昨年の「柔道日本大使杯」に引き続き、今年は「空手日本大使杯」を開催することになった。コートジボワールの空手界でも、昔は「日本大使杯」が行われていたけれど、いろいろな経緯があって、1988年以来開催されていなかったという。それが22年振りに、復活する運びとなったわけである。
150人あまりのコートジボワール人空手選手から、何日かかけて選抜され、勝ち残った28人が今日の朝から試合を行っている。私は、あと準決勝戦と決勝戦だけ残したところで、会場に登場し、満場の人々に手を振って挨拶。さっそく、演説台に呼ばれた。
「ここにこうして、空手の日本大使杯を復活することができて、喜ばしい限りです。私は、日本大使として、あらゆる日本の武道が盛んになることを期待します。」
そういうような挨拶を一通りしてから、本論に移る。
「日本の武道は、空手道だけでなく、柔道、剣道、合気道、みな「ドウ」が付きますね。「ドウ」というのは、「道」という意味です。道といって、どこへ行く道か。より完全な人格に至る道です。つまり、日本の武道は、単なるスポーツではない、相手を倒す競技というよりも、自己形成のための道筋なのです。」
「日本には、武士道という伝統がありました。「サムライ」の道です。サムライというのは、丁髷を結って刀を差した、江戸時代の戦士のことを指すと思われています。でも、ほんとうのところは、単なる戦士という意味ではなく、支配階級の人々という意味なのです。そして、支配階級であるからこそ、特別に求められる責任と役割がありました。決して自分と自分の周りの人々だけの利益を、利己的に追求するのではいけない。社会秩序全体の利益を、そして他の階級の人々の利益を、考えなければいけない。ここで「道」とは、支配者であるが故に求められた、高貴な義務を意味していました。」
「さらに、空手道では、「規律」ということを重んじます。目上の人や、年長者を尊敬すること、他の人々が行っていることをきちんと尊重すること、自分の好き嫌いだけでなく、社会のルールに従って行動することを学びます。こうした規律を重んじる価値観は、コートジボワールの伝統社会の中には、同じく存在するのです。ところが、こうした価値観が、現代社会の中では失われている。コートジボワールの社会に、もう少し規律を重んじる気持ちがあれば、社会全体としてずいぶん調和を以て動けるのに、と残念に思うことがあります。」
そういう話をしてから、私は、日本が発展したのは、こうした「道」の精神や、規律を重んじる社会があったからだ、そして、空手道を実践する人々こそ、それを良く理解して、国の発展と安定のために貢献できるのだ、と説く。空手家は、日本精神をコートジボワールの中で代表しているという意味で、一人一人が日本大使である、と述べて喝采を受ける。
席に戻ったら、隣にいる青年スポーツ省の総局長が、私に言う。大使の今の演説、これはあれですね、コートジボワールの政治家たちに聞かせてやらなければいけませんね。総局長は、ちゃんと気付いたようである。選挙に勝ったからと言って、自分の身内に利権を配ったり、税金で自家用車を買ったりするようではいけない、とまではっきりと言うのはよしたけれど、私は暗にコートジボワールの支配階級の態度を批判したのである。
さて、道着を着た子供たちが7人、畳の上に登場した。これから、スポーツによる平和のメッセージを読み上げるという。司会がマイクを向けると、子供たちは一人ずつ、持ってきた紙を読む。
最初の子供が読み上げる。
「その1:スポーツは心と精神を安らげる。(Le sport apaise les cœurs et les esprits.)」
なるほど。まずは、スポーツの効用である。
次の子供が続く。
「その2:スポーツは、平和、寛容、対話を進めるための力強い道具である。(Le sport est un outil puissant pour promouvoir la paix, la tolérance et le dialogue.)」
これもその通り。平和、寛容、対話とも、社会が調和のもとに機能していくための、基本である。
「その3:スポーツの徳により、私たちには共通する所のほうが、相違する所よりはるかに多いことを知る。(Les vertus du sport nous montrent que nous avons plus de points de convergence que de points de divergence.)」
こういう認識は、紛争を経験してしまった国にこそ、一層重要な点かもしれない。
「その4:フェアプレーとは、自己を律するため、そして勝利においても敗北においても尊厳を保つための、規則を遵守することである。(Le fairplay, c'est le respect des règles de la maîtrise de soi et de la dignité dans la victoire comme dans la défaite.)」
そう、これは選挙にまさに当てはまることだ。規則を尊重し、これを守るこという約束が基本である。選挙にも、フェアプレー精神が求められると言えるだろう。
「その5:私のフェアプレーの精神により、私には荒れた雰囲気を抑えることができる。(Par mon esprit fairplay, je contribue à un climat appaisé.)」
ちょっと大使、これもコートジボワールの政治家に聞かせてやらなければいかんですな、と隣の総局長。彼も、私と同じ思いで聞いている。
「その6:フェアプレーとは、自分の敗北を受入れ、相手の勝利を認めることだ。(Etre fairplay, c'est accepter la défaite et reconnaître la victoire de ton adversaire.)」
そうだ、そうだ。自分の支持する候補者が勝てなかったからといって、選挙結果を認めないと大騒ぎをし、国が内乱になるようなことではいけない、と総局長は大いに頷いている。
「その7:勝者は謙遜を以て勝利し、敗者は威厳を以て敗北する。(Le vaiqueur doit gagner avec humilité et le perdant, perdre avec grandeur.)」
最後の子供が、そう読み上げたところで、総局長と私は、子供たち全員に向けて、大いに拍手をした。スポーツにより学べる、平和のための精神は、今のコートジボワールの政治の当事者たちにこそ、学んでほしいことばかりである。
さて、残りの試合、つまり男子、女子それぞれについて、準決勝戦、引き続き決勝戦が行われた。空手の試合というのは、私には初めてである。選手同士が、身構えてじっと相手とにらみ合いながら、相手の隙を見るや極めて敏捷な動きで、打撃に入る。しかし、相手の体に当ててはいけない。いわゆる寸止めである。その都度、審判が判定し、得点が加算されていく。
優勝者が決まって、表彰式になり、金銀銅のメダルが授与されるとともに、私は男女それぞれの優勝者に、日本大使杯を手渡した。最後に一言、と求められた。
「勝者だけでなく、試合に参加したすべての選手たち、審判員の皆さん、そして今日ここに来られなかったけれど、常日頃からコートジボワールで空手を学ぶ人々全員に、私は祝意を表します。このように正しく空手道を実践しておられることを、私は大使として、大変誇りに思います。」
それは正直な気持ちである。昨年の柔道の日本大使杯の時にも、私は大いに感心した。コートジボワールの人々が、どうにも自分勝手で、規律に欠け、だらしない風に見えることが多い中で、日本の武道を実践している人々は、皆礼儀正しく、きびきびした態度である。私が日本について誇りに思っていることを、この人たちは日本から武道を通して正しく学んで実践してくれている。実に、日本の武道は、日本の精神文化の良さを伝える、強力な媒体なのである。 日本大使杯、試合会場
金銀銅のメダルと、日本大使杯
型の基本を、展示する
相手を倒す
子どもたちの、平和のメッセージ朗読
女子の決勝戦:蹴りが飛ぶ
赤の勝ち
男子の決勝戦:気迫の試合
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空手を少しやっていた長男(10歳)にも読ませました。