「も、申し訳ございません!!」
目の前で黄金の髪をした、美しい女がそう言って泣きわめいている。それを前にして、うちはイドラこと、千手イドラは宇宙を背負った。
子ども??????
え、子ども??????
そうだ、目の前の女は千手扉間の子どもを孕んでいると言うではないか。
それに、イドラは、顔をぱああああああああと輝かせた。
「それはめでたいですね!!!」
弾んだ声でそう叫べば、頭を下げていた女、波風ウミはそれに思わず顔を上げた。目の前の、千手扉間の本妻であるはずの女は、もう、輝かんばかりの笑顔をウミに向けた。
ウミの顔には、思いっきり困惑の文字が浮んでいた。そんなことも気にせずに、イドラはもう、文字通り踊り出すほどにうれしがった。
というより、もう踊っていた。
立ち上がって、るんるん気分で両手を挙げて体を揺らしていた。
その場に千手アカリでもいればイドラに踊るのを止めさせていただろう。哀れになるほどに、ウミは困惑しながら目の前で踊り始めるイドラを見つめていた。
本妻に妊娠報告をしたら、にっこにこ笑顔で踊り始めた。
もう、恐怖しかない。というか、ウミは怯えて震えていた。
が、そんな普通の人間の繊細さなど意に返さないわんころはもう、有頂天だった。
(扉間様の赤ちゃん!!)
もう、何が嬉しいのかわからない程度に嬉しかった。扉間の血を受け継ぐ子どもというだけで嬉しさが爆発していた。
あまりにも、間男ならぬ間女への扱いとしては間違いすぎていた。
が、残念ながら、その女は本心として嬉しかったのだ。
その嬉しさの起因がどこにあるのかわからずとも、ただ、ただ、嬉しくて。
イドラはるんるん気分で踊っていたが、はっと我に返る。こんなことをしている場合ではないのだ。
「ウミ様!」
「は、はい!その、私としても、奥様と扉間様のことを邪魔する気は・・・・」
「寒くないですか!?」
「へ?」
思わず声を出したが、イドラはウミに近づいて口を開く。
「妊婦に対してあまりにもぞんざいでした!あ、妊婦の方なら、もう少し精のつくものが嬉しいですよね!!」
「え、あの・・・」
「お待ちください!!!なんか、こう、なんか、おいしい物を作りますから!!」
イドラはそう言ってその場から駆けだした。それをウミが茫然と見送った。
「・・・・そう言えば、扉間様にお伝えしないといけませんね。」
「え、あ、そうですよね!?」
イドラのそれにウミが思い出したかのように頷いた。現在、ウミは何故かイドラに髪を乾かされていた。
外を見ればとっぷりと日が暮れている。
その後、ウミはイドラにもてなされていた。意味がわからないが、そうなのだから仕方が無い。
イドラは一族内で教わった妊婦に嬉しい食べ物を買い込み、ウミに出した。その後は、寒くはないかと上着を引っ張り出し、なにを思ったのか、座布団を部屋に敷き詰めたりした。
夜になれば、風呂を焚き、ウミを入れ、そうして夫の妾というか浮気相手であるそれの髪を自ら梳かして世話をしている。
ウミは思う。
可笑しい、明らかに自分にするような態度ではない。
今のところ、誰よりもウミが困惑していた。いや、世話されるままにもてなされているその女も女なのだが、一番に動揺しなくてはいけないイドラの態度に飲まれているので仕方が無い。
「あ、あの、それで私のことですが・・・・」
「・・・ご安心ください、ウミ様。」
イドラはウミの手を取って、にっこりと笑った。
「必ずや、あなたの存在を認めて貰い、扉間様と暮らせるようにしてみせますので!!」
たぶん、色々と間違っている。間女としての経験など皆無のウミでさえも、そんな確信があった。
そんなウミの困惑など気にもとめずに、イドラはうっきうきだった。何故って、イドラは子どもが好きだ。これから、何者にでもなれるような生き物を愛おしがらない理由など無いだろう。
服の上からではわからないけれど、それでも、少しだけ膨らんだ腹を見てイドラは目を細めた。
イドラは扉間が好きだ。自分の存在を受け入れ、なんだかんだでものすごい勢いで振り回し、迷惑をかけているイドラを許してくれる彼が好きだ。
それは、イドラ自身、飼い主を慕う犬並の忠誠心と親しみだった。
(御子が出来るほど、扉間様から想われている方です!しっかりとお守りしなくては!)
イドラの背後にぶんぶんとうなりを上げる勢いで振り回される尻尾を幻視するぐらいにはふんすふんすと鼻息を荒くした。
嬉しいなあ、嬉しいなあ。
扉間様の家族が増えるんだ。それは、とてもいいことだ。それは、とっても、嬉しいことだ。
(いいえ、扉間様の妻の私にとっても、家族が増えると言っても過言では無いのでは!?)
なんて戯言も思い浮かぶ。
けれど、そうであるとするのなら、イドラはとても嬉しいと想う。
ずっと、いなくなるばかりの誰かのことを見つめていた。いなくなって、振り返ってくれない、去って行く誰かばかりだった。
けれど、家族が多くなると言うのなら、それ以上に嬉しいこともないだろう。
「・・・・ただ、私と扉間様の婚姻には色々と誓約というか、重大な意味がありますので。なので、あなたには窮屈な思いをさせると想いますが。許してくださればと。」
「・・・あ、あの、私は。」
ウミはそれに何か、ひどく困惑し、そうして、思い悩むように視線を畳に向けた。それをイドラは、彼女にとって今の立場に不安を感じているが故を察した。
「大丈夫です!」
「それは・・・・」
「あなたのことは、私が守りますから。」
イドラは女の、細くて白い手を握った。それにウミは顔をしかめ、震える声で言った。
「・・・・どうして、そこまで言ってくださるんですか?私の腹に、扉間様の子がいるからですか?」
「もちろん、それもあります。でも、それ以上に。」
あなたは、この里の人間なのだから。
「ならば、あなたのことは私が守りましょう。何があっても、産まれてくると言うのなら、その母にも、その子にも、確かに祝福があって当然なのだから。」
それにウミは泣いた。幼い子どものような顔で、ただ、ただ、苦しそうに泣いた。
(まずは、扉間様に伝えなくては。)
イドラもさすがに学習した。
この状態を素直にアカリや、己の兄弟に伝えればまさしくこの里は血で染まるだろう。というか、千手とうちはでもう一回戦争が勃発するのは目に見えている。
なので、まずは本人である扉間に伝えるべきだとイドラも理解していた。
その前に見ず知らずの女の言葉を信じて家に上げる時点で色々ダメなのだが、それについては気にしてもダメだろう。
が、そんなことはイドラにとっては関係ない。何故って、彼女には波風という家名を背負った女が産む子どもが、扉間の血を引くと疑っていなかったのだ。
もちろん、それは、波風ミナトという青年の存在があるのだが、それはイドラだけにしかもたらされない確信だ。
なので、イドラはともかくと待つことにした。アカリから、もうすぐ扉間たちの仕事もそろそろ一段落付くのだという。
ならば、少しの間は待っておいてもいいはずだ。
なんていうのは言い訳で。
「う、うっううう。」
(・・・泣いてる。)
イドラはそっと起き上がり、自分に背を向ける女の背を撫でた。
「気分が悪いですか?水でも持ってきましょうか。」
それにウミは首を振った。それにイドラはうなずき、そのまま背をなで続けた。
ウミは何故か、よく泣いた。泣いて、怯えるように体を震わせていた。イドラにはそれが何故かはわからない。ただ、ウミの立場を考えれば、こんなにも不安定な今が不安なんだろう。
だから、イドラはウミの背を撫でながら、大丈夫だと背を撫でた。
ウミはイドラに聞いた。
何故、そんなにも嬉しそうなのだと。ああ、だって、妻であるイドラにとって自分はじゃまであるはずだろうと。
(そりゃあ、私と扉間様はこれ以上無いほどに政略結婚なわけでして。)
なので、傷つくとか悲しいとか、そんな次元にいないのだ。どちらかというと、扉間の過剰な慈悲によって成り立っている身だ。
今想うと本当にひどいな自分のやらかし。
イドラはそっと、改めて扉間のために出来ることはしようと誓った。
けれど、イドラがそんなにもウミに優しいのは他にも理由があった。
「だって、嬉しいんですよお。こうやって、当たり前のように、赤子が生まれることを私は祝福できる。嬉しいなあ、本当に、嬉しいんですよ。」
イドラはそう言って、ウミの背を撫でて、そうして腹を見つめた。
「一族の女に子が出来ると聞いて、嬉しいとか、そう思うよりも、この子はいくつで死ぬんだろうか。ああ、いったい、いつ、葬式を出すんだろうと考えることの方が多かったから。」
今はねえ、そんなことを考えなくて良いから嬉しいんです。
ウミはそれに、何故かいつだって苦しそうに、泣いていた。
イドラにはそれが何故かわからない。わからないけれど、そんなとき、イドラはそっとウミのことを抱きしめてやるのだ。
まるで、泣きじゃくる幼子をあやす母のように。そうすると、ウミは泣き疲れて眠ってしまうことが常だった。
(・・・でも、やっぱりミナトさんの、おじいちゃん?お父さん?いいえ、女の子かも。まあ、それはいいとして。産まれたら、表沙汰には出来ないでしょうし。このまま、私が後見人てことにして、私経由で遺産相続とかだけでもしてあげるのがいいのかな?)
イドラはウミを見て、にこにこと笑う。
その、命を抱えた女が愛おしいのだ。
(扉間様の赤ちゃん、可愛いだろうなあ。というか、その場合、広間にお兄ちゃんが出来るのか。嬉しいかなあ。扉間様帰ってこないし、おくるみを縫ってしまった。ちゃんと、千手の意匠も縫い付けましたし。)
何を自分の子より先におくるみを縫ってんだという話だが、残念ながら扉間の赤ちゃんというものに魅入られまくっている女にそれを突っ込む人間はいなかった。
イドラの頭は孫フィーバーに浮かれる祖父母の境地だった。
そこに扉間がいれば、なんでお前はそうなんだとちょっと泣きたくなっただろう。
イドラはじっと、女の腹を見た。そうして、己のぺったんこの腹を見た。
(・・・でも、いいなあ。)
イドラは女の美しい金の髪を見つめて、少しだけ悲しそうな顔をした。
(私も、扉間様の赤ちゃん欲しいなあ。)
そう思いつつ、女はそのまま布団に潜り込んだ。
帰ってこない。まあ、扉間が帰ってこない。
「と、いうわけで来てみました!」
「イドラ様!?」
ででんとやってきたのは仮設の仕事場だ。そこには、ゾンビ並みに顔色の悪い千手やうちはの人間が歩き回っている。
そうして、有名人であるイドラの姿に皆がざわめいた。そこに、ふらっふらのうちはヒカクが近づいてくる。
「どうされたんですか?」
「あ、ヒカク。なんか、すっごい隈が・・・・」
「あ、この頃、忙しくてですね。それよりも、どうかされましたか?」
「いえ、扉間様がまったく帰ってこないので。心配になりまして。あ、あと、差し入れです。」
ちゃーんと差し出した包みにヒカクがああと納得した。
「そうでしたね。結婚したばかりだというのに。お労しい・・・・」
「一目で良いので、会いたいのですが。」
それにヒカクは少しだけ悩んだ後、頷いた。
「そうですね。何はともあれ、癒やしぐらいはあったほうがよさそうですから。」
仮設のそこをイドラが歩くと、どんよりとした空気がその陽の気に当てられて少しだけ明るくなったように思われた。中には、明るすぎて逆にしおしおになる人間もいたが気にしなくて良いだろう。
そうして、たどり着いた、四人の執務室は、はっきり言おう何か、瘴気みたいなものが漏れ出ていそうなほどに淀んでいた。
案内されたイドラは、恐る恐る扉を叩いた。
「・・・はいってよい、ぞ。」
覇気の無い柱間のそれに、イドラは恐る恐る扉を開けた。
そこには、目が死んでいる兄や弟の姿があった。
「は?イドラ?」
いち早く正気に戻ったのはうちはマダラだった。彼は、今までに無いぐらい目の下に隈を作った兄がいた。
「・・・ああ、本当だ。」
そうして、近づいてきたのは半泣きで机に向かっている柱間の側にいた千手アカリだった。
「どうしたんだ?」
「扉間様が帰ってこられないので心配で。」
などと言っているが、そのわんころはこれから産まれてくる波風の子に関心がいきっぱなしでこの頃扉間のことを若干忘れ気味だったのは内緒の話だ。
それにアカリはああと頷いて、マダラやイズナ、そうして柱間に声をかける。
「・・・会わせて良いのか?」
「いや、もう、色々と限界だろうあれ。」
「なんか気力が回復するんなら会わせて良いと思うよ。」
「このままだと、扉間の奴過労死するぞ。」
イドラはきょろきょろと部屋の中に扉間を探すが、書類の山ばかりで彼の姿が見えない。振り返ったアカリが手招きをした。
「扉間ならあそこだ。」
それに視線を向けると、そこには堆く積まれた巻物などの山だ。それにイドラははっと気づいて、山の裏側に回る。
そこには、死んだ目で、くっきりと残った隈を抱えた扉間がキマッた目で何かを書付けていた。
思わずマダラたちを見たが、皆、すまんと手を上げた。
「そいつ、この頃ずっとその机から動いてないんだ。何か腹に入れさせたいから、声をかけてみてくれ。」
言われてみれば、なんだか扉間は臭った。激しい運動をしていないとはいえ、清潔からはほど遠い。イドラは意を決して、扉間の太ももを叩いた。
「扉間様!」
それにようやく扉間の視線がイドラに向けられた。扉間はイドラを視界に入れると、筆を置き、そうして大きくため息を吐いた。そうして、無言でイドラを抱き上げて己の膝の上に載せる。
扉間はそのままイドラのほっぺたを無言で揉み出した。
イドラは何故だという顔でそれに甘んじた。
「・・・・姉者。」
「なんだ?」
「ワシはもうダメかもしれん。」
「どうした?」
「イドラの幻覚まで見え始めた。」
「扉間、それ本物だぞ。」
「本物、ほんもの・・・・・」
扉間はぶつぶつ良いながらイドラの胸を揉み出した。細めの女が多いうちはの中で、そこそこ大きめのそれを無言で揉む。
イドラは意味がわからずに固まった。
「・・・あれ、アウトか?」
「いや、もう正気じゃないぞ?」
「まじで酷使しすぎたな。」
「しょうが無いよ。新しく大きめの商談と、大名達との謁見の調整に、護衛の選抜とかが一気に来たからねえ。」
書類の山に囲まれた扉間をのぞき込みながら、柱間たちはそんなことを好き勝手に言った。マダラやイズナたちが扉間のそれに怒らなかったのは、その手つきがいやらしさというよりは、可愛がっている犬に久方ぶりにあって腹を撫でるような手つきに似ていたせいだ。
というか、一番こういった仕事が得意な扉間を酷使しているという自覚がそれぞれにあったため、まあ、これで済むなら放っておいてやるかと思っていたのだ。
新婚を長いこと仕事場に縛り付けた罪悪感も確かに存在していた。
そんなことなどつゆ知らず、扉間はやわっこいそれを揉みながら、肺いっぱいにこの幻覚の匂いを嗅いだ。
久方ぶりの感触に、そうして、あの待ちに待った匂いだ。
日の光の下でたらふく遊んだ子どものような、けれど、どこか甘い、良い匂いの最高峰と言えるそれに扉間は脳が溶けるような感覚がした。
ああああああああ、もう仕事したくねえなあ。このままこの柔っこいのに包まれて寝たいなあなんてことを扉間は考える。
けれど、ほっぺたをぺちぺちと叩くそれで、ようやく沈みそうな意識を引っ張り上げた。
「とーびーらーま、さーまー!」
「なんだ?」
扉間はようやく、若干思考を正常に戻し始めた。
なんでいるんだだとか、どうしたんだとか、そんな言葉が出そうになるが、結構な長い間放置している自分では、なぜ来たなんてどの口が言えるという話だ。
そのため、言葉少なにそう言うと、イドラはにぱああと笑った。
その犬っぽくて、けれど、やっぱり見目麗しい女であるイドラの満面の笑みに扉間は、脳内で馬鹿みたいに思った。
あああああ、可愛いなこいつは。
疲れていたのだ、どこまでも、思考として、徹底的に。
といっても、扉間自身、朴念仁というわけではない。それ相応の欲もあるし、美醜もわかる。ただ、その思考を切り捨てられる程度にリアリストなだけだ。
けれど、やっぱり、姫君という言葉がよく似合う、愛らしい女が全力で大好きだとみてわかる笑みを自分に向けてくるとそんなばかみたいな考えだって浮んでくるのだ。
全力で自分に懐いて、心配そうに見つめてくる、愛らしいそれは忍というそれから本当に遠い。しみじみとまた、これはよくこんな世界で生きて来れたなあと、生かし続けたマダラに感心する。
イドラは扉間の返事にくすくすと少女のように笑って、これ以上嬉しいことはないのだというように小首を傾げた。甘えるように上目遣いをするそれは、子犬のような愛らしさと共に、妙な色香も漂わせていた。
(愛らしい、いや、外見が。客観的に見て、愛らしいんだ、こいつは本当に。)
今までしてきたやらかしは酷すぎるのだが。
そんなことを考えていると、イドラはそっと、扉間の耳元で囁いた。
「あのですねえ、扉間様。うれしいことがあるんです。」
「だから、なんだ?」
イドラはそれに、こっそりと、扉間にしか聞こえない声量で囁いた。
「扉間様の赤ちゃんが出来たんですよ!」
色々と主語の抜け落ちたそれに扉間の目がかっと見開かれた。そうしてまた、一つの騒動が動き出したのだ。