「あなたの心が迷っているからです」が万能
責任を取りたくはない。
何か間違いが起きた場合、それを自分に原因があると思われたくない。
たとえば「そこならよく行くから場所はわかるよ」と言って誰かを先導した時に道を間違えたとする。いつまでも着かないし、こちらは迷っているので同じ道を繰り返し歩く時もある。相手は「道間違ってない?」と言うことだろう。
そこで謝りたくないのだ。
完全に私に原因がある。そもそもよく行かないのに、「よく行くから」と言って、相手を先導しているので、いまさら謝れないのだ。そんな時になんと言えばいいのか、と長らく考えてきた。もちろん答えはいくつかあると思うけれど、私も一つの答えに行き着いた。
「あなたの心が迷っているからです」
これだ。
この言葉を言えば、なんとなくそれっぽく責任を回避できる気がする。相手の心の問題にできる気がする。事実を蚊帳の外にして、相手の心の問題ということにできるのだ。目に見える事実を全て、目に見えないもののせいにするのだ。
「道間違ってない?」
「どうかな、それは君の心が迷っているからじゃないかな」
こうです。
もちろん相手の関係性で一部の言葉を変えても問題ない。大切なのは「心が迷っている」と言うこと。それも「あなたの心が迷っている」と言うことだ。あくまでも自分には責任はなく、あなたの心が迷っているから、迷っているように感じると思わせることが大切だ。
「締め切りって今日じゃなかったですっけ?」と誰かが言う。
「それはあなたの心が迷っているからじゃないですか」と私は答える。
こうです。
相手は何も言えなくなる。その理由は2つ考えられる。1つは相手の心に迷いがあったからだ。迷いがあるからこそ、今日が締め切りであると勘違いしてしまっている、と思ってしまい、何も言えなくなる。迷いとは事実を捻じ曲げる力があるのだ。
もう一つ考えられる理由がある。
こちらは可能性としてはとても低く、多くの場合は誰もが「自分に迷いがあるからだ」と納得するのだけれど、わずかな可能性として、砂浜の砂の粒から、たった1粒の米粒を見つけるような可能性で「こいつ何を言っているんだ?」と思い、何も言えなくなるパターンだ。
この可能性は低いだろう。
これを読んでくれている方は、2つ目の方が可能性としては高いだろう、と思うかもしれない。ただ私はお伝えしたい。
「それはあなたの心が迷っているからじゃないですか?」と。
そういうことなのだ。
迷いがあるから、ほぼ可能性がない2つ目を可能性が高いと思ってしまうのだ。全てはあなたの心の迷いなのだ。それは解決しなければならない。私は可哀想でならない。心に迷いがある状態で日常を過ごすのは大変だと思うから。
迷いなんてない、と思っている人こそ、迷いがあるのだ。迷いがあると自覚している人の方がまだ手の打ちようがある。問題は自覚してない人なのだ。迷いとはそのようなもので、自覚していない迷いというものも多々確認されている。
実例を書きたいけれど、本人たちは自覚できていないので実例を書くことは難しい。ただ心の迷いに気づいていないということは多々確認されているということだ。つまりあなたには心の迷いがあるということなのだ。
非常に高度で難しい話をしていることは自覚している。心の迷いという見えないものの話なので、自覚しているか否かは難しい。しかし、心の迷いがあるから、ほぼ可能性がない2つ目を可能性が高いと思ってしまうわけだ。
そんなことはない、と思った方も多いだろう。
それこそが心の迷いのせいなのだ。本来はそんなことはないのだ。心の迷いがあるから、そう思ってしまうのだ。道を間違っていると感じるのも、締め切りを今日だと思ってしまうのも、全てはあなたに心の迷いがあるからだ。
全てのものは心の迷いのせいなのだ。
間違いなんて世の中にはないのだ。全てはあなたの心の迷いがそう感じさせているのだ。つまり私にはなんの責任もないということ。心の迷いは自覚することで、迷いから解き放たれる。ぜひあなたも心の迷いから解き放たれて欲しい。



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