稲作計画の機材引渡し式を行ったギトリ市(Guitry)は、昨年から県庁所在地になった。もともと、「ディボ県」の一部だった地域が、ギトリを県庁所在地とする「ギトリ県」として独立したのである。さて、今や県庁所在地になったギトリは、はて県庁所在地の名に値するような町だろうか。
とりわけ、道がひどい。町の中に、舗装道路が一切ない。それどころか、北の方向に42キロの距離を走って、ディボの町に入ってやっと舗装道路に出る。それまでの間の道は、およそ穴だらけ、溝だらけで、四駆車でも四苦八苦、およそ2時間半の時間がかかる。これは、南の方向にも同じである。36キロの距離を走って、やっとグランラウの町に通じる舗装道路に出る。これもおよそ穴だらけ、溝だらけ。やはり2時間以上の時間がかかる。それでも車で走れればまだしも、ちょっとまとまった雨が降るや、これらの道路のあちこちに沼ができて、およそ通行不可能になるのである。
協同組合「デオ・グラシアス」の相談役である、モロッコ人顧問のオハナさんは言う。
「ギトリの人々は、舗装道路が通るのを待ち望んでいるし、舗装の計画は何度もあったのです。実際に、アビジャンの建設省の道路地図を見ると、ここにはちゃんと舗装道路が通っていることになっている。かつて何度も、舗装工事の予算が付いていますからね。ところが実際は、舗装工事に至るまでに、どこかにお金が消えてしまう。」
そんな、予算がきちんと執行されていないことが明らかであれば、それは行政の怠慢というのを通り越して、もう業務上横領じゃないですか。
「それが、予算執行を検査する役人からして、鼻薬を嗅がされているから、駄目なのです。そもそも、検査役人が、こんな離れた町まで足を伸ばして見に来ません。実地に見ないで、書類上だけ認証の署名をして終わりです。」
この地方の小さな町は、中央の行政に見放されている。いや行政上の責任を負うべき役人が、配分された予算を自分の懐に入れて、任務の行政を行わない。そして、賄賂の強要である。日本だったらたちまちお縄になるような横領や汚職が、当たり前のように行われる。報道が告発しても、数日で話題から消える。そして、そうした不正を正すべき司法組織からして、汚職にまみれている、というのだ。前にここを訪れた際に、私もその実例を聞いた。ギトリの市長が、「アグリランド」に冷房をねだり、車をねだり、ガソリンをねだり、とにかくいろいろ、たかっているという話である。この市長は、私が手土産もなく訪れたので、やんわりと脅迫めいた態度をとった。
だから、ギトリでは県知事に最初に挨拶してくれ、と言われたときに、正直言って乗り気がしなかった。ギトリ市は、昨年から県庁所在地になり、それもあってか例の市長はすでにいなくなっていた。県に格上げになって、県知事が新たに任命されていた。ちなみに、コートジボワールでは、県知事は民選ではなくて、大統領が任命する地方における大統領の代官である。それで、新しい県知事といっても、以前の市長と似たり寄ったりのはずだ。私が挨拶に行くと、おそらく、あれをしてくれ、これをしてくれ、と陳情があるのだろう。
ともかくも県知事への挨拶は、しきたりだから仕方がない。必要な手順を取らないと、行政なりに邪魔立てだけは出来るのだ。簡単な挨拶で、その危険が軽減できるのなら、それくらいは進んで済ませておこう。それで私は、ギトリに着いたあと、すぐに県庁舎を訪れた。
県庁舎というから、事務室が並ぶ立派な建物を予想していた。ところが、単なる平屋のがらんとした建物で、数人が暇そうにたむろしているだけである。仕事をしているような人も、そもそも事務を行う部屋らしい部屋もない。当惑して入り口で待っていると、県知事が一人で出てきた。秘書はいない。県知事は、大げさな身振りで私を歓迎し、自分の執務室に私を導いた。
「私の名前は、オカと言います。私の出身はバウレ族で、バウレ語で「オカ」というのは、山という意味です。」
いや、私の名前もオカムラで、オカというのは日本語で丘です、と応える。山と丘で、いずれにしても、よく似ていますね。実は、日本語とバウレ語には、共通の語彙が多いという研究があるようですよ、と知事は言う。
そして、オカ知事の執務室を見回すと、机と椅子があるだけである。書類が少し積んであるほかは、コンピューターはおろか、電話機もファクス機もおいていない。電気は来ているようであるが、およそ設備がない。暑いのに冷房も入らず、窓は開け放してある。手洗いを借りたいと言ったら、執務室横の手洗いに案内された。水洗便器はついているが、水は来ていない。大使が暑い中を来られたので、冷たい飲み物でもお出ししたいところなのですが、冷蔵庫がなくて、と済まなそうにしている。
私はオカ知事に聞いた。今からバボコン村で、歓迎会があるのですが、来られますか。
「いや、残念ながら行けません。車がないので。」
なんと、県知事でありながら、県知事用の公用車が支給されていない。移動の車なくして、どうやって県の行政を務めるのだろう。オカ知事は、結局私たちの車に便乗して、バボコン村にやって来た。赴任して以来、はじめてバボコン村を訪れることが出来た、と言った。昨年の11月にアビジャンで任命を受けてこちらに赴任してきたけれど、彼にはおよそ仕事の手段らしいものは、何も与えられていないのである。
私は、前のギトリ市長を、市長の権限を笠に着て、恐喝まがいの強要をする、とんでもない奴だと思っていたが、ちょっと事情が違っていて、同情の余地があるのではないかという気がしてきた。このように、中央政府から何も支給されず、ろくに部下さえおらず、地方に派遣されてもどうやって任務をこなせというのだ。せめて移動のための車が必要だ。彼は、止むに止まれず「アグリランド」に、車を提供してくれないかと頼んだのではないか。
さて、オカ知事は、私に言った。
「日本が地元の協同組合のために支援をしたことで、地元を代表して深い感謝の気持ちです。まして、このように日本大使と、それからイスラエルの2人の大使のご来訪を得るだなんて、ギトリの人々にとって、最上の光栄です。」
そして、バウレ族に伝わる寓話を一つ紹介したいと言った。
「金持ちと貧乏人が、一緒に道路を歩いていて、一緒に転んで、水溜りに落ちた。金持ちは、貧乏人に持っていた杖を渡した。貧乏人はその杖を支えに立ちあがって、金持ちに手を差し伸べ、金持ちを水溜りから救いあげた。」
貧しいギトリ市は、今は金持ちの日本から援助を受ける。それでも、いつかギトリ市が日本に、何か返せることが出てくるだろう。そういう心だという。大事な心構えである。およそ資金も手段も部下もなく、それでもオカ県知事は、県知事としての気概と矜持だけは、しっかりと持っているようであった。
誰もが汚職の役人として赴任するわけではない。しかし、中央政府の無関心と、資金や手段の欠如から、やがて地方の役人は、仕事の現実に落胆し、私腹を肥やすことしか考えなくなる。私は、目の前の県知事が、同じ道を辿ることがないようにと願った。
とりわけ、道がひどい。町の中に、舗装道路が一切ない。それどころか、北の方向に42キロの距離を走って、ディボの町に入ってやっと舗装道路に出る。それまでの間の道は、およそ穴だらけ、溝だらけで、四駆車でも四苦八苦、およそ2時間半の時間がかかる。これは、南の方向にも同じである。36キロの距離を走って、やっとグランラウの町に通じる舗装道路に出る。これもおよそ穴だらけ、溝だらけ。やはり2時間以上の時間がかかる。それでも車で走れればまだしも、ちょっとまとまった雨が降るや、これらの道路のあちこちに沼ができて、およそ通行不可能になるのである。
協同組合「デオ・グラシアス」の相談役である、モロッコ人顧問のオハナさんは言う。
「ギトリの人々は、舗装道路が通るのを待ち望んでいるし、舗装の計画は何度もあったのです。実際に、アビジャンの建設省の道路地図を見ると、ここにはちゃんと舗装道路が通っていることになっている。かつて何度も、舗装工事の予算が付いていますからね。ところが実際は、舗装工事に至るまでに、どこかにお金が消えてしまう。」
そんな、予算がきちんと執行されていないことが明らかであれば、それは行政の怠慢というのを通り越して、もう業務上横領じゃないですか。
「それが、予算執行を検査する役人からして、鼻薬を嗅がされているから、駄目なのです。そもそも、検査役人が、こんな離れた町まで足を伸ばして見に来ません。実地に見ないで、書類上だけ認証の署名をして終わりです。」
この地方の小さな町は、中央の行政に見放されている。いや行政上の責任を負うべき役人が、配分された予算を自分の懐に入れて、任務の行政を行わない。そして、賄賂の強要である。日本だったらたちまちお縄になるような横領や汚職が、当たり前のように行われる。報道が告発しても、数日で話題から消える。そして、そうした不正を正すべき司法組織からして、汚職にまみれている、というのだ。前にここを訪れた際に、私もその実例を聞いた。ギトリの市長が、「アグリランド」に冷房をねだり、車をねだり、ガソリンをねだり、とにかくいろいろ、たかっているという話である。この市長は、私が手土産もなく訪れたので、やんわりと脅迫めいた態度をとった。
だから、ギトリでは県知事に最初に挨拶してくれ、と言われたときに、正直言って乗り気がしなかった。ギトリ市は、昨年から県庁所在地になり、それもあってか例の市長はすでにいなくなっていた。県に格上げになって、県知事が新たに任命されていた。ちなみに、コートジボワールでは、県知事は民選ではなくて、大統領が任命する地方における大統領の代官である。それで、新しい県知事といっても、以前の市長と似たり寄ったりのはずだ。私が挨拶に行くと、おそらく、あれをしてくれ、これをしてくれ、と陳情があるのだろう。
ともかくも県知事への挨拶は、しきたりだから仕方がない。必要な手順を取らないと、行政なりに邪魔立てだけは出来るのだ。簡単な挨拶で、その危険が軽減できるのなら、それくらいは進んで済ませておこう。それで私は、ギトリに着いたあと、すぐに県庁舎を訪れた。
県庁舎というから、事務室が並ぶ立派な建物を予想していた。ところが、単なる平屋のがらんとした建物で、数人が暇そうにたむろしているだけである。仕事をしているような人も、そもそも事務を行う部屋らしい部屋もない。当惑して入り口で待っていると、県知事が一人で出てきた。秘書はいない。県知事は、大げさな身振りで私を歓迎し、自分の執務室に私を導いた。
「私の名前は、オカと言います。私の出身はバウレ族で、バウレ語で「オカ」というのは、山という意味です。」
いや、私の名前もオカムラで、オカというのは日本語で丘です、と応える。山と丘で、いずれにしても、よく似ていますね。実は、日本語とバウレ語には、共通の語彙が多いという研究があるようですよ、と知事は言う。
そして、オカ知事の執務室を見回すと、机と椅子があるだけである。書類が少し積んであるほかは、コンピューターはおろか、電話機もファクス機もおいていない。電気は来ているようであるが、およそ設備がない。暑いのに冷房も入らず、窓は開け放してある。手洗いを借りたいと言ったら、執務室横の手洗いに案内された。水洗便器はついているが、水は来ていない。大使が暑い中を来られたので、冷たい飲み物でもお出ししたいところなのですが、冷蔵庫がなくて、と済まなそうにしている。
私はオカ知事に聞いた。今からバボコン村で、歓迎会があるのですが、来られますか。
「いや、残念ながら行けません。車がないので。」
なんと、県知事でありながら、県知事用の公用車が支給されていない。移動の車なくして、どうやって県の行政を務めるのだろう。オカ知事は、結局私たちの車に便乗して、バボコン村にやって来た。赴任して以来、はじめてバボコン村を訪れることが出来た、と言った。昨年の11月にアビジャンで任命を受けてこちらに赴任してきたけれど、彼にはおよそ仕事の手段らしいものは、何も与えられていないのである。
私は、前のギトリ市長を、市長の権限を笠に着て、恐喝まがいの強要をする、とんでもない奴だと思っていたが、ちょっと事情が違っていて、同情の余地があるのではないかという気がしてきた。このように、中央政府から何も支給されず、ろくに部下さえおらず、地方に派遣されてもどうやって任務をこなせというのだ。せめて移動のための車が必要だ。彼は、止むに止まれず「アグリランド」に、車を提供してくれないかと頼んだのではないか。
さて、オカ知事は、私に言った。
「日本が地元の協同組合のために支援をしたことで、地元を代表して深い感謝の気持ちです。まして、このように日本大使と、それからイスラエルの2人の大使のご来訪を得るだなんて、ギトリの人々にとって、最上の光栄です。」
そして、バウレ族に伝わる寓話を一つ紹介したいと言った。
「金持ちと貧乏人が、一緒に道路を歩いていて、一緒に転んで、水溜りに落ちた。金持ちは、貧乏人に持っていた杖を渡した。貧乏人はその杖を支えに立ちあがって、金持ちに手を差し伸べ、金持ちを水溜りから救いあげた。」
貧しいギトリ市は、今は金持ちの日本から援助を受ける。それでも、いつかギトリ市が日本に、何か返せることが出てくるだろう。そういう心だという。大事な心構えである。およそ資金も手段も部下もなく、それでもオカ県知事は、県知事としての気概と矜持だけは、しっかりと持っているようであった。
誰もが汚職の役人として赴任するわけではない。しかし、中央政府の無関心と、資金や手段の欠如から、やがて地方の役人は、仕事の現実に落胆し、私腹を肥やすことしか考えなくなる。私は、目の前の県知事が、同じ道を辿ることがないようにと願った。
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