昨年(2009年)7月、オバマ米大統領はガーナを訪れた。オバマ大統領の、ガーナ国会での演説は、アフリカにおける民主主義と社会正義を訴えるものであり、多くのアフリカ人の共感を得た。この演説はもちろん素晴らしい内容のものであったと思うけれども、オバマ大統領がその後、ケープ・コースト城を訪れて行ったスピーチも、短いものながら、劣らず胸に訴える演説であると思う。
ケープ・コースト城とは、ガーナ海岸にある城砦である。17世紀半ば以降、英国商人により貿易拠点として使われた。取引された商品には、木材や金などもあったけれども、一番大きかったのが黒人奴隷であった。ケープ・コースト城は、そのすぐ西隣のエルミナ城とともに、奥地から連行されてきたアフリカ人たちを、船が来て積み出すまで閉じ込めておく、奴隷貿易の基地なのであった。
私は、以前にガーナを訪れたときに、エルミナ城に行った。大西洋に突き出した城は、今は博物館になっている。そして、奴隷貿易の当時、どのような手順でアフリカ人奴隷を積み出したか、奴隷たちがどのような酷い扱いを受けていたかを、資料を展示して説明していた。城は、そのまま運搬船を横付けし、奴隷たちを積み出せるような構造になっていた。アフリカ奥地から、手かせ足かせを掛けられて連れてこられた人々は、この城の地下倉庫に寿司詰めに押し込まれ、わずかな水と食料で、運搬船の到着までを待ったのである。
奴隷制度そのものが、人道に反したものである。それ以上に、奴隷貿易の実態は、人間の尊厳が全く無視された、想像を絶する悲惨なものであった。奴隷貿易は、16世紀のはじめから始まり、19世紀の始めに、欧州各国が奴隷貿易を禁止するまで続いた(奴隷制度そのものの禁止は、さらに後になる)。18世紀の最盛期には、ガーナの沿岸からだけで、年間10万人以上のアフリカ人が、奴隷として搬出されていった。そして、おそらく全期間を通じて、1千万人ほどのアフリカ人が海を渡り、さらにそれを上回る人々が、あるいは殺され、あるいは絶望の中で病気や憔悴で死んだであろう。
オバマ大統領は、アフリカ系の米国大統領として、この奴隷貿易の象徴の地、ケープ・コースト城を訪れることを忘れなかった。そして、マリアとサーシャの二人の娘とともに、この地に立って、次のように演説した。それは、アフリカ系の大統領としての演説ではあったが、奴隷貿易を何世紀にもわたって行った白人に対する非難の言葉では決してなかった。
「ここで見聞きしたことは、人間がどれだけとんでもない悪を働く能力があるかを、思い起こさせるものでした。」
オバマ大統領は、演説をそう切り出した。
「ここを訪れて、もっとも衝撃であったことのひとつは、捕囚たちが閉じ込められていた牢獄のすぐ上に、教会の建物があったということです。私たちは、自分たちが良い行いをしていると考えている間も、同時に恐ろしいほどの悪を許し、それを助けているということさえ、時にはありうるのだ、ということを思い起こさせます。」
「マリアとサーシャにとっては、歴史は冷酷を繰り返しうるのだということを、よく心に銘じることがとても大切だと思います。そしてここに旅したことにより、どこでそれが現れようが、世の中の抑圧と冷酷に対して断固闘わなければならないのだ、という義務感を抱いたはずです。そして私たちは、他の集団の人々を卑しめるようなことをする集団の人々に対して、それがどんな人々であれ、私たちが手に有するあらゆる手段を使って、闘っていかなければならない、ということです。」
「米国人として、アフリカ系米国人として、このケープ・コースト城は確かに深い悲しみの場所です。しかし同時に、この城こそ、多くのアフリカ系米国人たちにとって、長い旅が始まった地なのです。そして、私はここに家族とともに帰ってきた。ここで、多くの流浪の民たちが船出していった門を見ました。そして今、私はここに帰ってきて、ガーナの人々とともに、私たちが素晴らしい歩みを辿ったことを、祝うことが出来るのです。それは、黒人であろうが白人であろうが、多くの人々が勇気を捧げ、奴隷制度を廃止し、全ての人々が市民の権利を享受するために努力した歩みなのです。これこそが、希望の拠り所です。たとえどんなに酷い歴史でも、克服することは必ずできるのだ、と。」
日本人の私たちには、奴隷貿易といったり、黒人に対する人種差別といっても、今一つ実感が湧かない。でも、米国においては、今も続く、根の深い問題である。その出発点が、この西アフリカにある。この西アフリカの沿岸から、多くのアフリカ系米国人の祖先たちが、故郷を後にし、それ以来祖国に帰ることはなかった。そして彼ら黒人奴隷たちの苦労はもちろん、彼らの子孫たちをはじめとするアフリカ系米国人も、その後何世代にもわたり、人種差別や偏見の辛酸をなめてきた。
オバマ大統領が、アフリカ系米国人の立場から、人々の思いを呼び起こそうとしたのは、たんに奴隷貿易の暗い歴史だけではなかった。奴隷貿易が示す人類普遍の教訓、そして抑圧と不正義と闘い、人種差別を克服してきた、人類の勇気の歴史であった。オバマ大統領は、ケープ・コースト城を「旅が始まった地」と呼び、私はここに帰ってきたと告げた。何世紀もの苦難と勇気の歴史が、ここに一つの完結をみた。
ケープ・コースト城とは、ガーナ海岸にある城砦である。17世紀半ば以降、英国商人により貿易拠点として使われた。取引された商品には、木材や金などもあったけれども、一番大きかったのが黒人奴隷であった。ケープ・コースト城は、そのすぐ西隣のエルミナ城とともに、奥地から連行されてきたアフリカ人たちを、船が来て積み出すまで閉じ込めておく、奴隷貿易の基地なのであった。
私は、以前にガーナを訪れたときに、エルミナ城に行った。大西洋に突き出した城は、今は博物館になっている。そして、奴隷貿易の当時、どのような手順でアフリカ人奴隷を積み出したか、奴隷たちがどのような酷い扱いを受けていたかを、資料を展示して説明していた。城は、そのまま運搬船を横付けし、奴隷たちを積み出せるような構造になっていた。アフリカ奥地から、手かせ足かせを掛けられて連れてこられた人々は、この城の地下倉庫に寿司詰めに押し込まれ、わずかな水と食料で、運搬船の到着までを待ったのである。
奴隷制度そのものが、人道に反したものである。それ以上に、奴隷貿易の実態は、人間の尊厳が全く無視された、想像を絶する悲惨なものであった。奴隷貿易は、16世紀のはじめから始まり、19世紀の始めに、欧州各国が奴隷貿易を禁止するまで続いた(奴隷制度そのものの禁止は、さらに後になる)。18世紀の最盛期には、ガーナの沿岸からだけで、年間10万人以上のアフリカ人が、奴隷として搬出されていった。そして、おそらく全期間を通じて、1千万人ほどのアフリカ人が海を渡り、さらにそれを上回る人々が、あるいは殺され、あるいは絶望の中で病気や憔悴で死んだであろう。
オバマ大統領は、アフリカ系の米国大統領として、この奴隷貿易の象徴の地、ケープ・コースト城を訪れることを忘れなかった。そして、マリアとサーシャの二人の娘とともに、この地に立って、次のように演説した。それは、アフリカ系の大統領としての演説ではあったが、奴隷貿易を何世紀にもわたって行った白人に対する非難の言葉では決してなかった。
「ここで見聞きしたことは、人間がどれだけとんでもない悪を働く能力があるかを、思い起こさせるものでした。」
オバマ大統領は、演説をそう切り出した。
「ここを訪れて、もっとも衝撃であったことのひとつは、捕囚たちが閉じ込められていた牢獄のすぐ上に、教会の建物があったということです。私たちは、自分たちが良い行いをしていると考えている間も、同時に恐ろしいほどの悪を許し、それを助けているということさえ、時にはありうるのだ、ということを思い起こさせます。」
「マリアとサーシャにとっては、歴史は冷酷を繰り返しうるのだということを、よく心に銘じることがとても大切だと思います。そしてここに旅したことにより、どこでそれが現れようが、世の中の抑圧と冷酷に対して断固闘わなければならないのだ、という義務感を抱いたはずです。そして私たちは、他の集団の人々を卑しめるようなことをする集団の人々に対して、それがどんな人々であれ、私たちが手に有するあらゆる手段を使って、闘っていかなければならない、ということです。」
「米国人として、アフリカ系米国人として、このケープ・コースト城は確かに深い悲しみの場所です。しかし同時に、この城こそ、多くのアフリカ系米国人たちにとって、長い旅が始まった地なのです。そして、私はここに家族とともに帰ってきた。ここで、多くの流浪の民たちが船出していった門を見ました。そして今、私はここに帰ってきて、ガーナの人々とともに、私たちが素晴らしい歩みを辿ったことを、祝うことが出来るのです。それは、黒人であろうが白人であろうが、多くの人々が勇気を捧げ、奴隷制度を廃止し、全ての人々が市民の権利を享受するために努力した歩みなのです。これこそが、希望の拠り所です。たとえどんなに酷い歴史でも、克服することは必ずできるのだ、と。」
日本人の私たちには、奴隷貿易といったり、黒人に対する人種差別といっても、今一つ実感が湧かない。でも、米国においては、今も続く、根の深い問題である。その出発点が、この西アフリカにある。この西アフリカの沿岸から、多くのアフリカ系米国人の祖先たちが、故郷を後にし、それ以来祖国に帰ることはなかった。そして彼ら黒人奴隷たちの苦労はもちろん、彼らの子孫たちをはじめとするアフリカ系米国人も、その後何世代にもわたり、人種差別や偏見の辛酸をなめてきた。
オバマ大統領が、アフリカ系米国人の立場から、人々の思いを呼び起こそうとしたのは、たんに奴隷貿易の暗い歴史だけではなかった。奴隷貿易が示す人類普遍の教訓、そして抑圧と不正義と闘い、人種差別を克服してきた、人類の勇気の歴史であった。オバマ大統領は、ケープ・コースト城を「旅が始まった地」と呼び、私はここに帰ってきたと告げた。何世紀もの苦難と勇気の歴史が、ここに一つの完結をみた。
オバマ大統領の演説は初めて知りましたが、その言葉を信じるなら、そして核廃絶を唱えてノーベル賞を与えられたのだから、アメリカ大統領として広島、長崎に訪れて頂きたいです。