さて、いよいよコートジボワール独立50周年記念式典である。ところが、式典への案内が、1週間前になっても来ない。最初は、首都のヤムスクロで行われるはずだ、と思われていた(コートジボワールの正式な首都はアビジャンではない)。そうであれば、前日夜から出かけて、ここから250キロ離れたヤムスクロに乗り込んで宿泊しなければならないだろうし、前後の日程は入れられない。いろいろ心の準備をしていたのである。
そうしたら、4日ほど前になって、独立50周年記念式典は、アビジャンの大統領府で、普段の年の独立記念行事と同じように行う、という通知が来た。50周年だからといって、それほど特別なことは行わない、いつも通りということのようである。それで、当日8月7日、昨年同様に大統領府に出かけて行った。
式典の設えは、昨年通り。「10時開始」と案内されているところに、バグボ大統領は2時間遅れで、12時になってようやく現れるところも、昨年通り。独立50周年だから、近隣国の大統領たちが招かれているだろうと思っていたら、ナイジェリアの副大統領が、「西アフリカ経済共同体(ECOWAS)」の議長国代表として来ているだけである。
昨年通り、軍や憲兵隊、警察、消防などの行進や、功績のあった人への勲章授与式があった後、バグボ大統領の演説がある。
「今日の式典を迎える前には、選挙の見通しをはっきりさせたかった。ソロ首相とバカヨコ選挙管理委員長が、一生懸命仕事をしたおかげで、10月31日という日付が発表された。私は彼らをとても誇りに思う。」
おっと、いきなり大統領選挙の話である。
「これまでも大統領選挙の日取りが発表されてきた。でも、準備不足で実施できない日取りだったのは、まるでニセ物を買わされたみたいなものだ。私は怒った。いついつに選挙をやりますよ、と言われ、その日が近づくと、いや準備ができていませんと。私はこんなことに満足していない。」
大統領、ニセ物を買わされたのは、大統領ではなくて国民であったような気がするんですが。でも、昨日公示された、10月31日という日取りはニセ物でない、と言ってくれているのならば、心強いことである。
「コートジボワールの友人の誰もが、選挙のことを心配してくれている。しかし、その誰よりも、コートジボワール国民の私たち自身が一番、選挙を心配している。私たちにこそ、一番関係した事柄なのだ。だから、何か遅れが出てしまうというのは、それは何か原因があるからなのだ。その原因は、私たちが解決する。」
選挙の遅れについて、これはコートジボワールの問題であって、国際社会にあれこれ言われたくない、と聞こえる。
「私は、ある外国人の友人に言いましたよ。あなたがたは大統領選挙を求めているけれど、私たちは平和を求めているのだ、と。選挙をやっても、その後が戦争になるということだってありうる。私たちは平和を求めており、選挙というのは、それが平和への道筋になるからやるのだ。だからこそ、私たちはそろりそろりと進めてきている。」
大統領、それでは、再び戦争になるような危険があるならば、大統領選挙は出来ないという議論になるんでしょうか。
「だから、世界中の人々に告げよう。私たちは、今年中に選挙を行う。」
いやいや大丈夫、バグボ大統領はきちんと決意を述べた。
「そして、選挙を行っても、私たちの頭の上に天が落ちて来るような事態にはならない。」
はて、何のことだろう。
「安心し給え。心配するようなことは何も起こら・・・(Il n’y aura...)。」
と言って、バグボ大統領は聴衆を見た。そして、
「ないっ(rien)!」
「これからコートジボワールで選挙があって騒動になるぞ、とカカオを買い占めている奴がいる。でも、騒動などは何も起こら・・・。」
また、バグボ大統領は間をおいて聴衆を見る。今度は、聴衆みんなが一緒に、
「ないっ!」
「奴らのおかげで、カカオの値段が上がって、農民たちにはいいことだ。1キロ1200フランにまで上がったから。奴らは何かが起こることを期待している。でも、何も起こら・・・。」
もう皆、調子がわかったので、
「ないっ!」
唱和している。
聴衆にも声を上げさせて、場の一体感を盛り上げるなんぞは、バグボ大統領はさすがに座持ちがうまい。それでも、何かをやろう、と前向きに気勢を上げるのではないから、何となく白けている。バグボ大統領が言いたいのは、選挙を行っても騒動や暴力沙汰などが起こらない、ということだ。でも、「何も起こらない」と何度も繰り返されると、私などには大統領選挙さえも起こらない、と言っているように聞こえる。それでは、声をかけるほうも力が入らない。
結局、大統領選挙の話だけで、独立50周年記念式典の大統領演説は終わってしまった。大統領選挙の実施が、今のコートジボワールにとって最も大きな課題であるということはもちろんだ。でも、50年という一区切りの歴史を、独立の歩みを、バグボ大統領としてどのように振り返るのかを聞きたかった。私には、この演説はちょっと期待外れ。今日の演説は、国民に対するものであるというよりは、国際社会に向けてのものであるように思えた。それに、大統領選挙を何がなんでも実現しよう、という決意は感じられず、何だか言い訳じみているな、と私は思ったのである。
そうしたら、4日ほど前になって、独立50周年記念式典は、アビジャンの大統領府で、普段の年の独立記念行事と同じように行う、という通知が来た。50周年だからといって、それほど特別なことは行わない、いつも通りということのようである。それで、当日8月7日、昨年同様に大統領府に出かけて行った。
式典の設えは、昨年通り。「10時開始」と案内されているところに、バグボ大統領は2時間遅れで、12時になってようやく現れるところも、昨年通り。独立50周年だから、近隣国の大統領たちが招かれているだろうと思っていたら、ナイジェリアの副大統領が、「西アフリカ経済共同体(ECOWAS)」の議長国代表として来ているだけである。
昨年通り、軍や憲兵隊、警察、消防などの行進や、功績のあった人への勲章授与式があった後、バグボ大統領の演説がある。
「今日の式典を迎える前には、選挙の見通しをはっきりさせたかった。ソロ首相とバカヨコ選挙管理委員長が、一生懸命仕事をしたおかげで、10月31日という日付が発表された。私は彼らをとても誇りに思う。」
おっと、いきなり大統領選挙の話である。
「これまでも大統領選挙の日取りが発表されてきた。でも、準備不足で実施できない日取りだったのは、まるでニセ物を買わされたみたいなものだ。私は怒った。いついつに選挙をやりますよ、と言われ、その日が近づくと、いや準備ができていませんと。私はこんなことに満足していない。」
大統領、ニセ物を買わされたのは、大統領ではなくて国民であったような気がするんですが。でも、昨日公示された、10月31日という日取りはニセ物でない、と言ってくれているのならば、心強いことである。
「コートジボワールの友人の誰もが、選挙のことを心配してくれている。しかし、その誰よりも、コートジボワール国民の私たち自身が一番、選挙を心配している。私たちにこそ、一番関係した事柄なのだ。だから、何か遅れが出てしまうというのは、それは何か原因があるからなのだ。その原因は、私たちが解決する。」
選挙の遅れについて、これはコートジボワールの問題であって、国際社会にあれこれ言われたくない、と聞こえる。
「私は、ある外国人の友人に言いましたよ。あなたがたは大統領選挙を求めているけれど、私たちは平和を求めているのだ、と。選挙をやっても、その後が戦争になるということだってありうる。私たちは平和を求めており、選挙というのは、それが平和への道筋になるからやるのだ。だからこそ、私たちはそろりそろりと進めてきている。」
大統領、それでは、再び戦争になるような危険があるならば、大統領選挙は出来ないという議論になるんでしょうか。
「だから、世界中の人々に告げよう。私たちは、今年中に選挙を行う。」
いやいや大丈夫、バグボ大統領はきちんと決意を述べた。
「そして、選挙を行っても、私たちの頭の上に天が落ちて来るような事態にはならない。」
はて、何のことだろう。
「安心し給え。心配するようなことは何も起こら・・・(Il n’y aura...)。」
と言って、バグボ大統領は聴衆を見た。そして、
「ないっ(rien)!」
「これからコートジボワールで選挙があって騒動になるぞ、とカカオを買い占めている奴がいる。でも、騒動などは何も起こら・・・。」
また、バグボ大統領は間をおいて聴衆を見る。今度は、聴衆みんなが一緒に、
「ないっ!」
「奴らのおかげで、カカオの値段が上がって、農民たちにはいいことだ。1キロ1200フランにまで上がったから。奴らは何かが起こることを期待している。でも、何も起こら・・・。」
もう皆、調子がわかったので、
「ないっ!」
唱和している。
聴衆にも声を上げさせて、場の一体感を盛り上げるなんぞは、バグボ大統領はさすがに座持ちがうまい。それでも、何かをやろう、と前向きに気勢を上げるのではないから、何となく白けている。バグボ大統領が言いたいのは、選挙を行っても騒動や暴力沙汰などが起こらない、ということだ。でも、「何も起こらない」と何度も繰り返されると、私などには大統領選挙さえも起こらない、と言っているように聞こえる。それでは、声をかけるほうも力が入らない。
結局、大統領選挙の話だけで、独立50周年記念式典の大統領演説は終わってしまった。大統領選挙の実施が、今のコートジボワールにとって最も大きな課題であるということはもちろんだ。でも、50年という一区切りの歴史を、独立の歩みを、バグボ大統領としてどのように振り返るのかを聞きたかった。私には、この演説はちょっと期待外れ。今日の演説は、国民に対するものであるというよりは、国際社会に向けてのものであるように思えた。それに、大統領選挙を何がなんでも実現しよう、という決意は感じられず、何だか言い訳じみているな、と私は思ったのである。
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