映画野生の島のロズでほんまに癒された。

おはようございます、ポスト田イット乃です。

 

先日、くずはモールの映画館で子ども3人と「野生の島のロズ」を見てきたのですが、ちょっと特殊な癒され方をしたので書いておこうと思いました。ネタバレには一切配慮しないので、見に行く予定の方はブログを閉じてください。

 

ガチで母親が重なる。

うちの母、離島で育ったんですよね。遊び場は、砂浜。小学校の先生のところの三人姉妹の真ん中で、1番上に長男がいます。他にも母の母つまり祖母の連れ子が男女で2人。最大人数8人で離島暮し、祖父の教え子とかもちょろちょろ登場したみたいです。長女はしっかり者、三女はミーハー。朝ドラヒロインみたいな設定でしょう?

そんな母の話を聞いていて私は不思議なことに気づきます。うちの祖父の文化レベルが離島の人間でないんですよね。何がどうして一家が離島で生活することになったのか。それは戦時中祖父の父親が市役所職員で、息子の徴兵逃れを画策したことなどとまことしやかに伝えられています。祖父本人は「徴兵検査に行ったけれど色が白かったからなぁ。」など言っていたようですが、確かに色は白い遺伝だけども体格は良かったので徴兵されていたはずです、普通は。

戦後の教育改革が起こる中で、祖父は離島の教師として配属されました。教師としてのスキルアップは自分で色々集めて頑張る、祖父はそういう人でした。私の母の話、戦後80年が経ってるとはいえ初っ端から大分ギルティでしょう。そうなんですよ、ここで映画の話に戻りますが、野生の島に間違って配送されたスーパーロボットロズが私の祖父に、祖母に、母にすごく重なるんですね。

 

ニュータウンの孤独

私の母の幼少期はそういうもので、料理と裁縫は当然として布団まで作れます。ただし、物がない環境で育ったので買い物と片付けは苦手です。母は買い物に恐怖すら感じています。そして、結婚して子育てする場所として選んだのは沢山の人が住んでいて、あらゆる物がある、大阪のニュータウン。母自身が身につけた教育と福祉の能力で地域社会で働いていますが、離島時代に比べると寂しい思いをしているのではないかと気がかりです。孫が10人もいるんですけどね。

母とロズと違うところは身体のパースの替えがないということと、迎えに来る実家がないということです。ロズと共通しているところは底抜けに知的で親切という点。ニュータウンでぼろぼろになっていく一方の母を迎えにいくのは、4人いる兄弟姉妹の中でも私かもしれないなと漠然と思いました。私の祖母は自らのプライドでネグレクト状態を選び、それはそれは壮絶な老後の生活をしていました、その死の間際に母が介入して看取りました。遠方の送迎を頼まれたのは私です。

 

「自分の住みたいところに住めないロズが可哀想だ。」

こう、私の9歳の娘が感想を言いました。住みたいところに住んだ祖母も、私の母も、そして私も、全然可哀想ではないはずなんです。ボロボロになるのが可哀想なのではなくて住みたい場所に住めないのが可哀想、これを子どもに教わりました。住みたい場所に住むのはたくさんの工夫が必要です。先の住人の気持ちを逆なでないように、親切を第1に過ごさなければいけません。劇中でロズが吐いた子育てについての弱音と同じく、プログラムが通じない場当たり的なことばかりなのですが、引き続き頑張っていけると映画と子どもに勇気をもらえました。

 

そして、老いたる私を理解して迎えに来るのはこの9歳なのかもしれません。

 

証拠はないけれど祖父の徴兵逃れが無ければ祖父は戦死していたかもしれず、私はここに居ません。罪深き生まれをなんとか言葉にできました。

 

お読み下さりありがとうございます。

 

 

 

 

 

映画野生の島のロズでほんまに癒された。

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