「null²」とは何なのか? ——万博での”圧倒的な体験”と”わからなさ”
大阪・関西万博の中でもっとも印象に残ったのは、落合陽一さんがプロデュースするシグネチャーパビリオン「null²」だ。建築のインパクト、視覚的な驚き、最新技術との融合 ——視覚と技術の両面で、明快な面白さがあった。
一方、そこで体験した内容・テーマは何だったのかと考えると、言葉にならない“わからなさ”が残り、帰宅してからもずっとその意味を考え続けてしまった。
体験は明快だったのに、その内容は完全には”わからない” ーー「null²」とは何だったのだろう?
(※このnoteは、「null²」での体験のネタバレを含みます。ご了承ください。)
(↑「null²」の各モードの様子をショート動画でまとめました。)
▍説明不要の圧倒的な体験 ——視覚的・技術的なインパクト
多くのパビリオンの中でも「null²」の体験が突出して感じられた理由のひとつは、外観と内容の一体感、すべてが「ひとつの作品」だったことだ。
さらに、2020年の時点で5年後を予想し、2025年にぎりぎり実現できて面白く感じられる技術を想像して構想したという、パビリオンを通しての体験にも圧倒された。
●建築
青空に溶け込み、建築の周囲の人と風景を移し込むミラー状の外観。そこには滑らかに変形する膜状のミラーが仕掛けられ、まるで風景そのものを飲み込んでしまうかのようだ。
「有史以来、行われてこなかった鏡の再発明」というその鏡は、2024年に発表された落合陽一さんの作品《ヌル庵》の中にも登場したもので、それは、《Silver Floats》や映像作品の中での風景の変換の仕方にも繋がって見えた。
建物は低音で唸りながら、時折、ブルブルと震えまるで生きもののよう。また、夜には周囲の風景を映して異なる表情を見せる。
●インスタレーションモード
展示には、展示室に入って約40minのストーリーを体験する「ダイアログモード」と、無人の展示室を外から見る約10minの「インスタレーションモード」という2つのモードがある。
まずは「インスタレーションモード」では、ミラーとハーフミラー、ハーフミラーを介したLEDディスプレイ、そして、展示室外の壁面へのプロジェクションが複雑に映り込み、現実と映像の間の視覚体験をつくりだしている。
これらは、《Reflector∞:Resonance of Electrical Echoes》などの作品ともつながるようで、ハーフミラーの向こうにどこまでも続くような映像と現実の世界の風景が融け合う不思議な感覚だ。
●ダイアログモード
メインとなる「ダイアログモード」は、その展示室の中で作品を体験する。
まず、足下にはインタラクティブに変化する「人工生命」。それは、未来の生き物でありながら、原始的な生命も想起させる。
大まかなストーリーとしては、1万年前からの人間の歴史を超スピードで振り返り、その先の未来を見つめ、これからの私たちの生き方を問いかけるようなものだ。
パビリオンに入る前に、「Mirrored Body」というアプリを使い、スマホで全身をスキャンし、声で質問に答えていく。ストーリーの中では、そこで生成された何人かの“分身”が登場し、様々な質問に答えていった…
わたし自身はそれに選ばれなかったけれど、もし選ばれたら…と想像すると、わたしにとっては恐ろしい体験にも感じられた。自分の分身が答える言葉は、本当に私が思っていることなのか?それとも、意識の奥で封印していた何かなのか…?
その前には「"きごう"を手放す」という言葉が登場するが、わたしは、自分が自分自身から切り離されてしまうような覚悟はあるんだろうか?と考えてしまう体験だった。
●「null²」を読み解くためのエピローグ
パビリオンを出ると、屋外の茶室のような小さな展示空間に、落合陽一さんの《コロイドディスプレイ》や《レビトロープ》、《Silver Floats》といった作品群が動いている状態で展示されている。上部で動いているアーム型のロボットは、変形する鏡を動かしているロボットと同じもののようだ。
さらに、別の展示ケースの中には、鏡やレンズ、ブラウン管やディスプレイ、音声の再生装置など、古代から現代まで、人の知覚や認識に影響を与えるようなものが展示されている。これらは、null²を観るためのヒントにもなる展示だ。
▍「null²」に登場する 印象的な言葉の意味を考える
落合陽一さんは、この展示は「般若心経」の考えをベースにしたものだといい、それは、過去の「ヌル即是色色即是ヌル」や「騒即是寂∽寂即是騒」といった展覧会ともつながっていそうだ。
●”ヌル”は、なにもないけれど なにかが生まれるところ
「ヌル即是色色即是ヌル」は、般若心経のフレーズ「色即是空 空即是色」をベースにしたもの。そこから、”ヌル(null)”は、”空(くう)”と同様な言葉だと示唆される。
般若心経のなかでは、「色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是」と、世の中の形があるものや、感情や現象も、実体があるようで実は空(くう)ーー固定された本質を持たない、という思想を説いている。
《null²》では、ミラーや映像が何層もの虚像を生み出し、目に見えるものの実体を曖昧にしていく。それは、それは、“見えている”“聞こえている”“認識している”という実感すら、揺らぎをもつものだと感じさせてくる。「知覚できるけれどはっきりと捉えられない」状態は、「空」の体験に近いものなのかもしれない。
●”かしこい”のは きみの”ちょっとしたおまけ”
ストーリーのなかでは、人間は「むかし賢かった生き物」で、これからは”賢さ”は”ちょっとしたおまけ”に過ぎないという。
「般若心経」からは離れるが、私の頭の中に浮かんだのは、将棋ソフト「Ponanza」の開発者・山本一成さん(現Turing代表)の著書「人工知能はどのようにして 「名人」を超えたのか?」(2017年)の中に登場した図で、今後、人工知能が学習し続け賢くなれば、「人工知能」の賢さに対して、「アインシュタイン(天才)」と「普通の人」の賢さの違いは、「昆虫」よりもちょっと上くらいの誤差レベルになってしまうというものだ。発売当時に読み、衝撃を受けたことを覚えている。
1970年の万博では、テーマ館であった「太陽の塔」の地下展示で、世界中の民俗資料、生活道具、祈りの道具が展示された。それは、「生きるために知恵を絞ること、そして神聖なものに祈りを捧げること、といった人間特有の営みの生々しさ」*を体験させるものだったという。(*「岡本太郎と太陽の塔」(川崎市岡本太郎美術館)図録より)
ストーリーの中では1万年前からの人類の歴史を振り返るが、1970年には「人間の根源」であったはずのものが、少し先の未来には「ちょっとしたおまけ」になってしまう…そんな可能性も想像させる。
●”きごう”を手放して”ヌル”に戻ろう
ストーリーの核であり、私が特に難解に感じたのは、「”きごう”を手放して”ヌル”に戻ろう」という言葉だ。
ここでもう一度「般若心経」に戻って、”ヌル”=”空”という言葉を探すと、繰り返しその言葉が登場するが、例えば、「照見五蘊皆空」という言葉がある。人間の心身は「色(物質)、受(感覚)、想(表象)、行(意思)、識(認識)」の五つの構成要素(五蘊)から成り、それらすべてが実体のない「空」で、変動し続けるものだと見抜くことで、苦しみから解放されるという
アプリで生成された“分身”、そして、その分身の受け答えは自分自身と一致するのかは分からない。自分自身らしきものが、答えているものは、自分の意思なのか、他人の意思なのか… 自己と他者、主体と客体の境界を揺るがすのは、そうした自分自身の固定された感覚や知識を手放して、「きごう」から解放されることで、苦しみや苦厄から解放されることを示しているのかもしれない。
▍”明快さ”と共存する、 null² の“わからなさ”とは?
《null²》での体験は、圧倒的に明快な面白さのある体験だ。そして、ダイアログモードの体験後にはその解説があり、オンラインでも「ネタバレあり」の解説が書かれ、その意味を考えるための手がかりは多数準備されている。
それでもなお、もやもやとした”わからなさ”が残るのはなぜだろう?
●”きごう”を手放すことの難しさ
”わからなさ”のひとつには、それぞれの意味を頭と感覚で理解しようとしながらも、それに抗いたいような気持ちが残ってしまうことにあるのではないか。
人工知能のほうがずっと賢くなっていくということや、自我を手放してしまえば良いということ… その意味を頭で理解しても、自分が今まで信じてきたものの意味がなくなっていくことには不安や恐怖を感じる。そうしたこと逃避したい気持ちから、”わからなさ”が生じてしまうのかもしれない。
●”わかりやすさ”が重視される現代に 《null²》を観る意味
もうひとつ、この“わからなさ”は、「複雑なものを複雑なまま受け入れる」ためにあるものなのかもしれない。
《null²》のなかでは、”ヌル”=”空”であれば、あらゆるものは固定された本質を持たないことになる。そういった意味では、null²も同じく、安易に”●●は○○だ”と、単純化することを拒んでいるのかもしれない。
最近では、「説明可能なもの=理解しやすいもの=価値がある」とされるように感じることもあり、
「小学生でもわかるように説明して?」
「ひとことで言うと何ですか?」
と、前提とする知識が揃っていなくても、 ”わかりやすく”、単純化して伝えることが求められる場面もよくある。
でも、複雑なものを複雑なまま、わからないものをわからないまま受け入れ、時間をかけて咀嚼していくことは、「”かしこさ”が”ちょっとしたおまけ”になってしまう」時代に、人が人としてできることなのかもしれない。
そして、簡単に言語化できないことや、すぐには受け入れがたいものを、そのまま感覚として伝えることが、「アート」の意味であるようにも感じる。
明快な面白さ、そして理解のための補助が多数提供されつつ、「それでも”わからなさ”が残る」——その感覚を受け止め、考え続けることに意味があるのかもしれない。
▍まとめ;それでもなお、”わかりたい”。
null²での体験は、まさに「万博でしか体験できない」体験で、アート、技術、建築それぞれの視点で圧倒的に印象に残る体験となった。一方、null²は、明快な楽しさと同時に深い“わからなさ”を提示し、鑑賞者に単純には理解しえないような問いを投げかけてくるようなパビリオンだった。
何かひとつの「正解」があるように単純化せず、もやもやした感覚をそのまま受け止めることも大切なのではないか…そう考えつつも、「わからないから、分かりたい」「単純に理解出来ないから、理解したい」…そうして考え続けてしまうことも、人間らしいことで、null²が投げかけているメッセージなのかもしれない。
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コメント
2ためになりました!
>占い師 レイラさま
ありがとうございました!