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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

伝統と因習と現代

2010-05-20 | Weblog
伝統社会にも、刮目に値する制度、機能、知恵がある。何も、西洋文明が良しとする方法論だけが、選択肢ではない。それどころか、欧米近代社会の政治制度や価値観を、そのままアフリカに持ち込んでも、下手な接ぎ木をするようなもので、結局歪んだかたちにしか育たないことがある。むしろ、伝統社会に根付いた政治文化や政治過程をもっと研究して、現代の社会運営に取り入れていくべきではないか。

そういう議論を、私はコートジボワール人相手にするようになった。半分は本心であり、半分はお世辞とまでは言わないけれど、コートジボワール人には自分の文化と社会にもっと自信を持ってほしいという、励ましの気持ちがある。だから、外務官僚から中央アフリカ大使を経て王様をしているアニニビレ2世や、ドドコワ村の首長を21年続けながら村の融和と発展に取り組んできたナナン・ドドなどは、私にはとても勇気づけられる例に思えるのだ。

コートジボワールの人たちは、もっと伝統社会の歴史を尊重し、村の生活の知恵を再認識すべきだ。そう話したら、聞いていたコートジボワール人の女性が、猛然と怒り出した。
「大使、何を言っているのですか。私たちは、もう村の因習はまっぴらご免という気持ちなのですよ。」
彼女は、村を飛び出した。彼女によれば、村では女性の地位は、家畜よりちょっと上程度である。男が全てを支配し、女は一日ただ働くだけだ。結婚は恋愛ではなく、家の長が強制する。よぼよぼの老人のもとで、何人目かの妻にならなければならない。
「私の父が開明的だったから、私は救われた。そうでなければ、私も性器を切られていたのです。」
この言葉は私には衝撃であった。

私は、何人かの若者に、出身の村のことを聞いた。アビジャンに出てきている若者のなかに、もう村には帰りたくないという人々がいる。現代文明の利便さを知ったら、村の生活は耐えられない、そういうことですか、と聞いた。うーん、と言いながら、それもあるけど。
「村は怖いところです。」
自分の出身の村が怖いとは、どういう意味ですか。
「村の掟に従わない、村の大勢の意見と違うことを言う。そういうことがあると、厳しい仕打ちにあう。静かに殺されることだってあるのです。毒薬を盛られて。でも、明らかな殺人であっても、警察も誰も助けてくれない。彼は魔法使いだった、と言われて、それで一件落着です。」

アフリカの伝統社会にある価値観や、社会の仕組みのなかには、教育を受けた人の多くにとって、受け入れがたい不条理がある。だから、いったん村から町に出て来て生活をはじめると、もう村には戻りたくなくなる。棺桶担ぎの恐ろしい話については、以前にご紹介した。病気になっても、多くの場合は現代医学の治療を受けられない。病院や診療所がないという貧しさももちろんあるけれども、呪術の力を信じているので、医療に向かう前に呪術師のところに行ってしまう。こうした呪術信仰に振りまわされると、村の社会は必ずしも、明るく長閑なものばかりとは言えなくなる。

今週月曜日(5月17日)に各紙に報じられた事件は、そうした陰鬱な部分を浮き彫りにしている。
「先週初めに、サカス(Sakassou、ヤムスクロから北へ80キロのバウレ族の町)から12キロほど行ったところにあるマフヌ・コンゴディア村に、呪術師ンゴ・カンガがやって来た。彼は、さっそく村の長と長老たちに会い、この村には魔法使いが居座っているので、それが誰であるか、自分が炙り出してやろう、と言った。そして、村人たちに今から呪術の儀式を行う、と宣言した。これを嫌がる人は、それだけで魔法使いであることを白状しているようなものだ、そして、その人は抹殺される。

そんな運命に陥らないように、マフヌ・コンゴディア村の全ての住民は、一人当たり50フラン(10円)を呪術師に払って、儀式に参加することになった。それだけではない。村全体で、呪術師に、牛一頭と30万フラン(6万円)を、謝礼として支払った。儀式は金曜日に行われた。呪術の薬剤は、木の皮と、ある草の根と、それから様々な材料を、20リットルの水の中に溶かして作られた。出来上がった赤茶けた液体を飲むように、村の全員に求められた。村の広場で、呪術師自身から始めて、村の全員がこれを飲んだ。

半時間も経たないうちに、呪術師がまず苦しみ始め、激しく嘔吐した。彼は幸いにして、解毒剤を持っていたので、それを飲んであわてて逃げて行った。村の長、長老たちをはじめ、この呪術師の薬剤を飲んだ村人は、全員共通の症状が出た。激しい嘔吐、下痢、頭痛、腹痛である。1人死亡者が出た。可哀相な59歳の男性は、その場で亡くなった。他に106人が近くの病院に担ぎ込まれた。多くの人は救急治療で助かったけれど、いまだに十数人が重体にある。」

何とまあ易々と、魔法使いの存在を信じ、呪術師の診断を信じたものである。呪術師自身も薬を飲んで苦しんでいるから、呪術師が詐欺を企んだものとは必ずしも言えないかもしれない。でも、空恐ろしく感じるのは、呪術師の言うことを変だと思った村人がいたとしても、反対できないことだ。魔法使いがいる、と誰かが言いだした途端に、ある種の強迫観念が村を支配する。そして、常識からは考えられない、馬鹿げた対応が始まるけれども、それを馬鹿げているとは言えない空気になる。

こうした事件を前にすると、アフリカの社会の中に、未開と称される部分が確かにあるように思える。でも私は、これら全てを後進性や邪宗と名付け、その代わりに西欧文明を受け入れなさい、とする宣教師のような手法を取ることには抵抗がある。伝統的な部族社会の知恵として、私が取り上げている制度や価値観の多くに、呪術的であると言えるような要素があることも事実だ。しかし、先祖の霊とその導きを信じ、森の精と自然への崇敬を持つからこそ、正義と秩序を重んじ、自分勝手な対応を戒め、他の人々への寛容を持つ精神が働くというところもあるのだと思う。このように、伝統の知恵と因習との境目を明らかにすることは、とても難しい。

また、私は、自分の国の歴史と伝統に誇りを持つのは、当たり前のことだと思って来た。日本人で、日本の伝統文化を嫌悪する人はほぼいない。ところが、私たちと同じ現代社会の生活を送るコートジボワール人のなかには、自分たちの伝統的な生活や文化の前近代性にあきれ、これらを嫌悪するようになった人々もおおぜいいる、ということを知った。彼らの前で、私は軽々に伝統文化・社会を称賛出来ない。そういう、伝統と現代の相克が、この国にはある。

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