米国はなぜ、いつも「戦争」に負けるのか~サイバー戦、情報戦の時代は不利?

巨大な米軍はまるで「戦艦大和」

第1次世界大戦が「近代戦争」の始まり

昔の武士は、名乗りを上げてから「一騎打ち」で勝負することを当然だとしていた。そうでは無くても、刀や剣で激突するスタイルでは、基本的に生身の人間が返り血を浴びるほどの至近距離で戦ったといえよう。「飛び道具」は、せいぜい槍や弓矢くらいであったのだ。

銃に使う火薬の歴史そのものは古い(HB-PLAZA 11月13日「銃の歴史年表:火薬と銃の発明から最新小火器までの発展の歴史」)が、盛んに使われるようになったのは、14世紀以降といえるであろう。

1543年、種子島に中国船が漂着し、この船に乗っていたポルトガル人により火縄式鉄砲が伝えられたことはよく知られている。

大砲も14世紀初頭に登場し、このような火器が戦争のスタイルを変えた。

その次に戦争のスタイルが大きく変わったのは、第1次世界大戦である。タンク(戦車)、毒ガスなどの近代(大量殺戮)兵器が登場し、航空機が活躍を始めた。さらに、「国民国家」が一般的になったことが、戦争のスタイルを劇的に変えた。

世界で最初に実戦に使用されたのは、英国のマーク1戦車である。この兵器は、兵士が地面に掘った「穴」に隠れて行う悲惨な塹壕戦の問題を解決すべく、自らは敵の攻撃を(塹壕のように)防ぎながら、相手を強力な武器で攻撃することを目的とした。

英国・マーク1戦車

また、(マスタード、サリン、VXなどが著名な)毒ガスの威力はすさまじく、多数の無残な死を招いた。しかし、現在では「化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約」によって化学兵器が禁止されている。

さらに、第1次世界大戦以降、第2次世界大戦を経て原爆や水爆も含めた大量殺戮兵器が多数登場したことが与えた影響は大きい。

それと同時に、「国民国家」(世界史の窓)の一般化も戦争(戦闘)の在り方を変えた。

それ以前の戦争は、国王などの権力者が軍隊(兵隊)を養って、領土獲得などの目的にして行うのが普通であった。したがって、領土獲得などの「目的」と、戦費や兵力の消耗を天秤にかけて、合理性が無ければ「和睦」を結んだり、白旗を掲げたりしたのである。

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兵士も基本的に「雇われ」であるから、勝ち目が無くなったら「敗戦」であっても戦争の終了を望む。

だが、「国民国家」では事情が違う。兵士たちは「我が国」を守るために戦地に赴く。「我が国」は大事な家族・友人たちのものでもあるから、絶対に相手に渡せない(戦争に負けられない)。雇われ兵士とは根本的に違うのだ。

1914年7月28日に始まった第1次世界大戦で戦地に赴いた若者の多くが「クリスマスまでには(終戦になって)帰れる」と考えたのは、「それまでの戦争」をイメージしていたからである。だが、近代兵器の登場や「国民国家」の影響で悲惨となった(欧州では第2次世界大戦よりも悲惨だったと考える人々が多い)戦争は、1918年11月11日まで4年3か月余り続いた。

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