伝統的な発酵食 自然界最強と言われる毒素はなぜ発生した?
自然界最強の毒素を作り出す菌。菌が作った毒素がある食べ物から体内に入り、大変な目にあった女性がいる。
その女性は2022年2月、朝から体調がすぐれなかった。お腹を壊していたが、雑誌のライターをしておりこの日も取材でそば店にいた。店主に「よかったらおそば食べて行ってください!」と言われそばを頂くことに。食べる気にはなれなかったが、失礼かと思い、つゆを一口飲むと腹痛が。異常を感じたスタッフが自宅まで彼女を車で送った。
しかし、この頃には女性は足に力が入らなくなっていた。彼女の家には弟家族も住んでおり、その甥っ子に運ばれなんとかベッドへ。その後、女性はベッドの脇で動けなくなり救急搬送された。
彼女は血圧低下を起こしショック状態を起こしており、すぐに血圧を上げる昇圧剤と脱水を防ぐ点滴が行われた。
その翌朝、専門である消化器科に引き継がれ女性のCTを撮ったところ、腸閉塞を起こしていた。腸閉塞とは、何らかの原因により腸管内の食べ物などが詰まって腸管が塞がった状態のこと。その時のCT写真を見ると小腸に食べ物などが詰まっていた。
腸閉塞の場合、腸管内に水分がたまり、吸収がうまく行われないため脱水症状を引き起こす。彼女が発症した足に力が入らないなどの症状はこの脱水症状によるものだったが、この時、担当した医師もある食べ物による緊急事態とは思わなかった。
彼女の場合、ウイルスなどで腸ぜん動が鈍くなり起きた腸閉塞と思われた。
数時間後、女性は突然昏睡状態となり、呼吸が止まった。しかし呼吸停止は腸閉塞が原因では起こらない。
すぐに人工呼吸器を装着。肺の異常や心不全など心臓の異常を調べるが、異常なし。さらに、脳から肺へのシグナルも確認。これにより脳にも異常がないことが判明。
原因となるものを体内から排除しないと自発呼吸ができない、つまり人工呼吸器を外すことができない。そこで医師はある部分の異常を疑った。
「今、はっきりと見えてないですよね?」さらに「じゃあ次は腕を伸ばしていくので、頑張って曲げた状態でふんばってみてくださいね」と診察を行うが、女性は力が入らない。そして医師は「筋力低下を起こしていますね。おそらく肺の神経が何かに攻撃をされて呼吸筋が麻痺したんだと思います」と判断。
そこで医師たちは、呼吸筋麻痺で考えられる病名を候補として挙げていったが、恐ろしい菌による食中毒は入っていなかった。
なぜなら、その菌による食中毒は2000年からこの時まで国内でわずか6件しか発生しておらず、とんでもなく稀だったからだ。医師たちは原因と考えられる病気を1つ1つ疑い検査。しかし彼女の症状などと合致するものは見つからなかった。
現時点でお手上げの医師は脳神経内科のある病院への転院を相談。脳神経内科の医師には「夜分にすみません。病院に確認したんですが、病床がいっぱいで…」と転院を断られてしまう。そして、「ボツリヌス症の可能性は?」 と質問される。
ボツリヌス菌の作る毒素は「自然界最強の毒素」ともいわれ、その死亡率は5〜8%。
ボツリヌス菌が増殖の時に作り出す毒素は人体に異常を引きおこす。その毒素は、神経を攻撃し筋肉の動きを麻痺させ、最悪の場合、呼吸筋が麻痺して死に至ることがある。女性の症状はたしかにボツリヌス症の症状と酷似していた。
そこで医師は女性に症状の起きる前に食べたものを指差しで尋ねることに。すると「いずし」と示す女性。いずしとは、寒い地方で作られる伝統的な発酵食で、冷蔵技術がなかった時代、冬に漁ができない際に魚の保存食として生まれた料理。彼女は地方の知り合いの店で、店主からいずしをもらっていた。それは店主の友人の手作りでわざわざ真空パックにしてくれたものだった。
彼女はそれを半日放置してしまい、その後もらった翌日に3分の1ほど食べていた。
医師はすぐに保健所に連絡。食中毒の疑いがあると診断された場合、保健所に届け出る義務があるのだ。また、一般的な病院にはボツリヌス症に対する抗毒素血清はおかれていないため、保健所経由で手配する必要があり、国立感染症研究所から抗毒素血清を手配、投与した。
さらに、保健所の職員が女性の自宅から食べ物を回収。すると、自宅に残っていたいずしからボツリヌス毒素が検出された。
つまり、彼女はいずしによってボツリヌス毒素が体内へ入ったと考えられた。
しかし、もらったいずしは真空パック。未開封で一見大丈夫に思えるが、一体なぜボツリヌス症になったのか?
ボツリヌス菌は自然界に広く存在していて、野菜や肉、魚など普段口にするものにも含まれている。しかし、通常ボツリヌス菌は芽胞と呼ばれる状態で、毒素を出すことはなく、食べても全く問題はない。
だがボツリヌス菌は、ある条件になると増殖し毒素をつくり出す。ボツリヌス菌は缶詰や真空パックなどの酸素の少ない環境を好むのだ。特に30〜36℃の温度で最も活発になり、一気に増殖、大量の毒素を作り出す。
つまり真空パックにされてから彼女が食べるまでの間に、ボツリヌス菌が増殖し、大量の毒素を生み出した可能性がある。
彼女は35日も入院することになったが、幸い後遺症はなかった。いずしは適切な衛生管理、温度管理のもと作れば安全に食べることができる。しかし地方自治体では、手作りしたものは人にあげたり、もらったりしないように注意を呼びかけている。
