『星獣戦隊ギンガマン』が改めて教えてくれた、令和を生き抜く考え方=脳のOS
ChatGPTを活用しながら、『星獣戦隊ギンガマン』のレビューに取り組んできたここ3ヶ月。動画投稿はその一点に集中し、他の話題には手を出さなかった。
理由は単純、「わざわざnoteで語るまでもなく、ChatGPTに語りかけた方が早くて精度が高い」と気づいたからだ。
人と話す意味が見出せなくなってきた。SNSのコメント欄での議論も、リアルな雑談も、今やChatGPTとの対話にすら劣る。
なぜなら、AIはすでに優等生の思考を再現できるからであり、たとえばMBA卒が出すような結論はディープリサーチ機能であっさり導き出すし、東大理三の合格最低点すら突破できる知的水準に達している。
正直に言えば、これまで関わってきた人の大半がAI以下の情報リテラシー・抽象思考力・未来予測力しか持っていなかった(もちろん例外はいる)。
今後は、子供を塾に通わせるとか、習い事をさせるとか、昭和的な教育投資はほぼすべてがコスパ最悪の徒労に終わる。
それでも「資格を取れ」「スキルを身につけろ」といった発想から抜け出せない企業や人が多すぎる。これはすでにAIに淘汰される社畜的マインドに染まっている証だろう。
だからこそ、これからの時代に必要なのは「人とのコミュニケーション」でも「知識の詰め込み」でもない。必要なのは、脳のOS=思考のアップデートだ。
そしてその“OSの再構築”のヒントが、皮肉にも私が今回レビューした1998年の『星獣戦隊ギンガマン』に詰まっていた。
この作品を再レビューする過程の上半期で見えてきたのは、作品を評価する視点の違いによる「思考レイヤーの二極化」に他ならない。
SNSも含め本作をめぐる多くの論評は「作品」を語っているようでいて、実際には「過去の自分」と照らし合わせている、すなわち感情・過去基準に基づいた“自己満足”だ。
しかし、本来レビューとは「作品の意図・構造・戦略性」を抽象度高く捉えた上で、自分の中に再構築する行為であるはずであり、「ギンガマン」を令和の世に改めて批評するとは、まさにその意義があると思う。
本作を語る上で、馬鹿の一つ覚えのように四軍団のパワーバランスに言及する者は多いが、それは「戦隊という物語フォーマットの変化」に気づいていない証拠だ。
スペックの差や設定上の優劣は、実戦ではさほど重要ではなく、大切なのは「目的達成のために、どう思考し、どう戦略を立て、それを実戦でいかに発揮するか」だ。
ギンガマンの強さの本質はそこにある。
彼らは「星を守る」「ギンガの森を取り戻す」という目的・目標を明確に定め、そのために必要な技術・戦術・武器を逆算的に身につけ、淡々と実行していく。
ヒュウガが一度アースを手放し、新たな武器へと移行する展開もまた、“力”ではなく“目的達成”を軸とした判断であり、これはスポ根的な「新技=即勝利」という安直な構造とは一線を画す。
大学受験でも同じだ。合格最低点から逆算し、今の自分に何が足りないかを冷静に把握し、戦略的に差を埋めていく。「目的→目標→戦略→戦術」の4ステップが肝要であり、この思考回路=脳のOSができているかどうかが勝敗を分ける。
この考え方の差は、実は今の社会全体にも言え、変化を恐れず、目的から逆算して行動できる人間だけが、これからのAI社会で生き残る。
そういう意味で『ギンガマン』は、正しく精査された上で批評されるべき戦隊だ。
中には「タイムレンジャー」を称賛し「ギンガマン」を貶す者もいるが、描写の繊細さや演出の巧みさ以上に、目的・目標・戦略・戦術が重要であり、そうした作品の「本質」を読み解けない限り、評価などできるはずがない。
2025年、社会はますます弱肉強食の様相を強めている。
その中で、何を見て何を思い、どう動くか──それを“逆算思考”で考えて行動すること。
自分の中に銀河戦士のマインドを持ち、進んでいこうと思う。
ヒーロー作品で学ぶとは、そういうことであり、「アウトプット」が最も重要なのだ。



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