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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

原爆投下と被爆者差別

2025年08月06日 | open


ヒロシマ1945年8月

1979年4月中旬、大学に入
って直後
の事だ。
飲食店でお店の女性と話を
していたら、出身地を訊か
れた。自分はここ東京生ま
れで
ある、と告げた。
そして両親が広島県生まれ
ある事を告げた瞬間、年
上の店の女性
は私から距離
を置くように
座り直し、
「え?原爆とか
大丈夫なの?
人にうつるん
でしょ?」
と言った。

ああ、無知からくる自然発
生的な人間の差別的観念と
いうの
はこういうのをいう
のだろうな、
と思った。
「被爆による放射能被曝は
人には
うつらない。感染な
どしな
い。ただ、爆心地で
ある広
島市内に原爆投下直
後に赴いて
救護活動してい
た人た
ちの多くは残留放射
能によって被曝してしまった」

と説明した。小中学校で社
会科の時間に習ってきた事
を私は述べた。

広島県出身の父や母から
いていた「原爆被爆者へ

差別」という教科書には載っ
ていない現実というのはこれ
か、
と感じた。
まだ18才の時だった。
たまたま私の両親は爆心地
から数十キロ以上離れてい
た場所にいたので、直接の
原爆の被爆には遭わなかっ
た。

それはたまたまであるだけ
の事だ。ほんの偶然でしか
ない。
空から悪魔の落とし物のよ
うに降りまくる焼夷弾から
命からがら業火の中を逃げ
回っていた経験を持ってい
ても。

しかし、重大な事がある。
原爆による黒い雨は広島市
から100km
程離れた広島県
福山市でも
降ったという証
言を私の母
はしている。私
の母の姉妹
たちも。
それ、もしかすると被曝し
ているのではなかろうか。
被爆者認定の該当者では
なくとも。

同じ原爆被爆県内である広
島県
内でも被爆者に対する
えげ
つない筆舌に尽くせぬ
差別が相当あったと
広島県
内の古老たちからよく耳

する。

同じ県内でもあるのだから、
同じ国内でもあるのはこの
国の流れ
だろう。
同じ国の同胞が苦しんで死
んでいっ
た事には心が向か
わない。

自分の安寧だけを求めて人
を排除、排外しようとする。
これらは、行政や制度の問
題ではなく、人間的資質の
問題に負うところが大きい。
人の心の在り方の。

そして、その人の心を育て
ず人を排除排斥する事を旨
とする教育が続けられてき
た問題があるだろう。
その教育は、国家から下さ
れ、そして国民たる日本人
自身の親たちが子に仕込ん
できた。
現代でもともかく排除排外
排斥を旨とす
る日本人たち
が異様に多い。

心美しい人たちもいる中、
とても残念で醜悪な人間の
利己主義を見せまくってい
る。
まるで「蜘蛛の糸」の話の
ように。
得てして、人ウケする金科
玉条や綺麗事を言葉の上だ
けで並べている人たちにそ
うした事例が多い。

80年前のきょう、ヒロシマ
に原子爆弾が投下された。
多くの人が死んだ。
なぜ?
なぜ0才児から老人まで、性
別も地位も立場も関係なく。
みんなどうして死ななけれ
ばならなかったの?
幼い子どもにこう尋ねられ
たら、貴方は何と答えます
か?

 
 
 
 
 

 
  
 




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