AI生成物の著作物性が話題になっているのを見かけました。
こちら、昨年の文化庁「考え方」では、ユーザーがAIをツールとして著作物を生み出すことはあり得ると整理しており(下記p39~40)、その際の基準はユーザー自身がどれだけ創作的な寄与をおこなったか。これは委員間でもほぼ一致で、概ね、世界で共通した考え方でしょう。
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では創作的な寄与とは何かというと、色々な整理があり得ます。
例えばプロンプトによる絵でいえば、「a girl wearing a red dress」だと、この指示によって生まれるAI生成画像には、極めて幅広いバリエーションがありますね。その程度の指示で生まれ得る無数の生成物を、著作物として誰かに独占させては危ない。
他方、長ければいいというものではありませんが、例えば構図・オブジェクト・描線・色彩などもっとはるかに具体的な個別指示を書き込んだプロンプトの場合、詳細になるほど、生成される具体的な絵は予想がつくようになりますね。そこに独自の創意があれば成果物を著作物として独占させても弊害は少ないし、著作物にあたる可能性は上がる、という整理もあり得ます。
これは、アシスタントの方に指示をおこなう方式で著作者になるか、という通常の著作者の認定の議論とも共通します。指示が創作的な表現のレベルに至っているか、とも整理できるでしょう。
無論、実際には個別の生成物とその生成過程を検証します。権利性を認めることの弊害と認めないことの弊害をギリギリで考慮して、果たして著作物性を認定できるかの判断に、神が宿る訳ですね。
なお、生成物に著作物性があるかという問題と、その生成物や前提となる学習が他者への権利侵害であるかという問題は、全く別個です。