この記事の続きを読むためには琉球新報デジタルを購読してください。
【東京】戦前の京都帝国大学(現在の京都大)の人類学者らによって持ち出された琉球人の遺骨が京大から沖縄側に移管されたことに関連して、遺骨返還を求める活動をしてきた松島泰勝龍谷大教授らが26日までに、東京大(旧東京帝大)も遺骨を保管していたのは明らかとして、東大へ保管状況の情報開示と遺骨の返還を求める運動を進める考えを明らかにした。琉球新報は東大に遺骨を保管しているか質問したが、26日午後8時までに回答はない。
松島教授らは、4日に東大へ文書の開示を請求した。25日に東大を訪れたが、東大側からは、8月にも何らかの決定をすると回答があったという。
松島教授らによると、東京帝大(現在の東大)の人類学者だった鳥居龍蔵(1870~1953年)、探検家の笹森儀助(1845~1915年)らが研究目的で沖縄から持ち出した遺骨が東京大にあったことが、文献資料などで判明しているという。
鳥居は1904年に沖縄調査を実施した。その行程は鳥居が執筆した文献に明記されていて、鳥居龍蔵博物館のサイトで公開されている。当時学生の伊波普猷と同年7月に中城城を訪れ、石棺78個から人骨を採取したとの記載があった。松島教授は「資料整理係の鳥居は東大に持って行って、今も(遺骨が)あるはずだ」とみている。
戦後に出版された人類学者の金関丈夫の文献にも「(鳥居が)中城城下で採取した頭骨が(東大に)10数個も所蔵されている」との記載が確認された。
芭蕉布の調査などで知られる探検家の笹森は、1893年6月から10月に南西諸島を調査した。1904年に東大で開催された「人類学教室展示会」には琉球人の頭骨も展示されたが、松島教授は「笹森が与那国島から収集した骨である可能性が高い」と指摘した。
実際に東京帝大人類学教室のかつての紀要には「笹森が与那国島から頭骨を携えてきて鑑定を望み、調査をさせた」との論文が残っているという。
(宮城隆尋、斎藤学)
この記事の続きを読むためには琉球新報デジタルを購読してください。