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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

稲作計画の神様

2010-03-15 | Weblog
稲作計画が、いよいよ動き出すことになった。アワさんの協同組合「デオ・グラシアス」に、農機具を供与して、バボコン村の低湿地で稲作を行う計画である。草の根無償資金協力の資金4500万フラン(980万円)を使って、稲作に必要な農耕機械や脱穀機などを購入した。それらの機材が到着したので、供与式典を行うことになった。

稲作を行う低湿地は、バボコン村にあるし、昨夜は村で歓迎会まであったのに、式典はわざわざバボコン村から8キロ離れたギトリ市に行って、そこで行うという。どうしてなのですか、と訊く私に、アワさんはすこし難しそうな顔をして答える。
「この稲作計画、確かに稲作の現場はバボコン村なのですけれど、資金供与を受けたのは「デオ・グラシアス」という協同組合ですからね。協同組合の本部があるギトリ市で、式典を行う必要があるのです。」

最初はバボコン村の低湿地で稲作開発を始めるけれど、そこで成功したら、同じ農機具を活用して、他の村にも広げていく計画であることはその通り。なるほど、「デオ・グラシアス」は、バボコン村だけの協同組合というわけではないから、本部のある場所で供与式典を行うほうが、確かに自然である。

と納得したところで、「デオ・グラシアス」の運営顧問をしている、モロッコ人のオハナさんが言う。
「いや、実のところは、他の村の嫉妬が凄いのです。どうして、バボコン村は日本からいろいろ供与を受けて、うちにはないのか、と。それはもちろん、バボコン村の人々が一番熱心だったからですよね。でもそのような説明は通じない。もしバボコン村の計画であると言わんばかりに協力を進めると、他の村から必ずや邪魔が入る。」

そういって、オハナさんは、以前バグボ大統領がテレビの演説で紹介していたという、小話を教えてくれた。
「あるコートジボワール人の男が森を歩いていたら、古い瓶が落ちていた。蓋を開けると、森の精が出てきた。
そして男に言った。お前の欲しいものを何でも、一つだけ与えてやろう。その代わり、一つ条件がある。お前が得るものの倍を、お前の隣人が得る、という条件だ。
男はしばらく考えてから言った。俺の目を、片方潰してくれ。」

人が自分より多く貰えるぐらいなら、人も自分も何も得られないほうがいい。バグボ大統領は、そういう卑賤な根性がコートジボワール人のなかにある、そしてそれが発展を阻むのだ、と説いたわけだ。そういう嫉妬があるとすれば、アワさんが気を遣うのももっともであるし、なるほど私などの知らないところで、なかなか難しいものがあるようである。

それで、ギトリの会場に着いてみると、確かに周辺のいろいろな村から、村人たちが大勢やってきている。それぞれ、村の「デオ・グラシアス」支部のプラカードを掲げている。バボコン村はもちろん、ティエバ村、エレマンコノ村、ヨコブエ村、ずいぶん遠くの村の人々もいる。バボコン村からは、人々が大挙して、8キロの道のりを歩いて参加してきたという。他の村々も、村人たちが朝早くからトラックなどに分乗してやってきた。会場の最前列には、土地の長、村の長など部族長たちが、並んで座っている。今回の機材供与を、地域全体で喜んでいるのだ。バボコン村だけで祝しては角が立つだろう。分った、分った。

日本に感謝という挨拶が続いた後、私が演説に呼ばれた。
「皆さん、それぞれの神様があるでしょう。キリスト教徒の人もいるし、ムスリム教徒の人もいる。私は仏教徒だ。ここにご来席の、ケデム前イスラエル大使と、オメル現イスラエル大使は、ユダヤ教徒です。」
そう、私をこの計画に導いて、アワさんと「デオ・グラシアス」を紹介してくれた前イスラエル大使のケデム氏が、わざわざ今回の式典に来てくれた。彼の後任のオメル・イスラエル大使も一緒である。

「キリスト、アラー、ヤハウェ、仏様、それぞれの神様に感謝してください。この稲作計画は、神様の御心にかなっているのです。」
まるで、宗教家のように、挨拶を始める。
「ここにおられるケデム大使が、アビジャンに来たばかりの私に、アワさんを紹介しなかったら、今日のこの計画はないのです。そして、アワさんが「デオ・グラシアス」の活動をここまで育てていなかったら、やはり、今日の計画はないのです。そしてちょうどその時、アワさんの構想に土地の長の方々が賛同して、低湿地を女性たちに耕させてみようと考えてくれていた。それがなかったら、やっぱり今日の計画はないのです。そして、相談された日本は、たまたま稲作開発に前向きであった。私は相談を受けたすぐ後に、「アフリカ稲センター」を訪れる用事があって、それで早速この研究所に話をしたら、稲作の技術指導を引き受けてくれた。こうしたことが皆つながって、今日の供与式典に至りました。こんな偶然がありますか。いや、偶然が繋がったからではありません。この計画は、神様の心にかなっていたからです。」

私は神様の話を続ける。
「神様は、世界中の何十億の人々の面倒を見なければならないので、忙しいのです。誰も彼もお願いをするのですけれど、神様は全ての人に耳を傾けてくれる余裕はない。それなのに、その忙しい神様が、なぜ「デオ・グラシアス」の願いを聞いてくれたか。実は、神様は、しっかりした意欲、やる気のある人々の計画を見て、これは成功させてやろう、と思うのです。そうした人々のお願いを、優先して聞いてくれるのです。「デオ・グラシアス」の若者たち、女性たちは、やる気がある。だから神様は、いろいろな偶然を並べて、お願いが実現するように取り計らってくれたのです。」

拍手が来たので、私はますます調子に乗って、宗教家のように説教する。
「せっかく耳を傾けてくれた神様が、耳を反らさないようにしなければなりません。計画は始まったばかりです。成功まで道は遠い。成功をもたらすためには、分りますね。意欲を持って、計画の実現に尽力することです。つまり、しっかり働くということです。しっかり働けば、神様の心にかなったこの計画ですから、必ず成功するのです」

「私たちは、はじめにバボコン村で稲田を耕します。でも他の村の人々も、バボコン村での成功を祈ってください。バボコン村でこの計画がうまくいけば、「デオ・グラシアス」は別の村々に広げていく計画です。」
他の村が、嫉妬や怨嗟の声を上げてはいけない。私は日本の協力が、バボコン村だけを対象とするものではないことを強調する。

「私は何年かしたら、きっといつかギトリの町に戻ってきます。もっとも、もうコートジボワール大使は辞めているでしょうけれど、ここに来ておられるケデム大使のように、ここに戻ってきます。そのときに、この地域の村々で、どこの村でも、黄金の稲穂がたわわに実っているさまを見ることを、心から期待しています。」
何であっても、皆の力が合わさってうまく行く話には、神様がいるのだ。そして、このように力を出し合えば皆が一緒に前に進めるのだ、と言っておけば、この地域の誰もが、この計画の成功を祈ってくれるようになるだろう。私は、アワさんに目配せをして、演説を終えた。

(続く)

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