法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ラーゲリより愛を込めて』

 広島に原爆が投下された直後の満州。突如として侵攻してきたソ連軍の空襲により瓦礫の下敷きになった男は、妻と子供を先に行かせ、はなればなれになった。ソ連軍の捕虜となった男はロシア語が話せるために収容所の通訳を担当して、数年後に帰国できることになったが、日本を目前として列車から降ろされた。満州で諜報活動をおこなったとして、戦犯としてひきつづき収容所で強制労働させられることになったのだ……


 辺見じゅんのノンフィクションを原作とする、2022年の日本映画。シベリア抑留において奇妙な方法で家族へ思いをつたえ、以前にも何度となくメディア化された山本幡男と、はなればなれになった家族のドラマを描いた。

 製作に入っているTBS系列で8月11日に地上波放送が予定されている。
『戦後80年特別放送 映画ラーゲリより愛を込めて』|TBSテレビ


 まず残念ながら、序盤の空襲シーンは不要だろう。一応、日本映画としては予算をかけて派手な映像になっているし、状況の背景となる敗戦を視覚化する意味はある。しかし、見せ場というには短すぎるし、映される範囲も数軒ほどという映画としては小さなセットで、かけた手間ほど効果的とは思えない。後で回想される戦場の描写が、いかにもな空き地に塹壕を掘ってVFXで戦車を合成したくらい予算の限界を感じる映像だったので、冒頭の予算をそこの戦場描写にまわしたほうが戦争映画らしい見ごたえが生まれたと思う。
 何より主人公夫妻が生き別れになることの説得力が弱い。瓦礫の下敷きになって動けないのに後遺症も残らないという怪我の重みが物語の都合と思ってしまうし、家族がその場にとどまれば離れ離れにはならなかったのではないかと思えてしまう。その後の、移送中に別の人物の視点で主人公について説明する場面から映画をはじめたほうが、謎めいた主人公の魅力が少しずつ観客につたわる構成になったのではないだろうか。


 しかし本筋の収容所描写は期待以上に良い。乱雑な高さの板をならべて作った塀は高く、監視台はさらに高い。収容所の建物も多人数を拘束しているだけのスケール感がある。乱雑に捨てられる多数の死体や厳しい刑罰描写もしっかり描写されているし、強制労働に従事するエキストラも日本映画としては多い。満州を植民地化したような説明はないものの、おそらく中国での捕虜処刑を回想して日本が加害者であった側面も示せている。
 典型的な支配手法として支配対象の序列をソ連軍が利用することで、日本の被害を描きつつ日本軍という組織の問題も描写できている。おかげでロシアのウクライナ侵攻後の映画でありながら、ソ連という国家や民族への偏見は感じさせず、非人道な管理は軍隊という組織の普遍的な問題と感じられる。
 残念ながら、映画と同時期の漫画版*1で楽しんで、映画にも期待した収容所サスペンスとしての面白味は少ない。句会や脱走は描写されるが複雑な策略はめぐらせていない。レクリエーションの許可も大病院での治療も基本的に懇願で獲得している。さすがに結末の帰還にまつわる策略は削られていないし、前半の主人公の主張が伏線として機能しているが、工夫として描写するよりも時系列を前後させて驚きを演出する方向に力を入れている*2。とはいえ収容所と並行して日本の家族の描写を挿入するようなファミリードラマを重視した映画化として、これはこれで正解なのだろう。
 犬の可愛さ、けなげさも良かった。言葉を発しない獣だからこそ映像的な魅力にあふれている。おそらくVFXも利用しているが、自然な映像となっていて没入を阻害しなかった。


 予想外に興味深かったのが現代パート。人々がマスクをつけて集まっている情景が、わずか3年ほど前の描写なのに、すでに時代の記録としての意味が生まれている。ここまで新型コロナ過を描写としてとりこんだ映画は珍しい。
 上映時は新型コロナ禍のきびしさを人々が実感し、不要不急の移動も否定されていたので、そのように自由が制限された苦難と抑留の苦難をかさねあわせる描写として意味があったのだろう。
 しかし現在に見ると、五類に移行させ、死者数はむしろ増えているのに新型コロナ禍のきびしさを忘れた人々に対して、シベリア抑留とともに思い出して見つめるべき過去として提示しているようにも思えた。

*1:『ラーゲリ〈収容所から来た遺書〉』河井克夫著 - 法華狼の日記

*2:ただ原作からタイトルを変えたのは、知らない観客に結末を予想させないためかもしれない。