講義ということで、1時間ちかくフランス語で日本のことを説明をする、となると、これはさすがに十分に準備が必要である。いろいろ仕事が重なっていたこともあって、それはちょっと荷が重い。私はずるをすることにした。最初の30分は、日本の文化・社会を紹介するDVDを上映するのである。そして、その後に、私がその内容に解説を加えながら話をする。これならば、かなり誤魔化せるだろう。
さて、国際交流基金の招待で先ごろ日本に出かけた、ノノゴ、アンガマンの両先生の企画で、私はサントマリ女子高校に講義に招かれたのである。「日本はなぜ発展したのか」という題で、日本の活力の秘密について、文化・社会面から語ってほしい、というご要望である。女子高校の講堂に入ると、400人ちかい高校生たちが、拍手で私を迎えてくれた。皆、帳面と鉛筆を手元に持っている。まさに、私の講義を聴講する用意をしている。
先生方にご紹介を受けて、私は簡単な挨拶をする。そして、まず始めにビデオをご覧頂きましょう、と会場の前に設えられたスクリーンに注意を促す。プロジェクターが点燈し、日本紹介のDVDが回り始めた。これで、私は席に座って、30分ほど一緒にDVDを鑑賞しておればいいのである。その間に、生徒たちに何を話すか考えよう。
バン、と音がしたように思う。あたりが暗くなった。DVDの画面も消えた。しばらくは、何をまごまごやっているんだ、と思っていた。そのうち何が起こったか判った。停電である。先ごろから始まったアビジャンの配電制限が、突然この地区に来たのだ。数時間は電気が来ないだろう。もちろんDVDは上映できない。高校生たちは、少しざわざわしながら、私がどうするのかを待っている。私は覚悟を決めた。台本なしで、1時間語らなければならない。
席を立ち上がって、大きな声で話し始める。マイクが使えなくても、声の大きさには自信がある。
「ええ、日本がなぜ発展したか、という話をしてくれ、ということでした。その話もしますけれども、その前にコートジボワールがなぜ発展しないか、という話をしたいと思います。」
いきなり、私は乱暴な問題提起をしてみた。女子高校生たちは、真剣な目で聞いている。講義の名に恥じないような内容が、しゃべれるだろうか。
「せっかく用意したDVDが、停電で動かない。どうしてこんな、電気がこなくなるなんてことが、首都アビジャンの中心で起こるのですか。皆さん、若い人たちはもっと、何故なのかと声をあげなければいけない。何故、自分たちの国はこんな調子なのか、と。こんなもので仕方ないさ、なんて思ってはいけない。」
私自身、手順が狂った当惑もあって、停電への怒りをぶちまけている。
コートジボワールでは、皆が気が向いたときに、気の向くままに動いて、それでも構わないと、誰もが思っている。それでも社会が機能していくだけ、風土が豊かなのだ。誰も本当には困らないほど、何でも回りにある。必死にならなくても、食べるものはあるし寝るところはある。厳しい冬に備えなくていい気候だ。いつもの私の議論を展開する。だから、発展に向けて、なにくそと頑張るところがない。
「先日、大統領に10時半に来てくれといわれて、他の大使たちと一緒に大統領府に集合したわけです。待てど暮らせど、式典は始まらず、結局猛暑の中に2時間半待たされました。日本だったらありえない。10時半に始まるといえば、5分前には全員勢ぞろいして、ぴったり10時半に始まる。」
国民に手本を示すべき大統領がですよ、時間を守らないでどうするのだ。独立50周年行事の開始式のときの出来事を例に出して、困った社会習慣について説明するつもりが、だんだん憤懣がつのって、声が高くなる。
「半世紀前、アジア諸国は貧しかった。アフリカ諸国よりもずっと貧しかった。ところが今は、どんどん発展して、どの国も豊かになっている。国内にどんどん製造業を誘致して、今や世界の先端産業の生産拠点にさえなっている。どうしてですか。どうして、アジアはこうして発展できたのに、アフリカは停滞したままなのですか。」
生徒たちは神妙に聞いている。私は、しばらく間をおいて、生徒たちの心の中で答えを考えさせる。そして、私の答えを言う。
「それは、アフリカにとって、ヨーロッパが近すぎるからです。」
もちろん、経済開発論というのは、こんな一刀両断な話ではない。様々な歴史的、社会的、経済的な理由があり、多くの学者が理論分析を試みている。でも、今日は大学のアフリカ学の講義ではない。高校生に問題意識を持ってもらうための問いかけである。
「ヨーロッパのせいだ、と私が言ったとたんに、多くの皆さんは、ああ植民地主義の話だな、と思ったことでしょう。アフリカには、ヨーロッパの植民地にされた歴史があって、その搾取の構図をいまだに引きずっているのだ、とか。でも、私が言う、ヨーロッパが近すぎるから、という理由は、そういう意味ではありません。」
「コートジボワールの人々には、フランスという国が、いつも傍にあった。フランスが、常にコートジボワールのことを気にかけてきた。両国は関係の深い国です。これは間違いない。でもフランスは、社会制度の出来上がった近代国家ですからね。コートジボワールの人々は、国家というのはこういうものだ、と思ってしまった。つまり、制度も財政も何もかも整っていて、国民の面倒を見てくれる国です。だから、多くの人が、国はあれをしてくれるはずだ、これをしてくれるはずだ、と思ってしまった。」
「それに、多くのコートジボワールの人々は、フランスは元は植民地の宗主国だから、いろいろコートジボワールのために支援してくれるのが当たり前だと思っている。ちゃんと先進国が援助してくれないから、自分たちは発展できないのだ。そういう議論をする人々は、アフリカの中に多いのです。そして、お金持ちは休暇になればパリやロンドンに出かけ、フランス人に倣ってバカンスを取り、多くの若者たちはヨーロッパで就職することを夢見ている。」
「一方で、アジアの諸国にとって、ヨーロッパは近くなかった。頼るべきヨーロッパの国はなかった。アジアの人々は、自分たちの力でやり方で、国を築いていかなければならなかった。それでいろいろと曲がり道はありましたけれど、少しずつ国の制度を整えて、少しずつ経済を豊かにして、自分たちで発展を作り出してきたのです。そうですよ、国というのは、自分たちで作らなければならない。」
「ヨーロッパが近すぎる、と私が言うときに、もう一つの意味があります。それは、皆さんは、ヨーロッパ人は白人で、自分たちは黒人だ、白人には劣ると、はじめから決めてしまっているところがある。何ですかそれは。ヨーロッパ人は白で、アフリカ人は黒だというなら、私やアジア人は黄色だ。そんなこと、何に関係あるのですか。ほとんどのアジア人は、そんなふうに、ヨーロッパ人との対比では、自分たちを見ていません。」
そういうふうに議論をしたうえで、私は締めくくった。
「アジアや日本が発展してきたとすれば、それは自分の力を信じてきたからです。自分たちには、生活を良くする、世の中を良くする、力も流儀もあるということです。日本は、戦争で荒廃して、私の親の世代は、灰燼の中から国を立ちあげた。そのとき誰もが、自分たちには出来る、ということを疑っていなかった。それが大切です。」
「アフリカにだって、その力も流儀もあるでしょう。でも、多くの人々が、これで仕方ないと諦め、あるいは他人の所為にして、自分で何とかしようとしない。それじゃ駄目だ。自分の力で国を作る、生活を良くする、こう信じて力を出せるのは、あなたがた若者たちです。あなたがたにこそ、これからのコートジボワールをつくる、力と責任があるのです。」
さんざん大雑把な話に広げた挙句に、高校生たちへの励ましの言葉で講義を終えた。拍手が起こった。私はいったん席に座って、それから質疑応答になった。
(続く)
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いまや日本の若者も同じだと感じています.ヨーロッパではないですが,上の世代に対して,自分たちの力を感じられる機会が少なすぎるのではないかと思っています.
学生時代に大学生が自分たちの力を信じ,また期待されている国に行って交流することが良い機会になるのではと考えています.
私もよく同じように学生たちを励ましていますよ.