扉間さんは猫を吸うみたいな感覚でイドラさんの頬をつまんでます。
「嫌では無かったのか?」
そう言われたとき、うちはイドラはなんと言えば良いのか、わからなかった。
それは丁度、イドラに同情し始めた長老達からの問いかけだった。
例え、何があったとしても、お前の愛した男は、その一族はお前の愛した誰かを殺したのに。
それにイドラは、不思議と、無意識のうちに笑みを浮かべていた。それは歓喜の笑みだとかでは無くて、どんな顔をすれば良いのかわからないというような、そんな表情だった。
じっと、自分を見ている老いた人たち。
彼らはイドラのことを見ていた。イドラの本心を見ていた。彼女はそれに、取り繕うだとか、そんなことを考えることも無かった。
ただ、以前のように、するりと言葉を吐いた。
「もしも、私が子を産んだとき。その子に同じ目にあって欲しくないんです。」
もう、子の葬式に出たくないんです。うんざりしているんです。
イドラはじっと、その、老いた瞳をのぞき込んだ。苦しいことも、悲しいことも、散々に見てきた瞳を、じっと見つめた。
「扉間様のことは好きです。優しい人です。厳しくて、でも、誰かのために生きれる方です。」
イドラの脳裏には夢の中で見た男のことを思い出した。きっと、きっとと、イドラは笑った。
「私が死んでも、扉間様は、誰かを憎むんじゃなくて、誰とも争わない選択をしてくださるだろうから。」
だから、好きです。だから、私は。
「扉間様には幸せになって欲しいんです。」
それに長老達は、そうだ、胸を打たれてしまったのだ。
それは、恨んでいるのは嘘ではないと言った。それは、憎んでいないとは言わなかった。
ただ、彼女は、幼い子どもたちのことを、大人になった彼らのことを思っていた。
怨めと囁く声がした。
けれど、彼らにだって、愛しい子どもたちが、幼い子どもが近くにいて。
だから、だろうか。
信じてみたいと、思ってしまう自分がいた。
そこまでか。
ああ、そこまで、無垢に笑う娘よ。その裏に、傷を抱えた女よ。
お前は、扉間を愛しているのか。
長老達はそれに見ていたくなった。その、女のことを。その女を愛した扉間のことを、ただ。
それは扉間がくるまでに交わされた会話だった。
まあ、んな純愛要素がその二人にあるわけはないのだが。
それはそうとして、千手扉間は固まっていた。
好きな人?
自分に、好きな人?
いや、その前にこの女、何言ってるんだ?何故、自分にこれからいい仲になる人間が出来るのが前提なんだ?
いいや、その前に、何を自分で身を引く気まんまんなんだ?
扉間はこの頃珍しくないような、宇宙を背負いながらイドラを見た。
そんなイドラは驚いている扉間にああと思う。
(扉間様、そうですよね。驚いておられますよね。扉間様、なんだかんだで真面目な方。私に気を遣われて言い出せないでしょうが。ご安心を、私、これでも忍ですので。)
扉間が聞いていれば、固まっている理由から全て遠のいているし、何よりも、忍関係ねえし、つーか、お前は忍を名乗っていいのか?
全てをわかっていますよと言う慈悲深いそれに扉間は正気に戻った。
こいつ、まためんどくせえ勘違いを振りまこうとしてやがる。
「いらん気を使うな!先ほども言ったが、ワシと貴様の婚姻は和平に重要な物だ!それを、他の女の存在を赦せなんぞ言えば、貴様の兄弟がどうなるかわかるだろうが!?」
「で、ですが、今回の婚姻は私の、ものすごい巻き込み事故で、なので、扉間様には幸せになっていただきたく。」
「それを余計なことだと言っているんだ!元より、ワシは誰とも婚姻を結ぶ気はなかった。女など、貴様一人で十分だ!」
女にはこりごりである。それは扉間の素直な感想だった。
それにイドラはむううと幼子のように口をとんがらせた。そうして、扉間に言った。
「扉間様は妻の役割というものを理解していないのです。母様が言っておられました。男性というのは、外では変に肩を張ってしまうもの。それを癒して差し上げる。それこそが、妻の役割です。扉間様は真面目な方。家庭で癒してくださる方が必要なのです!」
それに扉間はすんとどこぞのスナギツネのような顔をした。
自分の妻はお前なのだから、それはお前がするべきだろうが。
扉間は目の前のそれの独特の価値観をどう攻略すればいいのかわからなかった。ただ、今、目の前の妾、どんと来いみたいな感覚をなんとかしなければ百パーセントで、柱間とうちは兄弟からの諸諸が来る。
簡単に言うと、真数千手だとか、須佐能于だとかが来る。
さすがにそれは死ぬと扉間も理解していた。
「もう、貴様でいいだろう……」
「何を言うのですか!こういったことに妥協してどうするんですか!?」
逆に聞かせて欲しい。お前こそ、なんでそんなに必死なんだ。
「あ、ご安心ください。もしも、妾様や他の女性に癒やしを求めても、ちゃんと私が守ってあげます。私は、あなたのことを愛していないので。」
は?
は?????????
何言ってるんだ、こいつは。
「すでにばれているようなので、素直に話すのなら、今回の、その、諸諸は私が和平のために行った、その、狂言の部分が大きいです。なので、正直言えば、いえ!扉間様は非常に魅力的な方です!ですが、男女の関係等については、こう、ぴんと来ず。」
そのイドラの言葉を扉間は確かに聞いていた。聞いていたし、理解していた。けれど、頭の中ははてなで一杯だった。
頭の中には、今までイドラにされたこと、ほっぺたへのそれやら、夜に男の布団に潜り込む(ねぼけて)ことやらが一緒に浮かんでいる。
お前、え、あんだけ自分に尻尾振り回して、おまけに好意ダダ漏れのくせに愛してないってか?
(こいつ、好いてもいない男にあんなことをするのか?)
ふざけないで欲しい。うちはの教育を疑ってしまう。湧き上がった怒りの中で、ふと、扉間はイドラのつけているかんざしに意識を正した。
それは、自分がやらかした、まあ、かんざしの破壊である。
それに扉間は自分の行いを振り返った。
いや、確かに自分のしたことは最低だった。
自分に好いて欲しいから、かんざしを買った。健気な話だ。扉間自身も、ちょっと、かんざしを奮発してしまった自覚はある。
なんだかんだ、イドラからのわかりやすい歩み寄りだった。
もしかして、だ。あの一件で自分の信頼、めちゃくちゃ墜ちてんじゃねえか?
普通に考えれば、マダラへの告げ口があっても文句は言えない。けれど、イドラはすれ違いがあったからと収めたわけだ。
この天然は、自分じゃ愛せる自信が無いけど、扉間には幸せになって欲しい。そうだ、妾をもってもらおう。
(こいつの思考回路なら、ありえる。)
扉間は頭を抱えた。いや、確かに発端は自分だ。やったことも悪い。いや、イドラにも責任がないわけではないが。それはそうとして、全体的に自分が悪い。
扉間はなんとか、イドラに思いとどまって貰おうと口を開こうとした。
その時、イドラがおずおずと口を開いた。
「……それに。その、扉間、様。先ほどのことなんですが。」
「先ほど。」
イドラは顔を下に向けて、そうして、ぼそぼそと言った。見れば耳から首まで真っ赤になっている。
「さ、先ほど、古老様達の前で、その、口吸いをされましたが。」
「ああ。」
「あれで、私は、扉間様を支える自信も無くなりまして。」
「何故だ?」
扉間が不審そうに顔をしかめれば、イドラは真っ赤な顔を上げて扉間を見た。
「あ、あれだけで、私は心臓が止まるんじゃないかと思うほど、今だってばくばくしているんです!め、夫婦に成り、子を作るとき、もっとすごいことをするんですよ!?そんなことをしたら、私の心臓はもちません!!」
いや、まあ、それに扉間は思わず、こう、ギュウウン!!と来てしまったのだ。
扉間はぷるぷる震えながら、口元を手で覆い、イドラから顔を背けた。
(……こやつ、本当に、どうしてやろうか。)
もう、自分でもイドラに対してなにをどう思っているのかわからない。ただ、こう、胸の中にギュンギュンと来るものがあって。
その扉間の様子に笑われていると思ったイドラは抗議の声を上げる。
「扉間様と違って、私は兄様とか、あと、従兄達ぐらいしか男性の方とは付き合いが無かったんです!血継限界のこともあるので、色事の任務もありませんでしたし。しかたがないんです!というか、あのようなこと、人前でするなんてありえません!!」
顔を真っ赤にして抗議の声を上げるイドラに、扉間は緩みそうになる口元を押さえて、彼女の方を見た。
「……ともかく、だ。お前の他に妻を迎える気はない。そういった性質の人間で無いことぐらい、わかるだろう。」
「でも……」
「慣れろ。」
断固としたそれにイドラはめしょっと顔を歪ませた。が、扉間は気にしない。そうして、少し、笑っていた。
あー、お前、やっぱり俺のこと好きなんだね。はいはい。
みたいなウザめのどや顔を晒していた。もちろん、そんなことにイドラが気づくはずも無く、何か機嫌がよさそうだなあなんてことしかわからなかった。
「ですが、扉間様。」
「なんだ、妾云々は……」
「結局、アカリ様のことはどうされるおつもりなんですか?」
それに扉間は黙り込んだ。いいや、けして、後ろめたいことがあるわけではないのだが。ただ、こう、色々と事情がある。
というか、ぶっちゃけた話、扉間は従姉に当たり、そうして早くに亡くなった母の代わりに色々と世話を焼いてくれた女のことがひどく苦手だった。
ちらりと、イドラを見た。
会わせなくてはいけないのだ。いいや、何があっても、アカリという女は千手の奥まった部分で一番に地位のある女だ。
ならば、彼女との接触は、イドラにとっては最重要であり、最優先しなくてはいけないこと。
「……あれとはただの利害関係の一致に過ぎん。時間を作って、会う時間は必ずもうけよう。」
「わかりました!」
そう言った扉間にイドラはぴょんと抱きついた。
「なんだ?」
「慣れる練習をしようかと。」
それに扉間の中でまた、こう、ぎゅんと来るものがあるわけで。
(……くそジジイ共にまた、話をしに行かねばな。)
そんなことを思いつつ、扉間は帰宅時から望んでいた、イドラの頬を思いっきりもちもちとつまんだ。