バグボ大統領が、突然に内閣と選挙管理委員会を解散(2月12日)してから、はや2週間になろうとするのに、内閣ができない。本来は、3日後の月曜日(2月15日)には、新しい閣僚を決めるようにとの、ソロ首相への指示であった。ところが、ソロ首相が連日の調整を試みるも、なかなか新内閣が組閣できない。その背景には、バグボ大統領側つまり人民党(FPI)と、野党連合側つまり、民主党(PDCI)と共和連合(RDR)側との、熾烈な駆け引きがある。
そもそも、話の発端は、マンベ選挙管理委員長に対する信任問題であった。「詐欺事件」により、もうマンベ委員長は信用できないと考える大統領側は、彼の罷免を言い出した。ところが、マンベ委員長は、もともと民主党(PDCI)系の人なので、野党側は彼の罷免に反対した。対立は、ブルキナファソのコンパオレ大統領の裁定に委ねられた。バグボ大統領、ソロ首相、べディエ元大統領(PDCI党首)、ウワタラ元首相(RDR党首)の全当事者と、マンベ委員長本人とがワガドゥグに集まった(2月11日)。
その会合で、コンパオレ大統領は、マンベ委員長に対して、事態収拾のために身を引かないかと聞いた。そしたら、マンベ委員長は答えた。
「私には疚しいところはない。辞任を拒否する。」
野党連合側は、マンベ委員長続投を支持した。ワガドゥグでは双方折り合いは付かず、皆がアビジャンに戻った。
そして、翌日(2月12日)、バグボ大統領は選挙管理委員会だけでなく内閣も解散する、という荒技に出た。これは、大統領側から解釈すれば、こういう意味になる。
「大統領選挙が行き詰まっているのは、野党連合側に責任がある。マンベ委員長の罷免を認めないからだ。いったい野党連合側は、これからもワガドゥグ合意の路線に引き続き乗っていく気があるのか、と聞きたい。ワガドゥグ合意の根幹である内閣をいちどご破算にして、野党側にふたたびその気があるのか、見せて貰う。」
2007年3月のワガドゥグ和平合意は、大統領側、野党側、「新勢力」側皆が閣僚を出し合って政府を作るという約束であった。それ以来、ソロ首相の下で各野党も数人ずつの閣僚ポストを分け合ってきた。もし、野党がマンベ委員長の罷免に反対する立場を貫くなら、新内閣へ閣僚を送ることは出来ないということになるだろう。しかし、それはワガドゥグ合意の枠組みを否定することになる。
野党側に、球が返された。野党側として、いつまでも組閣や選挙管理委員会の再任命を阻んでいると、それは大統領選挙がどんどん先送りになるということを意味する。それは早期の大統領選挙を求める野党側として、自分の首を絞めることになる。ましてや、「ワガドゥグ合意」の路線そのものを崩すということは、もう大統領選挙自体がどこかにふっ飛んでしまうことになりかねない。ここで否定的なことばかり言っていると、バグボ大統領側から言われるだろう。
「大統領選挙が出来なくなったのは、野党側の非協力が原因である。」
そこで、野党側は球を打ち返した。新しい内閣にこれまでどおり参加するには、条件がある。その条件とは、選挙管理委員会の解散を撤回すること、選挙投票日をきちんと設定すること、などである。大統領側が、これらにきちんとした答えを出さなければ、事態は前に進まないのだ。野党側は言う。
「大統領選挙が前に進まないのは、大統領側の非妥協的な姿勢が原因である。」
バグボ大統領は、組閣の期限を当初の2月15日から週末まで延ばして、土曜日の2月20日とした。その期限を前に、野党側が出してきたそのような条件には、大統領側として、今日明日には応じられない。選挙管理委員会の解散を撤回するなど、マンベ委員長の留任と同義であるから、とても呑めない。だから、事態は打開しない。このような袋小路に陥って、土曜日が近づいても双方の考えの開きは縮まらず、組閣交渉は座礁したままである。
野党連合側は、交渉の一方で、全国での示威行動を呼びかけた。
「バグボ大統領のとった措置に対して、あらゆる手段で反対せよ。」
呼びかけに応じて、全国各地でデモが出て、地元の警察と小競り合いを演じる。北部の都市コロゴでは、大統領派の人民党(FPI)の選挙対策本部長の自宅が全焼した。2月19日には、中部の都市ガニョアで野党側の群衆が、町にバリケードを築き、それを排除しに来た軍警察と衝突。混乱の中で、5人が撃たれて死亡した。アビジャンでも、デモが暴走して、公営バスが何台も焼かれた。各地で、県庁舎が襲撃されたりしている。どうもこうした衝突や暴力沙汰が広がりそうな、いやな雰囲気である。
野党連合側は、自分たちが抵抗し続けると、大統領選挙そのものがそれだけ遅れることは承知している。でも、それは同時に、ワガドゥグ合意そのものを吹っ飛ばすことになる恐れもあって、そうなるとバグボ大統領とソロ首相の二人三脚体制が、正統性を失うことになるから、大統領側にも大きな損失を与えることになる。双方、どちらが譲るのか、睨み合いの状況になった。
さあ、困ったとき行き詰まったときには、いつも通り、ブルキナファソのコンパオレ大統領の出番になる。組閣できないまま迎えた期限の2月20日の翌日、21日の日曜日に、べディエ元大統領、ウワタラ元首相を一緒にワガドゥグに招いて、説得を図った。しかし、議論は収斂しなかった。何の合意も達成できないまま、二人ともアビジャンに戻ってきた。そして、こんどはコンパオレ大統領自身が、22日にアビジャンにやって来た。バグボ大統領側と野党側を両方呼んで、膝詰め談判で説得した。
「本日、新内閣が成立の運び」
翌日朝(2月23日)、新聞の見出しが踊る。コンパオレ大統領の説得が功を奏して、妥協が成立したのだ。野党側が内閣に参加するとともに、選挙管理委員会の委員長・副委員長(複数)の幹部だけを罷免して入れ替える、という合意になったようである。要するにマンベ委員長は罷免され、それで内閣については野党も参加して成立する、ということであれば、どうも野党連合側が折れたということなのだろうか。
いよいよ夜7時半になって、テレビに大統領府の報道官が立ち、大統領令の公布というかたちで新内閣が発表された。
「閣僚ポストは、全部で27とする。」
そして、置かれる閣僚ポストが、順番に列挙される。次に、新閣僚に任命される人々の名前が読み上げられる。
「ボウン=ブアブレ開発大臣、タグロ内務大臣、アマニ・ヌゲサン国防大臣・・・・」
と、16人ほど任命して、それで終わり。27の閣僚ポストのなかで16ポストのみ、しかも任命されたのは、大統領側(人民党)と、「新勢力」側の人々だけ。その多くは残留人事である。
つまり、大統領側と「新勢力」側で内閣を半分だけ作り、残り半分の閣僚ポストは野党分として空席のままにした。これは、野党連合側として閣僚を出すのか出さないのか、自分で考えなさい、と突き放したかのようである。野党連合側は、内閣成立に協力して大統領側に折れるのか、閣僚を出さないで非協力を鮮明にするのか、いよいよ決断を迫られた格好になった。コンパオレ大統領の裁定で、試合は決着したのかと思いきや、まだ球の打ち合いが続いているのであった。
そもそも、話の発端は、マンベ選挙管理委員長に対する信任問題であった。「詐欺事件」により、もうマンベ委員長は信用できないと考える大統領側は、彼の罷免を言い出した。ところが、マンベ委員長は、もともと民主党(PDCI)系の人なので、野党側は彼の罷免に反対した。対立は、ブルキナファソのコンパオレ大統領の裁定に委ねられた。バグボ大統領、ソロ首相、べディエ元大統領(PDCI党首)、ウワタラ元首相(RDR党首)の全当事者と、マンベ委員長本人とがワガドゥグに集まった(2月11日)。
その会合で、コンパオレ大統領は、マンベ委員長に対して、事態収拾のために身を引かないかと聞いた。そしたら、マンベ委員長は答えた。
「私には疚しいところはない。辞任を拒否する。」
野党連合側は、マンベ委員長続投を支持した。ワガドゥグでは双方折り合いは付かず、皆がアビジャンに戻った。
そして、翌日(2月12日)、バグボ大統領は選挙管理委員会だけでなく内閣も解散する、という荒技に出た。これは、大統領側から解釈すれば、こういう意味になる。
「大統領選挙が行き詰まっているのは、野党連合側に責任がある。マンベ委員長の罷免を認めないからだ。いったい野党連合側は、これからもワガドゥグ合意の路線に引き続き乗っていく気があるのか、と聞きたい。ワガドゥグ合意の根幹である内閣をいちどご破算にして、野党側にふたたびその気があるのか、見せて貰う。」
2007年3月のワガドゥグ和平合意は、大統領側、野党側、「新勢力」側皆が閣僚を出し合って政府を作るという約束であった。それ以来、ソロ首相の下で各野党も数人ずつの閣僚ポストを分け合ってきた。もし、野党がマンベ委員長の罷免に反対する立場を貫くなら、新内閣へ閣僚を送ることは出来ないということになるだろう。しかし、それはワガドゥグ合意の枠組みを否定することになる。
野党側に、球が返された。野党側として、いつまでも組閣や選挙管理委員会の再任命を阻んでいると、それは大統領選挙がどんどん先送りになるということを意味する。それは早期の大統領選挙を求める野党側として、自分の首を絞めることになる。ましてや、「ワガドゥグ合意」の路線そのものを崩すということは、もう大統領選挙自体がどこかにふっ飛んでしまうことになりかねない。ここで否定的なことばかり言っていると、バグボ大統領側から言われるだろう。
「大統領選挙が出来なくなったのは、野党側の非協力が原因である。」
そこで、野党側は球を打ち返した。新しい内閣にこれまでどおり参加するには、条件がある。その条件とは、選挙管理委員会の解散を撤回すること、選挙投票日をきちんと設定すること、などである。大統領側が、これらにきちんとした答えを出さなければ、事態は前に進まないのだ。野党側は言う。
「大統領選挙が前に進まないのは、大統領側の非妥協的な姿勢が原因である。」
バグボ大統領は、組閣の期限を当初の2月15日から週末まで延ばして、土曜日の2月20日とした。その期限を前に、野党側が出してきたそのような条件には、大統領側として、今日明日には応じられない。選挙管理委員会の解散を撤回するなど、マンベ委員長の留任と同義であるから、とても呑めない。だから、事態は打開しない。このような袋小路に陥って、土曜日が近づいても双方の考えの開きは縮まらず、組閣交渉は座礁したままである。
野党連合側は、交渉の一方で、全国での示威行動を呼びかけた。
「バグボ大統領のとった措置に対して、あらゆる手段で反対せよ。」
呼びかけに応じて、全国各地でデモが出て、地元の警察と小競り合いを演じる。北部の都市コロゴでは、大統領派の人民党(FPI)の選挙対策本部長の自宅が全焼した。2月19日には、中部の都市ガニョアで野党側の群衆が、町にバリケードを築き、それを排除しに来た軍警察と衝突。混乱の中で、5人が撃たれて死亡した。アビジャンでも、デモが暴走して、公営バスが何台も焼かれた。各地で、県庁舎が襲撃されたりしている。どうもこうした衝突や暴力沙汰が広がりそうな、いやな雰囲気である。
野党連合側は、自分たちが抵抗し続けると、大統領選挙そのものがそれだけ遅れることは承知している。でも、それは同時に、ワガドゥグ合意そのものを吹っ飛ばすことになる恐れもあって、そうなるとバグボ大統領とソロ首相の二人三脚体制が、正統性を失うことになるから、大統領側にも大きな損失を与えることになる。双方、どちらが譲るのか、睨み合いの状況になった。
さあ、困ったとき行き詰まったときには、いつも通り、ブルキナファソのコンパオレ大統領の出番になる。組閣できないまま迎えた期限の2月20日の翌日、21日の日曜日に、べディエ元大統領、ウワタラ元首相を一緒にワガドゥグに招いて、説得を図った。しかし、議論は収斂しなかった。何の合意も達成できないまま、二人ともアビジャンに戻ってきた。そして、こんどはコンパオレ大統領自身が、22日にアビジャンにやって来た。バグボ大統領側と野党側を両方呼んで、膝詰め談判で説得した。
「本日、新内閣が成立の運び」
翌日朝(2月23日)、新聞の見出しが踊る。コンパオレ大統領の説得が功を奏して、妥協が成立したのだ。野党側が内閣に参加するとともに、選挙管理委員会の委員長・副委員長(複数)の幹部だけを罷免して入れ替える、という合意になったようである。要するにマンベ委員長は罷免され、それで内閣については野党も参加して成立する、ということであれば、どうも野党連合側が折れたということなのだろうか。
いよいよ夜7時半になって、テレビに大統領府の報道官が立ち、大統領令の公布というかたちで新内閣が発表された。
「閣僚ポストは、全部で27とする。」
そして、置かれる閣僚ポストが、順番に列挙される。次に、新閣僚に任命される人々の名前が読み上げられる。
「ボウン=ブアブレ開発大臣、タグロ内務大臣、アマニ・ヌゲサン国防大臣・・・・」
と、16人ほど任命して、それで終わり。27の閣僚ポストのなかで16ポストのみ、しかも任命されたのは、大統領側(人民党)と、「新勢力」側の人々だけ。その多くは残留人事である。
つまり、大統領側と「新勢力」側で内閣を半分だけ作り、残り半分の閣僚ポストは野党分として空席のままにした。これは、野党連合側として閣僚を出すのか出さないのか、自分で考えなさい、と突き放したかのようである。野党連合側は、内閣成立に協力して大統領側に折れるのか、閣僚を出さないで非協力を鮮明にするのか、いよいよ決断を迫られた格好になった。コンパオレ大統領の裁定で、試合は決着したのかと思いきや、まだ球の打ち合いが続いているのであった。
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