ヒロシマ1945年8月
1979年4月中旬、大学に入
って直後の事だ。
飲食店でお店の女性と話を
していたら、出身地を訊か
れた。自分はここ東京生ま
れである、と告げた。
そして両親が広島県生まれ
である事を告げた瞬間、年
上の店の女性は私から距離
を置くように座り直し、
「え?原爆とか大丈夫なの?
人にうつるんでしょ?」
と言った。
ああ、無知からくる自然発
生的な人間の差別的観念と
いうのはこういうのをいう
のだろうな、と思った。
「被爆による放射能被曝は
人にはうつらない。感染な
どしない。ただ、爆心地で
ある広島市内に原爆投下直
後に赴いて救護活動してい
た人たちの多くは残留放射
能によって被曝してしまった」
と説明した。小中学校で社
会科の時間に習ってきた事
を私は述べた。
広島県出身の父や母から聞
いていた「原爆被爆者への
差別」という教科書には載っ
ていない現実というのはこれ
か、と感じた。
まだ18才の時だった。
たまたま私の両親は爆心地
から数十キロ以上離れてい
た場所にいたので、直接の
原爆の被爆には遭わなかっ
た。
それはたまたまであるだけ
の事だ。ほんの偶然でしか
ない。
空から悪魔の落とし物のよ
うに降りまくる焼夷弾から
命からがら業火の中を逃げ
回っていた経験を持ってい
ても。
しかし、重大な事がある。
原爆による黒い雨は広島市
から100km程離れた広島県
福山市でも降ったという証
言を私の母はしている。私
の母の姉妹たちも。
それ、もしかすると被曝し
ているのではなかろうか。
被爆者認定の該当者では
なくとも。
同じ原爆被爆県内である広
島県内でも被爆者に対する
えげつない筆舌に尽くせぬ
差別が相当あったと広島県
内の古老たちからよく耳に
する。
同じ県内でもあるのだから、
同じ国内でもあるのはこの
国の流れだろう。
同じ国の同胞が苦しんで死
んでいった事には心が向か
わない。
自分の安寧だけを求めて人
を排除、排外しようとする。
これらは、行政や制度の問
題ではなく、人間的資質の
問題に負うところが大きい。
人の心の在り方の。
そして、その人の心を育て
ず人を排除排斥する事を旨
とする教育が続けられてき
た問題があるだろう。
その教育は、国家から下さ
れ、そして国民たる日本人
自身の親たちが子に仕込ん
できた。
現代でもともかく排除排外
排斥を旨とする日本人たち
が異様に多い。
心美しい人たちもいる中、
とても残念で醜悪な人間の
利己主義を見せまくってい
る。
まるで「蜘蛛の糸」の話の
ように。
得てして、人ウケする金科
玉条や綺麗事を言葉の上だ
けで並べている人たちにそ
うした事例が多い。
80年前のきょう、ヒロシマ
に原子爆弾が投下された。
多くの人が死んだ。
なぜ?
なぜ0才児から老人まで、性
別も地位も立場も関係なく。
みんなどうして死ななけれ
ばならなかったの?
幼い子どもにこう尋ねられ
たら、貴方は何と答えます
か?