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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

キャタピラの恩知らず(9)

2010-04-26 | Weblog
ある日の朝、情報が届いた。どちらの方面か分からないところから、人々が攻めてきて、大統領の政権を覆そうとしたという。人々は仰天した。いったいどこの誰が。分からないまま、人々は家に閉じこもった。数日間は、情報が錯綜した。そのうちラジオ放送が、政権の転覆を企てたのはキャタピラと同族の連中だ、と報じはじめた。つまり、隣国のキャタピラが、わが国を攻撃している。そして、わが国在住のキャタピラも、この反乱軍に加わろうとしている。

「いったい全体、なんでキャタピラが、そんな事をするのだ。」
ロベールは、ラジオを聞いて叫んだ。
「俺たちは、森を全部、彼らに渡したじゃないか。キャタピラが俺たちの娘たちと寝るのを、俺たちは大目に見てきたじゃないか。彼らの方は、決して自分たちの娘を外に出さないくせに。だいたいが彼らに手を差し出したら、体まで食べられる。あいつらキャタピラは、どうしようもない連中だ。」

数日間経ち、ラジオは、わが軍隊とキャタピラの軍隊との間で、激しい戦闘が繰り返されていると伝えた。ラジオは、若者たちに、救国のためにわが軍に参加するように呼びかけた。戦闘の前線からはかなり離れていたけれども、この地方にも国軍がやってきて駐留した。大統領出身の地域だから、万が一にもキャタピラの手に落ちてはいけない、ということだった。兵士たちは、キャタピラ軍の残虐ぶりを、村人たちに語った。彼らは、絶対に死なないお守りを身につけ、殺した兵士の心臓を剔って食べ、見つけた女を老若を問わず片端から手籠めにし、携帯電話を全て奪って首からぶら下げるのだ。

村人たちは互いに顔を見合わせ、恐ろしさに震えた。ロベールは、自警団を作ることにした。そして村の入り口に検問所を築き、猟銃と弓矢で武装した。夜間は入り口を閉じて、誰も出入りできないようにした。しばらく後に、政府軍とキャタピラの軍との間に、停戦が宣言された。国の北半分は、キャタピラに占領されてしまった。別の軍隊がやってきて、政府軍と反乱軍の間に入り込んで、南北を引き離した。

ロベールは国会議員に呼ばれた。戻ってきて皆に言った。中央からの指示で、キャタピラを地方から抹殺せよということだ。誰もがこの決定に賛同した。これだけ親切にしてきてやったのに、いきなり喉元に刀を突きつけるような恩知らずな連中とは、もう一緒には生活できやしない。
「そして、農園を取り返すのだ。われわれ自身で農園を経営して、彼らが村に帰ってこようにも、もう何も取り戻すものがないようにしよう。」
ロベールは皆に言った。

ロベールは、作戦を指揮した。町に出かけて、憲兵を4人連れてきた。憲兵たちは銃とピストルを持っていた。キャタピラ側も銃で武装していることは分かっている。村には5丁しか猟銃がなかったし、いずれにしても大作戦には援軍が必要だったからだ。戦闘要員と決まった村の男たちは、呪術師のところに出かけてお守りを作ってもらい、弾に当たらない術をかけてもらった。呪術師は、お金とジンの瓶と、反物と羊を2匹要求した。国会議員が、その代金を払った。

キャタピラの村から外に出る道をすべて封鎖したあと、百人にのぼる村の男たちが、キャタピラの村に夜陰に乗じて攻め込んだ。驚いたことに、キャタピラはまた雲散霧消して、村からいなくなっていた。
「何ということだ。キャタピラは、われわれが攻めようとすると、いつもこの調子で、一足先に逃げている。不正直で、不真面目で、全くつき合いきれない連中だ。」
ロベールは憤慨した。キャタピラの村中、家々を捜索した。誰も残っておらず、略奪しようにも何もなかった。明らかにキャタピラは、数日ほど前に、すべての財産と一緒に村から待避していた。ロベールたちは、キャタピラの村の全ての家に火を付けて、ことごとく焼き払った。

ロベールたちが村に戻ってきたら、村で一緒に住んでいたキャタピラたちも、全て居なくなっていた。彼らの家も徹底的に略奪された。この地方の他の村では抵抗したキャタピラもいて、キャタピラ側にも村人側にも多くの死者が出た。村人側の死者が出たことは、また更に村人側の怒りを高めた。この地方のキャタピラの村々は、ことごとく焼き払われた。

【解説】2002年11月に、北部から反乱軍が蜂起し、バグボ大統領の政府軍との間で内戦が始まった。反乱軍もアビジャン攻略までには及ばず、その一方で政府軍も反乱軍を制圧することができず、コートジボワールは南北分裂の状態を迎える。その混乱の期間に、地方の各地で、北部部族と南部部族の対立や迫害が繰り返された。小説では、南部の村での、北部出身の移民たちへの迫害を描く。一方北部では、南部部族出身の人々への迫害が起こっていた。戦争が始まると、これまで普通の市民だった人々が、冷酷な迫害者に変貌する。そして、人々が平和に暮らしていた社会に、癒しがたい傷を残す。私は、これと同じことを、コソボで見聞きした。

(続く)

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