ガニョア県議会のニャオレ議長が、私のところに表敬訪問に来た。ガニョア県のバヨタ市にある中学校に、日本の協力で教室を増設した。そのおかげで教室の数が十分になったので、バヨタ中学校は、中学校としての基準を満たした。国から教員が派遣されるようになり、中学校が正式に開校した。地元の中学生が、親元から学校に通えるようになった。それで、県としても、日本の協力への感謝の気持ちをお伝えしたい、ということである。
県会議長から、ひととおり挨拶と謝意が述べられた。いっしょに来ている副議長のコドゥ氏に、私は尋ねる。中学校は順調に運営されていますか。
「ええ、それはもう、子供たちを手元から通わせることができるようになった親御さんたちは、何より大喜びで、親から率先して、校舎を綺麗に使うようにしていますよ。教室前のグラウンドも整備しましてね。また、一度見に来てください。」
コドゥ氏といえば、私が初めてバヨタ市を訪れた時、私を夕食に招待してくれた。その席上で、私は特別に実行委員に任命された。何の実行委員かというと、ガニョアで2010年に開催される「民族音楽・舞踊祭」の実行委員である。それで、その2010年が来ているのだけれど、「民族音楽・舞踊祭」はどうなったのか。
「まあ、2010年開催を期待して、努力はしてきたのです。しかし、なにぶんにも開催資金が足りなくて、結局は見送りと言うことになりました。行政の限られた資金は、まず人々の福利厚生にまわす必要がありますからね。医療や教育など、優先度の問題です。」
延期ということになって、私は少しがっかりした。ガニョア県を中心に広がるベテ族は、歌と踊りがうまいことで有名である。だから、ベテ族の「民族音楽・舞踊祭」が開催されるなら、ぜひ覗いてみようと思っていたからだ。
さて、私はベテ族について、県会議長に聞いてみた。ベテ族というのは、伝統的にはどういう社会制度を持つのですかね。たとえば、アカン系のバウレ族は「王制」です。部族の中で、王様がいて、王様とその親族が部族全体を治めています。アニ族も王制で、私は王様に会いました。一方で、エブリエ族は、独特の「世代制度」を持っていて、常に壮年世代が、若手世代や老年世代を率いるという制度です。これらに対してベテ族は、どういう方式で部族を治めてきたのですか。
「そうですねえ、バウレ族が王制というなら、ベテ族は長老制とでもいうのですかね。ベテ族には、王様はいません。そのかわり、ベテ族の村の伝統は、長老を尊重し、長老の指示や助言に従うということです。つまり、村の中で最年長の人から順に、男の年寄りたちが長老団をつくり、その長老団がまあ、何でも話し合って決めるということですね。近隣の村とのさまざまな駆け引きや調整なども、長老たちどうしで行われますね。」
「でも長老制、と言うと語弊があるかな。たしかにベテ族では、長老がとても尊重されるけれども、長老が自分で決めるのではなくて、村の人々から意見を聞いて、問題を裁断します。だから、民主制というのですかね。ベテ族は、もともと人の意見を聞くことが大切だと思っている民族です。それは、ベテ族以外の部族に対しても同様で、外国人など外来の人々をとても大事にします。ベテ語で、外国人のことを、「ロウ・リニョー」と言いますけれど、これは「象の頭を持った人」という字義です。外国人は、いろいろ賢い知恵を持っていて、頭がいわば象のように大きいのだ、という尊敬の念がこもっているわけです。」
「それから、血縁同盟による友好関係ですね。ベテ族の村々は、もともと深い森の中にぽつん、ぽつんと独立していました。それで、若者は自分の嫁を他の村に探しに行って、時には奪って来る。そうやって婚姻を通して、周辺の村との関係を築くのが伝統でした。一つ村があるとすると、その村にいる結婚した女性は、すべて他の村の出身である、というのが原則です。同じように、その村で生まれた女の子は、すべて他の村に嫁に出す。そうやって、ぽつん、ぽつんと独立した村どうしが、ネットワークのように繋がっていく。」
なるほど、まるでインターネットのようだ。
「このように、ベテ族の人々は、良い意見ならどんどん言うべし、という風潮になれている。それから村々の関係もネットワークですからね、どこかの村が一番偉いというわけでない。そうした談論風発で平等互恵の伝統は、バウレ族の権威主義の伝統とは、少なからず相容れないところがありました。」
やはり、コートジボワールでは最大部族のバウレ族に対する、対抗意識のようなものがあるのか。
「初代大統領のウフエボワニ大統領は、ご存じのとおりバウレ族出身です。王制のバウレ族の考え方では、権威者に対してもの申すというのは、とんでもなく怪しからんことなのです。彼らの伝統では、王様には直接話しかけてはいけない。常に、側近の人を仲介して話さなければならない。ところが、ベテ族は、自分の意見をちゃんと主張するのが当然と思っている部族なのです。お構いなしに何でも誰にでも話しかける。ベテ族の人々は、ウフエボワニ大統領にも、助言のみならず批判でも、直接どしどし話しかけた。これは、大統領にとって気に障ることでした。だから、ウフエボワニ大統領は、ベテ族を煙たがったのです。」
たしかに歴史をさかのぼると、独立間もない1960年代に、ウフエボワニ大統領は、何度もベテ族と衝突したことがあった。ベテ族の側からは、バウレ族によるベテ族への弾圧と受け止められた。時代は変わって、今そのベテ族から、バグボ大統領が出ている。それでも、今度の大統領選挙で、バグボ大統領に挑戦することになるベディエ元大統領はバウレ族だし、ベテ族とバウレ族の対抗意識はまだまだ残っているのだろうか。その対抗意識の背景に、単なる同族意識だけでなくて、部族の間での社会文化の相違があるというのは、面白い話だと思った。
県会議長から、ひととおり挨拶と謝意が述べられた。いっしょに来ている副議長のコドゥ氏に、私は尋ねる。中学校は順調に運営されていますか。
「ええ、それはもう、子供たちを手元から通わせることができるようになった親御さんたちは、何より大喜びで、親から率先して、校舎を綺麗に使うようにしていますよ。教室前のグラウンドも整備しましてね。また、一度見に来てください。」
コドゥ氏といえば、私が初めてバヨタ市を訪れた時、私を夕食に招待してくれた。その席上で、私は特別に実行委員に任命された。何の実行委員かというと、ガニョアで2010年に開催される「民族音楽・舞踊祭」の実行委員である。それで、その2010年が来ているのだけれど、「民族音楽・舞踊祭」はどうなったのか。
「まあ、2010年開催を期待して、努力はしてきたのです。しかし、なにぶんにも開催資金が足りなくて、結局は見送りと言うことになりました。行政の限られた資金は、まず人々の福利厚生にまわす必要がありますからね。医療や教育など、優先度の問題です。」
延期ということになって、私は少しがっかりした。ガニョア県を中心に広がるベテ族は、歌と踊りがうまいことで有名である。だから、ベテ族の「民族音楽・舞踊祭」が開催されるなら、ぜひ覗いてみようと思っていたからだ。
さて、私はベテ族について、県会議長に聞いてみた。ベテ族というのは、伝統的にはどういう社会制度を持つのですかね。たとえば、アカン系のバウレ族は「王制」です。部族の中で、王様がいて、王様とその親族が部族全体を治めています。アニ族も王制で、私は王様に会いました。一方で、エブリエ族は、独特の「世代制度」を持っていて、常に壮年世代が、若手世代や老年世代を率いるという制度です。これらに対してベテ族は、どういう方式で部族を治めてきたのですか。
「そうですねえ、バウレ族が王制というなら、ベテ族は長老制とでもいうのですかね。ベテ族には、王様はいません。そのかわり、ベテ族の村の伝統は、長老を尊重し、長老の指示や助言に従うということです。つまり、村の中で最年長の人から順に、男の年寄りたちが長老団をつくり、その長老団がまあ、何でも話し合って決めるということですね。近隣の村とのさまざまな駆け引きや調整なども、長老たちどうしで行われますね。」
「でも長老制、と言うと語弊があるかな。たしかにベテ族では、長老がとても尊重されるけれども、長老が自分で決めるのではなくて、村の人々から意見を聞いて、問題を裁断します。だから、民主制というのですかね。ベテ族は、もともと人の意見を聞くことが大切だと思っている民族です。それは、ベテ族以外の部族に対しても同様で、外国人など外来の人々をとても大事にします。ベテ語で、外国人のことを、「ロウ・リニョー」と言いますけれど、これは「象の頭を持った人」という字義です。外国人は、いろいろ賢い知恵を持っていて、頭がいわば象のように大きいのだ、という尊敬の念がこもっているわけです。」
「それから、血縁同盟による友好関係ですね。ベテ族の村々は、もともと深い森の中にぽつん、ぽつんと独立していました。それで、若者は自分の嫁を他の村に探しに行って、時には奪って来る。そうやって婚姻を通して、周辺の村との関係を築くのが伝統でした。一つ村があるとすると、その村にいる結婚した女性は、すべて他の村の出身である、というのが原則です。同じように、その村で生まれた女の子は、すべて他の村に嫁に出す。そうやって、ぽつん、ぽつんと独立した村どうしが、ネットワークのように繋がっていく。」
なるほど、まるでインターネットのようだ。
「このように、ベテ族の人々は、良い意見ならどんどん言うべし、という風潮になれている。それから村々の関係もネットワークですからね、どこかの村が一番偉いというわけでない。そうした談論風発で平等互恵の伝統は、バウレ族の権威主義の伝統とは、少なからず相容れないところがありました。」
やはり、コートジボワールでは最大部族のバウレ族に対する、対抗意識のようなものがあるのか。
「初代大統領のウフエボワニ大統領は、ご存じのとおりバウレ族出身です。王制のバウレ族の考え方では、権威者に対してもの申すというのは、とんでもなく怪しからんことなのです。彼らの伝統では、王様には直接話しかけてはいけない。常に、側近の人を仲介して話さなければならない。ところが、ベテ族は、自分の意見をちゃんと主張するのが当然と思っている部族なのです。お構いなしに何でも誰にでも話しかける。ベテ族の人々は、ウフエボワニ大統領にも、助言のみならず批判でも、直接どしどし話しかけた。これは、大統領にとって気に障ることでした。だから、ウフエボワニ大統領は、ベテ族を煙たがったのです。」
たしかに歴史をさかのぼると、独立間もない1960年代に、ウフエボワニ大統領は、何度もベテ族と衝突したことがあった。ベテ族の側からは、バウレ族によるベテ族への弾圧と受け止められた。時代は変わって、今そのベテ族から、バグボ大統領が出ている。それでも、今度の大統領選挙で、バグボ大統領に挑戦することになるベディエ元大統領はバウレ族だし、ベテ族とバウレ族の対抗意識はまだまだ残っているのだろうか。その対抗意識の背景に、単なる同族意識だけでなくて、部族の間での社会文化の相違があるというのは、面白い話だと思った。
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