
「水族館をなんだと思ってるんだ」
むしろ高校生らしい観光地ではないか。
桐生先輩の割には不思議な反応を示す、と考えていると、木戸が更に笑みを強めた。
「その返事を見て、もしかして水族館が羨ましいんじゃないかって考えてさ」
「羨ましい?」
「そう。で、思いだしたのが前に遊園地に行った時のことだ。あの時、俺と桐生先輩だけ別行動を取っただろ」
そう話す木戸に促され、俺は当時の――去年の秋のことを思いだした。