さて、式典のご挨拶が一通り終わり、私たちは農業機材が展示されている広場に場所を移して、機材の引渡しをする。広場には、トラクター、自動刈取・脱穀機、田植え機、精米機、種子散布機など、本格的な稲作用機械が並んでいる。稲作計画への日本の貢献を謳う、一番肝心の行事を前にして、私は少なからず気が重かった。
実は、前日に会場の広場を、事前視察で訪れていた。そこで、私は唖然としたのである。トラクターや機械は、すでに運び込まれてそこに並んでいた。そして、トラクターに取り付けられた、大袈裟な刈取・脱穀機に、大きな漢字が描かれていた。
「巨明王」
いったい巨明王とは、どこの王様か、どういう意味なのか知らない。でもこれが意味するところは明らかである。機械は中国製であった。精米機を見た。「山東省魚台県」と書いてある。どの機械にも、日の丸があちこちに張り付けてある。しかし、よく見れば歴然である。私はこちらに来てはじめて知った。この稲作計画のために「デオ・グラシアス」が調達した機材は、すべて中国製なのであった。
もちろん、わずか1千万円足らずの資金で、稲田作りの開墾から、刈取り、脱穀、精米のすべての機械化、そして技術指導のための研修費用まで賄おうというのだから、余程倹約しなければならないことは、はじめから承知している。日本製の優秀な農耕機械、日本人なら誰でも知っている製造会社の機械を使えれば、日本の協力として格好いい。でも、とても高価すぎて手が出ないことも、はじめから承知している。それにしても、いくら何でも中国製とは。せめて、安くても欧州の、それなりに信頼のある企業の製品にしてほしかった。
私は特に中国嫌いというわけではない。さりながら、ここ西アフリカでは、残念ながら中国製品の評判は悪い。見栄えは一流品と同じで、価格は極端に安い。手に入れやすいのだけれど、しばらく使えばすぐに故障する。安かろう、悪かろうの製品である。すこし使って、ポンと壊れて、捨てるしかない、という世間の評判である。ああ、日本の経済協力の資金で始めた事業が、始めたはいいけれど、すぐにポンでは困るのだ。
でも、もうここまで来てしまい、引き返すことはできない。こういう落とし穴があると、気付かなかった私が悪いのである。私に与えられた草の根無償資金協力の、1件あたりの限度額は、1千万円であった。その金額で、多くを望みすぎたのだ。そもそも、日本製をはじめ、信頼できる農耕機械を導入して稲作を進めるなど、無理だった。何百ヘクタールに及ぶ水田の開発など、夢が大きすぎた。そういう協力は、何億円以上の資金を動員し、国際協力機構(JICA)などのしっかりした事業管理を得て、はじめて実現できるような類の話だったのだ。
沈んだ心で、それでも機材の引き渡しを行う日本大使として、努めて笑顔を作りながら、私は鍵の引渡しのために「巨明王」他の農耕機械の前に立った。すると、恰幅のいい東洋人の男性と、小柄な婦人が、私の前に進み出てきた。
「私は、ウーと申します。これは私の家内です。」
そう名乗った。ウー(胡)さんは、これらの農耕機具を「デオ・グラシアス」に卸した、中国人の商人だった。
「このたびの稲作計画に、こうして機材調達で一役買うことが出来、私ども夫婦は大変光栄に思っているのです。」
一緒に連れてきた中国人の従業員が、「巨明王」のエンジンを掛けて、稲刈りの機能を実演してみせるのを横に、ウーさんはそう私に言った。
「この計画は、地元の女性たち、若者たちに夢を与える、本当に素晴らしいものです。このお話を受けた時、私どもは、これはわが社の名誉を掛けて成功させたいと思いました。それに、私どもも、コートジボワールではもっと効率良く稲作を進める可能性があるのに、と思ってきたのです。それを日本大使が同じように考えて、協力計画を作られた。それで、わが社に話が持ち込まれた。そういうご縁ですから、利益は度外視です。とにかく、ギトリの事業で成功をすれば、稲作にどれだけ大きな可能性があるか、世間に分ってもらえるでしょう。わが社が仕入れる農耕機械が、どれだけ信頼できる優秀な製品かが、広く知られるでしょう。」
「だから、これらの機械を、絶対に故障させません。」
ウーさんは、私にそう宣言した。もし故障が出たら、電話一本で私は、アビジャンからこちらに飛んできます。そして、この機械の修理のための部品は、アビジャンの倉庫に、全部揃っています。それを聞いて、私は一つ納得した。どんなに優秀な機械でも、その会社の代理店とかが無くて、従って部品がすぐに手に入らないということでは、維持管理が確保できない。中国製であっても、代理店が近くにあり、部品が揃っていることは、とても心強いことである。
そして、ウーさんが声を掛けると、お揃いのTシャツを着た地元の若者が、何人も私の前に並んだ。ウーさんは言う。
「私どもの会社では、彼らに機械整備の技術指導をしています。多少の故障ならば、彼らがその場ですぐに修理できますよ。」
何とウーさんは、私たちが頼みもしないのに、会社側の負担で、地元の若者たちに機械修理の訓練を施していた。
ウーさん夫妻は、アビジャンで商売を始めて15年、はじめて社会に活躍の場を得た気持ちだという。そして、その話を作った日本大使とこうして会えて、とても嬉しい。そう言って、私と記念撮影をした。私は、少なからず感動をした。この中国人の商人から、心意気というようなものが伝わってきたからだ。この人も、稲作計画の成功を心から願う同志の一人であった。そして、「巨明王」というのが、王様だろうが何だろうが、とても頼もしい英雄のように思えてきたのである。 稲作計画の機材供与式が始まる。
村々から女性たちが集まってきた。
これがコンバイン付のトラクター
胴体には大きく「巨明王」
トレーラー
種播機
脱穀・精米機
やはり「山東省」
田植え機
お揃いのTシャツで、修理技術の訓練生たち
左の夫婦が胡(ウー)夫妻。右端はアワさん。
これから開墾する、バボコン村の低湿地。
ここだけで、140ヘクタールある。
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