「ベル様は……他の冒険者とは違う! ベル様は、恐怖に呑まれながらも必死に戦っているんですよ!?」
「……そうか。なら見に行こうか。お前の言うベル様とやらを」
リリルカ・アーデの叫びを無視して踵を返したミストは、ダンジョンの奥から聞こえてくるミノタウロスの声へと耳を傾けた。
「近いな。トレント」
「う、馬!?」
「これは……」
ミストが指笛を鳴らすと同時に、霊馬トレントが何処からともなく現れた。馬が虚空から現れるという現象に、ミスト以外の全員が驚愕する中、いつも通り早く乗れと鼻を鳴らすトレントに跨ったミストは、フィンとリヴェリアにちらりと目を向けてからトレントを走らせた。
「ダンジョンの中でどうやって馬に乗っているのかと思ったけど、まさか虚空からとはね」
「精霊の一種なのか? だが、今の世界に精霊など……」
虚空から出現する馬など精霊以外にはありえないが『神代』に入ってから、精霊というものを見た者は殆どいない。あったとしても、意識すら持たない力の薄い精霊のみである。それが実体として存在し、跨れる精霊など『古代』にまで遡らないと出てくることはないだろう。
「と、とにかく追いかけ、ないと……」
「無理をするなと言っただろう。フラフラではないか」
「でも、ベル様が……」
「わかっているさ。先にアイズたちが向かっている……もう助かっている頃だと思うよ」
フィンの安心させるような言葉に懐疑的な目を向けるリリルカと、先に行ってしまったミストを追いかけるために走り出したいスコットは、同じ事を考えていた。どうでもいいから早く行きたい、と。
「ん……思ったよりやるようになったね」
「っ! あなたは……馬?」
助けの手を伸ばしながら、その手を振りほどいて戦い始めたベル・クラネルとミノタウロスの戦いを見ていたアイズたちは、聞こえてきたミストの声に敵意マシマシで振り向いたが、赤い果実を食べている馬の顔を見て毒気を抜かれていた。
トレントにロアの実を食べさせながらベルとミノタウロスの戦いを眺めるミストは、思ったよりも苦戦していないことに驚いていた。ベル・クラネルはミストの想像以上の速度で強くなっている。それが
「どうなってやがんだ……なんであの兎野郎は」
「すごい……」
都市最強派閥にまで発展した【ロキ・ファミリア】の幹部格ですら賞賛の言葉しか生まれない、ミノタウロスとの戦い。ベル・クラネルはただ必死に戦っていた。
(もっと強く! もっと速く!)
『ブォオッ!?』
徐々に加速していくベルの動きに、ミノタウロスは次第についていけなくなっていく。元々、中層のモンスターの中で速さに秀でている訳でもないミノタウロスは、オッタルと戦い続けた強化種と言えどもLv.1トップの速度を誇るベル・クラネルの動きにはついてこられない。しかし、ベルの膂力では右手に持つ神のナイフでなければミノタウロスに傷をつけることはできず、左手の
(あの大剣ならッ!)
ミノタウロスの持つ大剣は、オッタルが使っていた大剣である。決して業物と言えるものではないが、Lv.2相当のミノタウロスにしてみれば十分な武器である。その武器を狙ったベルは、ミノタウロスの死角に入り込んで左手の両刃短剣と右手の神のナイフを持ち変えた。ベルは気が付いていた。目の前のミノタウロスは、ベルが右手に持つ神のナイフだけを防ごうとしていることを。それは知性がある証拠であり、知性があるのならば裏をかける。裏がかけるのならば思考の空白が生まれる。そこに大きな隙が、存在することを。
「え?」
『──?』
それは【ロキ・ファミリア】のうちの誰かの口から自然と出た疑問符。ミノタウロスの振るった大剣が、右手のナイフを砕き割ったのだ。右手の攻撃だけを警戒していたミノタウロスは、右手にあの黒いナイフが握られていないことに気が付いて、動きが止まった。
持ち変えていた右手の両刃短剣を砕かれたベルは、即座に柄をミノタウロスの顔に投げつけ視界を制限し、そのまま左手に持っていた神のナイフをミノタウロスの右手に突き刺した。
『ヴオオオオオオオッ!?』
「ファイアボルト!」
視界外からの一撃によって右手の感覚を失ったミノタウロスは、続けざまに傷口へと放たれた炎雷を受けて後ろに倒れ込む。同時に、ベルは神のナイフを手放してミノタウロスの持っていた大剣を手に持つ。大剣を振るうというよりも大剣に振られるような動きを見せながらも、ベル・クラネルは命を刈り取る為に跳躍した。
『ヴ、ヴオオオオオオオオオオオオッッ!』
「ああああああッッ!」
恐怖を振り払うように声を上げる両者は、同時に腕を振るった。ベルが振るった大剣は、ミノタウロスの残っていた片角を斬り飛ばして右肩の半ばまで入り込み、ミノタウロスの左腕は空中を飛んでいたベルの脇腹に叩き込まれた。
「おっと、死んだかな?」
「そんなッ!?」
どちらも明らかに致命傷。冷静にベルが死んだかもしれないと呟くミストの言葉に、アマゾネス姉妹の妹が口元を抑える。
「いや、生きているよ。どっちもね」
ミストの後ろからやってきたフィンは、痛みに悶えながらゆっくりと立ち上がるミノタウロスと、地面に転がりながらゆっくりと動くベルを見つめていた。普通の冒険者ならもう意識すら失って立ち上がらないような傷を受けていながら、ベルはゆっくりと立ち上がっていた。それでも、痛みに慣れている怪物の方が、起き上がるのは早い。
『ヴオオオオオオオオオオオオッ!』
「ベル様ッ!?」
「チッ!?」
実質的な勝利宣言にも近い咆哮をあげながら、ミノタウロスはベルにとどめの一撃を与えるために拳を叩きつけた。なんとか割って入ろうとするアイズたちよりもミノタウロスの方が早く、無情にも拳は地面に這いつくばるベルに叩きつけられる直前。
「……それでこそだ」
ミノタウロスの拳の衝撃を受け流すようにゆらりと起き上がったベルは、そのまま右肩に刺さっている大剣を手にして、思い切り引いた。
『ヴォオッ!? ヴオオオオオオオオオオオオッッ!?』
傷口から大量の血をまき散らしながら悶え苦しむミノタウロスに詰め寄ったベルは、大剣が切り裂いた傷口に手を当てた。
「ファイア、ボルト」
『──ヴッ!?』
傷口から体内へと炎を受けて、ミノタウロスは口から火を吐く。
「ファイアボルト!」
『ヴォッ!?』
慌ててベルを止めようと手を伸ばしたところで、もう一度体内へと炎を受けて、身体が不細工に膨れ上がる。
「ファイア、ボルトォオオオオオオオオッ!」
『──ッッ!?』
全ての
「……これが、君の言っていた英雄なのかい?」
「少し泥臭いけど、いいんじゃないかな」
ベルのパーティーメンバーであるリリルカや、ベルが急激に強くなったことに騒ぐベートを横目に、フィンはミストへと目を向けた。非常に満足そうに頷いているミストに呆れたような溜息を吐きながら、これは大事になりそうだと今後を憂いた
結局、ベル・クラネルは短期間でのミノタウロスの撃破によるレベルアップを成し遂げた。アイズ・ヴァレンシュタインの1年という期間を大幅に短縮する形での世界最速のレベルアップに、オラリオ中が揺れた。その震源地にいる少年。ベル・クラネルは、現在【ヘスティア・ファミリア】のホームで金髪の女性と相対していた。
「ガルルル!」
「か、神様……失礼ですよ」
「君の神は犬なのか。面白いね」
廃教会の地下室で向かい合うヘスティアとミストに、ベルは溜息を吐きたい気分だった。なにせベルが以前に話していた助けてもらった恩人の1人であると言うのだが、それがこんな美女であるとはヘスティアは聞いていないのだ。
「そ、それで……ミストさんはどうしてここに?」
「なに、君がレベルアップしたというからお祝いに」
「あ、ありがとうございます」
実力者として密かに憧れている相手であるミストに、自らの偉業を祝ってもらえることを嬉しく思いながら、彼女の瞳がお祝いに来ただけではないことを語っていることに気が付いているベルは、続きを促した。
「聞けば、ベル君は独学で戦いをしていると聞いてね」
「そうですね……ちょっと師事した人はいますけど」
「へん! 僕のベル君をあんなヴァレン何某に師事させた覚えはないよ!」
「へぇ……あの【剣姫】に」
現在遠征中の【ロキ・ファミリア】の幹部であるアイズ・ヴァレンシュタインに師事していた時期があると聞いて、ミストは笑顔を浮かべた。
「よかったら、私にベル君の師匠をやらせてもらえないかと思ってね」
「え? いいんですか!? 是非お願いしま──はっ!?」
「へー……ふーん……」
ミストから戦闘技術を教われると聞いて興奮した様子のベルに対して、横で聞いていたヘスティアの機嫌は一気に急降下した。恐る恐る横にいるヘスティアの方へと視線を向けたベルは、ツインテールが重力に逆らっていることに気が付いて唾を飲んだ。
「じゃあ主神の説得は自分でしてくれ。また日時の相談をしよう」
「待ってください! 助けてぇ!?」
「ベル君! 君はなんて奴なんだい! ヴァレン何某だけでなくあんな女までっ!? 君は金髪が好きなのかい!?」
「ひぃっ!?」
背後から聞こえてくる悲鳴を無視して教会の地下室から外に出たミストは、横に現れたラニへと視線を向けた。
「随分と楽しそうだな」
「まぁね……魔術や祈祷を教えてもらったことはあったけど、師匠になるのは初めてだから」
狭間の地で駆けずり回っていた頃よりも笑顔が増えたミストに対して、ラニは少し不思議そうな顔をしていた。
「同類も見つけたから、か?」
「オッタルのこと? あれは同類だけど、私が手を出す意味はないよ……それに、もう高みは示した」
「ならばあの少年か?」
「英雄の器。おそらく神が干渉しているな……それを私が滅茶苦茶にしてみるのも悪くはない」
ベル・クラネルが英雄の器であると感じていたミストだが、ミノタウロスとの戦いを終え、顔を合わせた少年の裏に神の存在がちらついていた。残滓とでも呼べばいいか、ミストが感じた神の気配はベル・クラネルを見ていた。
「神の英雄などにはさせない。人の英雄にしてやるさ」
「……お前も人のことを言えない神嫌いだと思うがな」
神の計画を崩すことを想像して楽しそうに笑うミストに、ラニは大きな溜息を吐いていた。
ここは英雄たちの集う都オラリオ。神が、英雄が、そして神殺しの王が存在する、迷宮都市である。