クーデタというと、武力に訴えて政権を奪取すること。だから、血で血を洗う凄惨な権力闘争劇を伴うのが普通である。そして、選挙で選ばれた大統領を血祭りに上げ、何の正統性もなく軍人が銃を振りかざしながら、権力奪取を宣言する。国中に戒厳令が敷かれ、市民生活は閉ざされる。だから、国際社会は激しく非難する。
ところが、今度のニジェールのクーデタは、ちょっと雰囲気が違う。もちろん、軍の兵士が大統領府に乗り込んできたときに、大統領の護衛兵との間で戦闘がおこり、何人か兵士が殺害された。だから無血クーデタとはいかなかったのだけれど、一般市民には死者も怪我人も出ていない。手際よくタンジャ大統領を隔離し、クーデタの成立を宣言した後は、静かなものである。当日の夜はさすがに、外出禁止が宣言されたけれど、翌日には解除された。当初封鎖された空港と国境も、翌日午後3時には再開され、ニアメ国際空港ではいつもどおりフライトが出入りしている。ニアメの街は、翌日から平常の様子で、軍服を着た人さえ見かけないという。
タンジャ大統領は、軍に拘留されたままである。それで、軍と国民の間に、対立が生じるかと思った。ところが、ニジェールの各地で、クーデタ支持の国民集会が開催されている。何と驚くなかれ、タンジャ大統領の与党の副党首は、クーデタを起こした「民主主義復興最高評議会」に対して、クーデタを支持する、ついては新しい政府に参加したい、と声明を出したのである。まったく、昨年のタンジャ大統領の無手勝流には、誰もが頭に来ていたらしい。タンジャ大統領は、蓋を開けてみると、自分の支持者にも見放されていた。裸の王様だったわけだ。
さて、私は信任状捧呈のために、昨年9月にニジェールに出張したときに、ニアメ駐在の米国大使と交わした会話を思い出している。
「タンジャ大統領のやり方に対しては、国中でうんざりしているようですよ。せっかく10年間にわたって確立してきた民主主義を、彼が任期の最後に台無しにしてしまった。軍の中にさえ、タンジャ大統領は支持できないと言っている人々がいます。」
米国大使がそう教えてくれる。
私は、それって、クーデタもありうるという話ですか、と聞いた。
「そうですね、その可能性は排除できません。」
私はちょっと意地悪に、米国大使に聞いた。もしクーデタが起こったら、ひょっとして米国は、非民主主義、反憲法の大統領を排除したクーデタとして、支持するのですか。
米国は、これまでクーデタという武力による政権奪取が起こるたびに、激しく非難してきた。民主主義に反するから、米国としては決して認められない行為である。ところが、米国大使は笑って答えた。
「面白い設問ですね。民主主義を守るためのクーデタというのは、あり得るかも知れませんね。」
是々非々でいっても、非の非は是になる、というのだろうか。
だから、今度のクーデタで、米国がどういう反応をするか、私は興味深く見ていたのである。そうしたら、クーデタが起こったその日(2月18日)に、国務省の報道官が、記者会見でこう答えた。
「ご存じの通り、タンジャ大統領は、自分の任期を無理して延長しようとしていたわけです。米国も、西アフリカ諸国共同体(ECOWAS)も、これに対しては、憂慮をしていました。だから、本日の事態を迎えたのも、タンジャ大統領の身から出た錆(an act on his behalf)というところがありますね。もちろん、こういう暴力による政権奪取を、米国として弁護するものではありません。しかし一方で、ニジェールが、選挙を行い、ちゃんとした政府を作り直すことにより、前進する必要があるということを、ここで強調しておきたいです。」
表面上はクーデタ非難ながら、実質はほとんど支持すると言っているみたいなものだ。もちろん、クーデタは認められない、というのが、現代の国際社会の常識である。欧州連合(EU)も、アフリカ連合(AU)も、フランスも、早速声明を出したところは、皆口を揃えて、武力による反憲法的な権力奪取を非難する、と言っている。日本も、同趣旨の外務報道官談話を出した。ところが、そうは言いながら、どこもタンジャ大統領を支持する、大統領に権力を返せ、というようなことを言うところはない。
誰もがはっきり言わないけれど、今度のクーデタは、ニジェールの良識を代弁したものだと思っているのだ。選挙で選ばれた大統領とはいえ、非民主主義的、反憲法的なやりかたで、自分の権力に固執した場合、やはり当然の帰結が来る。まさに、身から出た錆である。普通はクーデタというと、またアフリカでクーデタか、やれやれ、と思う。ところが、今回に限っては、やはりアフリカでも民主主義を蔑ろにすることは許されない、正義が勝つのだという思いがあって、ほっとしているようだ。まことに不思議な展開である。
ところが、今度のニジェールのクーデタは、ちょっと雰囲気が違う。もちろん、軍の兵士が大統領府に乗り込んできたときに、大統領の護衛兵との間で戦闘がおこり、何人か兵士が殺害された。だから無血クーデタとはいかなかったのだけれど、一般市民には死者も怪我人も出ていない。手際よくタンジャ大統領を隔離し、クーデタの成立を宣言した後は、静かなものである。当日の夜はさすがに、外出禁止が宣言されたけれど、翌日には解除された。当初封鎖された空港と国境も、翌日午後3時には再開され、ニアメ国際空港ではいつもどおりフライトが出入りしている。ニアメの街は、翌日から平常の様子で、軍服を着た人さえ見かけないという。
タンジャ大統領は、軍に拘留されたままである。それで、軍と国民の間に、対立が生じるかと思った。ところが、ニジェールの各地で、クーデタ支持の国民集会が開催されている。何と驚くなかれ、タンジャ大統領の与党の副党首は、クーデタを起こした「民主主義復興最高評議会」に対して、クーデタを支持する、ついては新しい政府に参加したい、と声明を出したのである。まったく、昨年のタンジャ大統領の無手勝流には、誰もが頭に来ていたらしい。タンジャ大統領は、蓋を開けてみると、自分の支持者にも見放されていた。裸の王様だったわけだ。
さて、私は信任状捧呈のために、昨年9月にニジェールに出張したときに、ニアメ駐在の米国大使と交わした会話を思い出している。
「タンジャ大統領のやり方に対しては、国中でうんざりしているようですよ。せっかく10年間にわたって確立してきた民主主義を、彼が任期の最後に台無しにしてしまった。軍の中にさえ、タンジャ大統領は支持できないと言っている人々がいます。」
米国大使がそう教えてくれる。
私は、それって、クーデタもありうるという話ですか、と聞いた。
「そうですね、その可能性は排除できません。」
私はちょっと意地悪に、米国大使に聞いた。もしクーデタが起こったら、ひょっとして米国は、非民主主義、反憲法の大統領を排除したクーデタとして、支持するのですか。
米国は、これまでクーデタという武力による政権奪取が起こるたびに、激しく非難してきた。民主主義に反するから、米国としては決して認められない行為である。ところが、米国大使は笑って答えた。
「面白い設問ですね。民主主義を守るためのクーデタというのは、あり得るかも知れませんね。」
是々非々でいっても、非の非は是になる、というのだろうか。
だから、今度のクーデタで、米国がどういう反応をするか、私は興味深く見ていたのである。そうしたら、クーデタが起こったその日(2月18日)に、国務省の報道官が、記者会見でこう答えた。
「ご存じの通り、タンジャ大統領は、自分の任期を無理して延長しようとしていたわけです。米国も、西アフリカ諸国共同体(ECOWAS)も、これに対しては、憂慮をしていました。だから、本日の事態を迎えたのも、タンジャ大統領の身から出た錆(an act on his behalf)というところがありますね。もちろん、こういう暴力による政権奪取を、米国として弁護するものではありません。しかし一方で、ニジェールが、選挙を行い、ちゃんとした政府を作り直すことにより、前進する必要があるということを、ここで強調しておきたいです。」
表面上はクーデタ非難ながら、実質はほとんど支持すると言っているみたいなものだ。もちろん、クーデタは認められない、というのが、現代の国際社会の常識である。欧州連合(EU)も、アフリカ連合(AU)も、フランスも、早速声明を出したところは、皆口を揃えて、武力による反憲法的な権力奪取を非難する、と言っている。日本も、同趣旨の外務報道官談話を出した。ところが、そうは言いながら、どこもタンジャ大統領を支持する、大統領に権力を返せ、というようなことを言うところはない。
誰もがはっきり言わないけれど、今度のクーデタは、ニジェールの良識を代弁したものだと思っているのだ。選挙で選ばれた大統領とはいえ、非民主主義的、反憲法的なやりかたで、自分の権力に固執した場合、やはり当然の帰結が来る。まさに、身から出た錆である。普通はクーデタというと、またアフリカでクーデタか、やれやれ、と思う。ところが、今回に限っては、やはりアフリカでも民主主義を蔑ろにすることは許されない、正義が勝つのだという思いがあって、ほっとしているようだ。まことに不思議な展開である。
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