番組の収録は、公邸で行った。司会者がはじめに番組の紹介を行う。
「今日は、あの偉大で神秘的な国、日本を取り上げます。日本大使にご登場願って、日本文学について語っていただきましょう。大使、こんにちわ。」
はい、こんにちはと応えて、私の出番である。
「日本文学についてお話する前に、まず日本という国について、お話しましょう。日本と言うのは、太陽の本という意味です。つまり、世界で一番東、太陽が昇る場所にある国です。日本の東には、もう海しかありません。日本は、島国であることもあり、大陸から侵略することは難しい国でありました。歴史上、他の民族が来て征服し、それ以前の文化を否定するということはなかった。だから、日本の文化は、いったん成立したら、連綿と現代まで続いてきているのです。」
私は原稿に、具体的な例を用意している。
「正月に神社に行くと、雅楽を演奏しています。これは6世紀に始まる音楽です。茶の湯や、生け花は、16世紀に成立し、現代に至るまで同じ流儀が継承され、生活の中で実践されています。シェークスピアの演劇を、それが書かれた当時と全く同じに上演する劇場は、ほとんど無いでしょう。でも、日本の能や歌舞伎は、それが成立した頃とほとんど変わらず、つまり台本だけでなく演じ方まで継承され、人々は劇場にそれを鑑賞しに出かけています。」
このように説明しながら、私は焦りを感じ始めた。原稿を用意してきているので、どうしてもそれを読んでしまう。司会者に対して語りかけるように、自然な雰囲気で話したいのに、目線がすぐに原稿に落ちてしまうし、身振り手振りが出来ない。口調が何だか本の朗読のようになってしまっているのが、自分で分る。放送されるのだから、正確なフランス語を使わなければという、強迫観念がある。だから、どうしても書かれた原稿を頼る。ああ、フランス語というのは、男性名詞、女性名詞、形容詞の語尾変化、動詞の活用、時制、冠詞の選択など、常に頭の半分を文法に割かなければ話せない、面倒な言語なのだ。
「日本文化は、西欧の文化に比べて独自の傾向を持っています。それは「引き算の文化」だということです。西欧の文化では、何でもこってりと盛り込んでいくでしょう。出来るだけたくさんのことを表現しようとする。これは「足し算の文化」です。ところが、日本では、例えば水墨画で、わずか一本の筆遣いで風物が表現できれば、素晴らしいと考える。余計な要素を除去し、本質だけを純粋に取り出してみせることが、芸術であると考えられているのです。つまり「引き算の文化」です。日本では、「Simple is beautiful.」と、よく言います。ちょうど、西洋料理がソースによる味付けに熱心なのに対して、日本料理が素材の味を引き出すことに関心を持つのと同じですね。」
語りながら、私は別の焦りを感じる。意外に時間がかかっているのだ。この調子だと、30分くらい語っても、私が用意したことの半分も終えられないだろう。かといって、早口でまくし立てるわけにはいかない。
もう一つ、私が言いたいことを早く述べておこう。それは、日本人が文字に親しんできた民族だということである。子女の教育に熱心な国民性があった。コートジボワールの人々にも、教育の重要性を訴えておきたい。
「明治の初めに日本に来た欧州の外交官が、人力車の車夫が客待ちの間に新聞を読んでいるのを見て驚いた、と日記に書いています。その頃、ロンドンでもパリでも、下層階級の人で文字が読める人は、ずっと少なかった。これは江戸時代にすでに、読み書き算盤を教える庶民教育、寺子屋の伝統があったからです。ほら、先日の日本映画祭で上映した映画にも、侍の青年が、貧民街で誰彼無く子供を集めて、手習いを教えていた場面がありました。どんな貧しい家庭でも、子供には基礎教育を施す伝統があった。だから、日本では文学は、貴族だけではなく庶民も広く分かち合う文化となりました。」
私は、「万葉集」を紹介し、その中に防人として徴用された農民が、故郷に残した家族を思う歌がある、といった話をする。和歌を作るのは、支配階級だけではない。一般庶民もこれを嗜んできた。私は、短歌の「5・7・5・7・7」を説明し、わずか31音節の制約のなかに表現を試みる文学こそ、「引き算の文化」の典型であると述べる。そして、百人一首といったかたちで、庶民に至るまで浸透していた。百人一首の上の句を読み上げて、下の句を取らせるカルタ遊びの解説を加える。
そして「引き算の文化」は、俳句まで来ればもう極限である。わずか17文字の中に、ひとつの世界を読み込まなければならない。
「私の母親は、もう70代後半ですけれど、山野や寺社に出かけては、季節の変化を探して俳句を作っています。作ったら、それを句会という同好の集まりで披露して、出来を競うのです。皆さんも、もし日本に出かける機会があれば、観光地や名所旧跡のあちこちで、老若男女を問わず、小さな帳面と筆記具を手に、じっと佇んでいる多くの人々を見かけるでしょう。彼らは皆、小さな詩人たちなのです。このように俳句は、一般の人々に広く共有された文学となっています。」
「大使から、日本の小説を紹介して頂けませんか。」
司会者が、当初の打ち合わせ通り、私に質問を投げかける。そうですね、と言いながら、私は著名な小説家の名前を挙げていく。
「明治維新によって、日本は諸外国に門戸を開いたのです。そして、急速な近代化と産業化を果たしていきます。それは、国の発展であったとともに、多くの人々には、それまでの生活や価値観の大きな変化を強いることになりました。だから、人々は多くの問題に直面し、いろいろ思索を繰り広げたのです。日本の近代小説が扱っている問題意識には、現代にも新鮮なものがたくさんあります。」
そして、原稿に準備したとおり、夏目漱石の「ぼっちゃん」と、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の粗筋を紹介した。
収録には、ほぼ2時間を要した。冷房にもかかわらず、私は汗だくになっていた。30分の番組のための映像としては、明らかに長すぎる。
「大丈夫ですよ、長い方がいいです。編集部できちんと整理しますから。」
司会者はそう言った。私には、思ったような収録が出来なかったという後悔と、整理といってどういう編集が行われるのだろうかという不安が残った。
(続く)
「今日は、あの偉大で神秘的な国、日本を取り上げます。日本大使にご登場願って、日本文学について語っていただきましょう。大使、こんにちわ。」
はい、こんにちはと応えて、私の出番である。
「日本文学についてお話する前に、まず日本という国について、お話しましょう。日本と言うのは、太陽の本という意味です。つまり、世界で一番東、太陽が昇る場所にある国です。日本の東には、もう海しかありません。日本は、島国であることもあり、大陸から侵略することは難しい国でありました。歴史上、他の民族が来て征服し、それ以前の文化を否定するということはなかった。だから、日本の文化は、いったん成立したら、連綿と現代まで続いてきているのです。」
私は原稿に、具体的な例を用意している。
「正月に神社に行くと、雅楽を演奏しています。これは6世紀に始まる音楽です。茶の湯や、生け花は、16世紀に成立し、現代に至るまで同じ流儀が継承され、生活の中で実践されています。シェークスピアの演劇を、それが書かれた当時と全く同じに上演する劇場は、ほとんど無いでしょう。でも、日本の能や歌舞伎は、それが成立した頃とほとんど変わらず、つまり台本だけでなく演じ方まで継承され、人々は劇場にそれを鑑賞しに出かけています。」
このように説明しながら、私は焦りを感じ始めた。原稿を用意してきているので、どうしてもそれを読んでしまう。司会者に対して語りかけるように、自然な雰囲気で話したいのに、目線がすぐに原稿に落ちてしまうし、身振り手振りが出来ない。口調が何だか本の朗読のようになってしまっているのが、自分で分る。放送されるのだから、正確なフランス語を使わなければという、強迫観念がある。だから、どうしても書かれた原稿を頼る。ああ、フランス語というのは、男性名詞、女性名詞、形容詞の語尾変化、動詞の活用、時制、冠詞の選択など、常に頭の半分を文法に割かなければ話せない、面倒な言語なのだ。
「日本文化は、西欧の文化に比べて独自の傾向を持っています。それは「引き算の文化」だということです。西欧の文化では、何でもこってりと盛り込んでいくでしょう。出来るだけたくさんのことを表現しようとする。これは「足し算の文化」です。ところが、日本では、例えば水墨画で、わずか一本の筆遣いで風物が表現できれば、素晴らしいと考える。余計な要素を除去し、本質だけを純粋に取り出してみせることが、芸術であると考えられているのです。つまり「引き算の文化」です。日本では、「Simple is beautiful.」と、よく言います。ちょうど、西洋料理がソースによる味付けに熱心なのに対して、日本料理が素材の味を引き出すことに関心を持つのと同じですね。」
語りながら、私は別の焦りを感じる。意外に時間がかかっているのだ。この調子だと、30分くらい語っても、私が用意したことの半分も終えられないだろう。かといって、早口でまくし立てるわけにはいかない。
もう一つ、私が言いたいことを早く述べておこう。それは、日本人が文字に親しんできた民族だということである。子女の教育に熱心な国民性があった。コートジボワールの人々にも、教育の重要性を訴えておきたい。
「明治の初めに日本に来た欧州の外交官が、人力車の車夫が客待ちの間に新聞を読んでいるのを見て驚いた、と日記に書いています。その頃、ロンドンでもパリでも、下層階級の人で文字が読める人は、ずっと少なかった。これは江戸時代にすでに、読み書き算盤を教える庶民教育、寺子屋の伝統があったからです。ほら、先日の日本映画祭で上映した映画にも、侍の青年が、貧民街で誰彼無く子供を集めて、手習いを教えていた場面がありました。どんな貧しい家庭でも、子供には基礎教育を施す伝統があった。だから、日本では文学は、貴族だけではなく庶民も広く分かち合う文化となりました。」
私は、「万葉集」を紹介し、その中に防人として徴用された農民が、故郷に残した家族を思う歌がある、といった話をする。和歌を作るのは、支配階級だけではない。一般庶民もこれを嗜んできた。私は、短歌の「5・7・5・7・7」を説明し、わずか31音節の制約のなかに表現を試みる文学こそ、「引き算の文化」の典型であると述べる。そして、百人一首といったかたちで、庶民に至るまで浸透していた。百人一首の上の句を読み上げて、下の句を取らせるカルタ遊びの解説を加える。
そして「引き算の文化」は、俳句まで来ればもう極限である。わずか17文字の中に、ひとつの世界を読み込まなければならない。
「私の母親は、もう70代後半ですけれど、山野や寺社に出かけては、季節の変化を探して俳句を作っています。作ったら、それを句会という同好の集まりで披露して、出来を競うのです。皆さんも、もし日本に出かける機会があれば、観光地や名所旧跡のあちこちで、老若男女を問わず、小さな帳面と筆記具を手に、じっと佇んでいる多くの人々を見かけるでしょう。彼らは皆、小さな詩人たちなのです。このように俳句は、一般の人々に広く共有された文学となっています。」
「大使から、日本の小説を紹介して頂けませんか。」
司会者が、当初の打ち合わせ通り、私に質問を投げかける。そうですね、と言いながら、私は著名な小説家の名前を挙げていく。
「明治維新によって、日本は諸外国に門戸を開いたのです。そして、急速な近代化と産業化を果たしていきます。それは、国の発展であったとともに、多くの人々には、それまでの生活や価値観の大きな変化を強いることになりました。だから、人々は多くの問題に直面し、いろいろ思索を繰り広げたのです。日本の近代小説が扱っている問題意識には、現代にも新鮮なものがたくさんあります。」
そして、原稿に準備したとおり、夏目漱石の「ぼっちゃん」と、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の粗筋を紹介した。
収録には、ほぼ2時間を要した。冷房にもかかわらず、私は汗だくになっていた。30分の番組のための映像としては、明らかに長すぎる。
「大丈夫ですよ、長い方がいいです。編集部できちんと整理しますから。」
司会者はそう言った。私には、思ったような収録が出来なかったという後悔と、整理といってどういう編集が行われるのだろうかという不安が残った。
(続く)
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