こちらに着任して以来、一度やってみようと思っていたことを、先日実現した。公邸でのピアノコンサートである。やってみてうまくいったら、これから社交に取り入れていこう。まずは、同僚の大使連中を招待する。彼らなら、不始末でもある程度大目に見てくれるだろう。全外交団の大使夫妻に、「ピアノコンサート兼夕食会」と銘打って招待状を出した。
公邸の大広間のグランドピアノを前に、公邸中の椅子を運んできた。出欠を取ったら、40人くらいになりそうなので、余裕を見て50脚ほど並べると、けっこうコンサートホールに見える。といっても、スポットライトなどの専用の照明がない。スタンドを運んで来て、ピアニストに光が集まるように、工夫をした。
さて、当日夕刻、お客さんたちが集まってきた。一角にしつらえたバー・カウンターから、飲み物を出して歓談。気楽な格好でと案内がしてあることもあり、通常のレセプションとは異なり、友達どうしで集まったような雰囲気だ。思ったよりたくさんの大使夫妻が集まって来てくれた。グラスを手に、庭に出る人もいる。日もとっぷり暮れて、そろそろという感じになってきたので、ピアノに照明を入れて、お客さんの大使夫妻の皆さんを導きいれる。
「本日は、ご多忙の中をお集まりいただき、まことに有難うございます。」
私は、ピアノのところに出て挨拶する。
「日本大使館として、文化行事の一環として、本日ピアノコンサートを開催することにしました。」
それで、本日演奏いたしますピアニストは、と私は言葉を区切って。
「私です。」
えっ、と声が上がる。
「大使というのは文化行事にも熱心でなければなりません。それで、ドイツ大使のところでは、盛んに文化行事をされるわけです。この間も、ベルリンから舞踊団が来て、踊りの舞台がありましたし、その前にはドイツのピアニストが来られて公邸でコンサートを行われました。フランス大使のところでも、パリから劇団が来て、劇を上演なさいました。また、先日はバイオリニストが来訪、フランス文化センターで素晴らしい演奏がありました。」
「それで、私も負けじと、東京に誰か芸術家を送ってほしいとお願いしたのですが、緊縮財政で難しいと。仕方がない、ピアニストが派遣できないというなら、私がピアニストになろう。自分で手作りのコンサートを開くことにしました。」
お客さんは、おおいに笑って拍手をしてくれる。
「演奏は素人ですけれど、心をこめて弾きます。夜を楽しんでください。」
そう締めくくって、私はピアノに向かった。
最初は、ショパンのエチュードから3曲。練習しておいたのだけれど、意外に指がもつれる。いつものことながら、人前で弾くたびにおこる不思議な現象だ。やはり、初めはノクターンとか楽な曲にしておいたほうがよかったか。でも、気にしない。いきなりグランドピアノの大きな音響を出して、お客さんたちを圧倒しようと選んだ曲だ。音が乱れてもそれ程気にしないことにしよう。私は弾きながら、心を落ち着けて、指が平静に戻ることを期待している。
3曲続けて終えたところで、解説する。
「外交官としてピアノを続けることには、特典がありまして、つまり赴任地ごとにピアノの先生を探すと、結果としていろんな音楽を教えてもらえることです。最初は仏語研修で生活した南仏で。ショパンやドビュッシーを習いました。次は、アルジェリアで、技術協力でチェコから派遣されていた先生を見つけました。すると教え方や、音楽の発想が、全然違うのです。イタリアでは、音楽院の生徒に先生になってもらい、音楽院で学んだことをそのまま教えてもらいました。インドでも先生を見つけ、彼にはジャズ音楽の手ほどきを受けました。パリでは、本格的にジャズピアノを習得。そして、前任地は音楽の都ウィーンですからね。もちろんプロのピアニストを先生にして、ベートーベンを学びました。」
そう説明してから、ベートーベンのソナタ「熱情」から、第一楽章だけ弾いた。3楽章全部を練習する時間がなかったのである。指のもつれも大分収まって、まあまあ満足できる演奏になった。演奏後に、また語りを入れる。
「よく、ピアノは5歳から始めないと駄目だ、と言われますけどね、それは神話です。演奏家として食べていくなら、5歳からかもしれないけれど、自分で弾いて楽しむためなら、何歳からでも弾けるようになるでしょう。あとは、どれだけ続けるかです。私は、本格的に習い始めたのが仏語研修のときで、25歳。つまり、もうかれこれ25年間はピアノを続けているわけです。まあ、そこらのピアニストくらいでは、私の年季にはかなわない。」
「それに、プロのピアニストは、意外に学ぶ先生が限られていて、音楽の世界が狭いようです。私など、誰からでも学んだから、ピアノも雑食です。音楽の解釈や、演奏方法の世界は、とても広いのです。例えば多くのピアニストは、クラシック音楽しか演奏できません。彼らには、ジャズ音楽は受け入れられないようです。ジャズの和音の構成、リズムの取り方、即興のフレーズなどは、普通のクラシック奏者には、とても理解できないものなのです。」
そう言ってから、私は再びピアノに向かって、ジャズの中から一曲を弾き始めた。
曲目は、オスカー・ピーターソンの名曲、「自由への讃歌」である。キング牧師に触発されて作曲したものといわれ、米国の公民権運動の栄光を讃える曲である。オバマ大統領の就任式でも演奏された。オスカー・ピーターソン本人の演奏を聞けば、心の底から感動できる。私の演奏では、なかなかそこまではいかないとしても、まず意図は分ってもらえるだろう。米国大使も夫妻で来てくれている。
演奏が終わって、おおいに拍手を得た。これで終わりです、というと、皆が「ビス、ビス」という。「ビス(bis)」とは、おかわりという意味で、つまりはアンコールというわけだ。それで、私はショパンの「幻想即興曲」を弾く。皆が喜んでくれたところで、それで御開きにしようとしたら、バチカン大使が代表して謝辞を一言という。
「本日はまことに驚きました。日本大使がピアニストであったとは。それに、手作りの文化行事というのがいい。先ほど大使は、いいピアニストは悪い家庭人だ、とおっしゃいましたよね。それ、理解できます。いい外交官もやはり悪い家庭人ですから。」
そうすると、ピアニストの外交官は最悪である。
隣の食堂に立食を用意している。寿司や海老フライなど、和食を楽しみながら、歓談を続けてもらおうという趣向である。途中から私はピアノに戻って、軽音楽などをぼろぼろ弾いていると、皿をもって皆が集まって来て、まるでピアノバーだ。パリやウィーンで勤務している頃は、よくこうやって、わが家で遅くまで招待客皆で遊んだものである。ここアビジャンでも、それが復活できたことに、私は満足を覚えた。
<演目>
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とっても素敵ですね!
見習いたいです。