喜びの絶頂にいつづけたたった一人の神様が何ゆえに絶対孤独に陥り真の愛に覚醒したのか! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

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先回記事末部より

 

その為には、たった一人で他のなにものをも意識することなく存在していた神様の、「見えない宇宙の中」とはどのような世界であるかを理解しなければならないのです。

 

その「愛の種」が生じた、「見えない宇宙の中」とはどのような世界であり、環境圏であるのかを解説していきましょう。長文になるので、この記事では先回記事の一部を再度掲載し、図解をしますがその解説は次に回します。

 

  *****

 

創造前の神様においては、自己中心的な神様が最初の段階にあり、他のなにものをも意識せずに存在していた段階から、対象を意識し、対象の為に生きたい神様に変わっていかれたというのが正しい受け止め方なのではないでしょうか。

 

為に生きたい神様に変わっていかれる過程に、神様にとって絶対的虚無となった状態があったことが、「見えない宇宙の中」で精子と卵子が一つになったというみ言が意味するところから窺えます。

 

  **2004年4月19日第四十五回「真の父母の日」のみ言**

 

 真の愛を中心として、骨と肉が、骨と皮になり、骨があれば必ず皮ができます。すべてを見てみれば、骨には膜があり、そこに軟骨のようなものが連結され、すべてのものを連結できるのです。

 

 ですから、骨のような神様の無形の実体が心的基準であり、それと皮のようなものを包括し、真の愛を中心として初めから一つになるのです。さらに、腹中の胎児に例えれば、胎児は父親と母親の精子と卵子が一つになって、父親の精子が骨になり、母親の卵子が皮になって、母親の子宮に入っていって大きくなるのです。

 

 それと同じように、神様も、無形の存在を中心として、神様の見えない宇宙の中で、腹中の胎児のように成長してきたのです。何を中心として成長してきたのでしょうか? それは真の愛です。

 

  **引用終了**

 

神様は神様の見えない宇宙の中で、腹中の胎児のように生まれて成長したというのです。生命を授けられた時の胎児の思考力はどの程度でしょうか?胎内期間は10ヶ月とか39週6日などと言われますが、その期間に肉身の器官の基礎は完成します。脳も胎内の記憶を持つと言われますが、真のお父様は生命が授けられる前の、精子と卵子の段階から語っています。

 

精子と卵子の段階からという事は、神様の見えない宇宙は存在していても、神様自身の意識自体は完全な無になっているという事です。真のお父様が精子と卵子からの神様の誕生を語っているという事は、このような意味を持っているのです。

 

ですから、神様の見えない宇宙の中において、神様の新たな生命が与えられる為の、自らの存在さえ無くなってしまう「絶対的虚無」の段階があるということです。その神様の見えない宇宙の中で、絶対虚無に落ちた境地において、神様は精子に例えられた「愛の種」と、卵子に例えられた「生命の種」を得たという事になるのです。

 

この「愛の種」「生命の種」が何を意味するものであるのかを知るためには、何ものをも意識せずに存在していた神様の様相から知らなければなりません。そのことが分からなければ、何ゆえに全知全能の絶対者である神様が、絶対的虚無の状態に陥ったのかが理解できないからです。

 

「神様の見えない宇宙」とは、たった一人で性相と形状が完全一体となっていた神様の、無意識世界から発想され構想される意識世界において、顕現していた思考展開による存在環境圏です。

 

この神様の存在環境圏を理解するために参考になる、神様の本性相に関する解説が「統一思想」に記載されています。

 

統一思想要網 第1章 原相論 一 神性 (1)性相

 次は内的形状について説明する。『原理講論』には「内性[性相]は目に見ることはできないが、必ずある種のかたちを持っている」と書かれているが、それは性相の中にすでに形の要素、すなわち内的形状が含まれていることを意味している。また「原理講論』には「形状は第二の性相である」と書かれているが、これは心の中にある形(内的形状)が外的な形(本形状)に現れることを意味しているのである。
 われわれが花や鳥や山を見た後に、それらの映像が心の中に残るが、それがすなわち観念とか概念である。ところで人間の場合は、あるものを見た後に初めて、そのものの観念や概念が心に残る。しかし神においては、初めから、すなわち宇宙を造る前から観念や概念などをもっておられたのである。創世記第一章には、神が「光あれ」といわれると光が現れ、「地が現れよ」といわれると地が現れたと書かれている。神がいわれると、「そのようになった」のである。神の考えたとおりになったという意味である。これは神が宇宙を創造なさるとき、すでに観念や概念などをもっておられ、それらにしたがって宇宙を造られたことを意味しているのである。

観念や概念は心の中の映像のことである。観念は個々の被造物に対する具体的な表象をいい、概念は多くの事物の中から抽象した共通な要素を表象化したものをいう。

 

「観念や概念は心の中の映像のことである。」と書かれていますが、これこそが神様の存在環境圏の事です。人間は存在する環境圏が脳の中で映し出されて外界の環境圏を自覚しますが、神様は自ら自身で描いた映像がそのまま存在環境圏になるのです。

 

三次元世界を構想する以前は、時空間の無い高次元の境地で、心で描いた映像を環境圏にしていましたから、三次元世界とはまったく異次元の映像を作り出していたことでしょう。その意識世界に描き出した映像という存在環境圏は、構想を描き出して喜びを得て次の映像が描き出される段階になると、無意識世界に喜びの為の概念や観念となって蓄積されていきます。

 

その無意識世界に蓄積され築き上げられていく喜びの概念と観念が、より感動的感激的なものになるほど、三次元世界を構想するにおいて、意識上に構想される世界が感動で満たされた世界になっていくのは自明のことでしょう。

 

ですからたった一人で存在していた神様が創りだす存在環境圏(映像)が、感動的感激的なものである為には、永遠に等しいほどの神様の存在期間があったに違いありません。期間と言っても時空間の時の流れではなく、知情意を展開する為の流動性変動性から生じる期間です。

 

このように神様が一人で存在していた状況が理解できていくと、その存在様相も思い計ることができるようになります。というよりも、真のお父様がみ言で表現しているのです。

 

「真の愛を中心として、骨と肉が、骨と皮になり、骨があれば必ず皮ができます。すべてを見てみれば、骨には膜があり、そこに軟骨のようなものが連結され、すべてのものを連結できるのです。ですから、骨のような神様の無形の実体が心的基準であり、それと皮のようなものを包括し、真の愛を中心として初めから一つになるのです。さらに、腹中の胎児に例えれば、胎児は父親と母親の精子と卵子が一つになって、父親の精子が骨になり、母親の卵子が皮になって、母親の子宮に入っていって大きくなるのです。それと同じように、神様も、無形の存在を中心として、神様の見えない宇宙の中で、腹中の胎児のように成長してきたのです。何を中心として成長してきたのでしょうか? それは真の愛です。」

 

このみ言は形状が対象であることに覚醒した段階を経た、神様自身による感動のみ言に他なりません。

 

無意識世界と意識世界で展開される「見えない宇宙の中」で、存在の喜びを得ていた神様です。知情意の思考展開の機能は、形状のエネルギーの持つ作用の力によって、法則性に則り、意識世界と無意識世界を存在環境として情的喜びを展開させていたのです。

 

知情意の心の機能は、作用と完全一体となって思考展開されていました。知情意の機能は、エネルギーから起こる作用があって展開し、作用がなければ機能も「無」の状態です。つまり、機能と作用は分けることができない状態で思考展開は為され、その思考展開そのものが神様自身の喜びを展開させていたのです。

 

 

神様が喜びを得る為の構想は、全知全能の権能により、そのごとくに高次元の映像となり、存在環境圏を作り出していました。その「見えない宇宙」こそが、すでに三次元の表現で言えば360度から包み込んでくる存在環境圏なのです。たった一人であったとしても、そこで創り上げられる存在環境圏は永遠普遍の神様をも感動せざるを得ない、喜びの境地に存在していたのです。

 

そしてたった一人で存在していた段階での喜びが素晴らしいものであるほどに、無意識世界に蓄積した喜びを得る為に概念観念が超越的なものとなり、真の愛に覚醒して以降の創造世界を構想する礎となっていくのです。

 

さてそれでは、喜びの境地の絶頂の連続にいた神様が、どのような経緯を経て絶対的虚無に陥り、そこで真の愛に覚醒するようになったかの解説に入っていきましょう。

 

 

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