保存のきっかけは白血病の女子高生の日記

 広島に原爆を投下したB-29「エノラ・ゲイ」は今、アメリカのスミソニアン航空宇宙博物館の分館で、銀色のボディを光らせている。30年前、この展示とともに原爆の被害を示す計画は、退役軍人や米議会の一部の批判により頓挫した。2024年の世論調査でも、投下を正当化する声が半数を超えるのが、アメリカの現状である。

バージニア州のウドバー・ヘイジー分館に展示されている「エノラ・ゲイ」

 一方日本では1950年代に、広島市民の間からも「忌まわしい過去を思い出させるモノ」は消し去りたいと、原爆ドームの不要論が挙がった。60年代になると風化が進み、崩れるのも時間の問題になってきた。膨大な費用をかけて“廃墟”を残すくらいなら、他になすべき仕事があるという本音も聞こえた。ましてや文化財でもない。

 実は世界遺産になるには、当該国の“国内法”で保護されていることが必須の条件である。原爆ドームは、登録を目指すため1995年にやっと国の史跡に指定された。

 このように一時は取り壊される可能性が高かった原爆ドームだが、救うきっかけは、女子高生・楮山ヒロ子さんが書いた日記だった。「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろうか」

 1960年春、楮山さんは被爆が原因とみられる急性白血病のため16歳で亡くなった。少女の思いを受け継いで、友人の高校生たちが、原爆ドーム保存のために募金と署名活動を始めるのだ。この小さな運動の輪が広がり、やがて世論を動かす。広島市議会は、1966年に原爆ドームを永久保存することを決議した。

 世界遺産は、かけがえのない人類の宝を、世界中が協力して守っていくための制度である。けれど現実には、リストに加えられる名誉と引き換えに、保護・保全の義務が申請者の肩に重くのしかかる。

 原爆ドームの管理は広島市が担うが、「可能な限り、破壊された当時の状態を保つ」とする特殊な保存のあり方が、途轍もない困難を課している。煉瓦のヒビ割れた箇所には樹脂を注入して固め、倒れそうな壁は内側から鉄骨のブリッジを数十本も張り巡らせ支えた。さらに2万カ所にのぼるチェック項目をデータ化し、風雨や地震に対処できるようにしている。

 博物館に移さず、覆屋で囲うでもなく、昭和20年に人々がその眼に焼き付けた姿を、たとえ周囲は高層ビルが林立する光景に変わろうとも維持しつづけるのだ。

 楮山ヒロ子さんの後輩・三上栄子さんは、TBS「世界遺産」の中でこんな証言をしてくれた。「戦争の怖さを思い出させるから、壊した方が良い。壊れかけているものを、どうしてお金をかけて残すんだ。ずいぶん言われた……けれど残すことで、核の怖ろしさ・戦争の怖ろしさを伝える。目から消えるものは、心からも消える」

 世界遺産は何かと問われたら、この言葉にすべてが集約している。

(編集協力:春燈社 小西眞由美)