私的フリゲ史~ホラーを中心に~ 

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2019-05-11 15:48:01

自分視点で、2002~くらいからのホラーフリゲの動きを語ったもの。妙に長いよ。

Posted by @ryozy13

 私的フリゲ史~ホラーを中心に~
 かいたひと:リョージィ(神馬藻 了)。フリゲ「はてしない与太話」「輸送艦ちぐさ殺人事件」「ワスレナセカイ」、R18G シェアゲ「武士道凌辱迷宮」とかの人、と言ってどれだけ認識されてるかわからないけどせっかくなので認識していってね!
 
 「フリーゲームの歴史」的なものが読みたいなと思っていて、断片的なものを書いてる人は何人かいたけどなかなか決定版的なものとなると難しいな、ということを悟り、ならば自分が断片のひとつを提供するしかないな、と思ったので書いてみようと思った。あくまで自分の視点からの話なのでかなり属人的な感じになるし、半分くらい自分語りになると思う。仕方ない、人はみんな自分語りが大好きだ(雑な主語)!そんな感じの何かである。
 とりあえず私・了次こと神馬藻了のスペックから紹介しよう。平成生まれのナウなヤング(自称)、フリゲを始めたのは2001~2002年ごろ。2005~2006年頃にいったん休止しそのあとに再開したため、2006年以降のフリゲを「最近のフリゲ」、それ以前のフリゲを「昔のフリゲ」と思ってるフシがある。2008年だか2009年だかからは自分でゲーム制作を始める。使用ツールはもっぱらNscripter。最近シェアウェアのエロゲー制作に手を染めた。謎解き脱出男性受けリョナエロ時代劇という隙間ニッチの煮こごりに興味はないだろうか。買ってくれ(宣伝)。
 主食はADVとRPG。ギミック重視の短編ゲームが大好きだけど、割とジャンル問わずなんでもやってるほうだとは思う。なのでこの原稿も、RPGに始まり多岐にわたって書き散らすつもりだったのだけど、あまりにも分量が多いしジャンルまたいで話があっちこっち飛ぶので発狂しかけた。というわけでまず、時代ごとの変動が大きく、私の守備範囲であったホラーに絞って話をしていこうと思っている。「あった」というのはホラーゲーが急増してから追い切れなくなって諦めてしまったからであり、結局のところ最近のホラーゲーの動向についてはまるで分かってないので実質2002~2010年くらいまでの動向の話になると思う。最近はもうレビューサイトやふりーむの新着をこまめにチェックして新作を漁るほどの体力気力がなくなってしまったので私がカバーしきれなかった分は誰か語っておいてほしい。というかこれを叩き台にして、みんなそれぞれの守備範囲の話をしてほしい。そして認識が間違ってる部分もあると思うので思いっきり突っ込んでほしい。それだけが、私の望みです。
 
○ホラーゲーの系譜
 今から考えると信じられないと言われそうだが、かつて(ゼロ年代前半)、ホラーはマイナージャンルだった。私、「フリーソフトの面白いゲームまとめページ」に載ってるホラーゲーはだいたい全部把握してた記憶があるもの。全部プレイできたわけじゃないけど……
 21世紀に入ってからフリゲを始めた私が語るのもナンなのだが、ツクール2000以前のホラゲー御三家といえば「コープスパーティー(チームグリグリ,1996)」、「囚人へのペル・エム・フル(八百谷真,1998)」、「パレット(西田好孝,2000)」である……と言ってしまっていいと思う。特徴的なのは、どれもツールの「色数の少なさ」を、薄暗い夜の学校、閉ざされた古代遺跡、殺風景な病院から繋がる精神世界、というそれぞれの舞台にマッチさせ、雰囲気作りとしてうまく使っていたことだった。どれも名作なんだけど今のPCだと動かないだろうなあ……
 とりわけ囚ペル・コープスの影響は大きかったんじゃないかと思う。2000年代初頭のツクール系フリゲはこの二作と同じ「フラグを立てそこねるたびに仲間が死んでいくが、全員生存させればグッドエンド」方式がすごく多かった。「kinder(ぱるん,2003)」「Gu-L(焼城ユブ,2001)」「キラーベア(ねこふろしき,2005)」「シンショク(Recycle Force,2005)」「寄生ジョーカー(Blue Sky!,2007?)」「カノウセイ(八久斗,2008)」あたりかな?助けきれなかった仲間が無惨に死んでいくホラー感と、トライアンドエラーで解法を見つける楽しさが組み合わさって、私はこれ大好きなジャンルなのである。今そんなに見かけない気がするけど。
 今やツクール製ホラーゲーの定番になった感のある鬼ごっこイベントだが、こちらはあんまり初期は見かけなかった。瞬発的な恐怖の表現として短距離を走らせるイベントはあったけど(コープスパーティの人体模型、「涅槃(DarkworldSoft,2002?)」の部屋脱出イベントなど)、「マップをまたいであまり自分と速度の変わらない敵と鬼ごっこで長距離を走らせる」というのはほとんど見られなかったのである。これはやはり「青鬼(noprops,2004。初出は2004なんですよ驚くべきことに!)」から……と考えて良いのだろうか?動画系あまり詳しくないので誰か補足オナシャス!
 ちなみに「涅槃」の逃げイベントは、相手のほうが圧倒的に走る速度が早いので、部屋を飛び出したら相手が部屋を出てくる前に隠れられる場所に飛び込まないと死ぬ代物だった。恐怖感としてはそのほうが効果的な気がするけど、相手の速度を抑えめにして走る時間が長いほうが実況向けゲーとしては映えるんだろうなあ。あとホラー作品の場合、部屋は狭いほうが閉塞感があって怖いと思うんだけど、逃げ回ることを重視した結果やたら広くなっちゃうケースわりとあるよな。システム都合と雰囲気がぶつかりがちなのが鬼ごっこ系ホラーの持つジレンマなのかもしれない。
 とにかく、ホラゲの実況ブーム以降、鬼ごっこはホラゲの定番となったのである。しかし個人的に面白いと思ったのが、これにより「鬼ごっこ要素がめちゃくちゃ苦手(クリアできない)」という層が可視化されたことである。私は最初ピンと来なかった。アクションゲーやり慣れてる人だと「鬼ごっこが苦手?どういうこと?」となるんじゃないかと思う。しかし実況向けホラゲの隆盛によって「ゲーム全般に慣れているわけではないホラーフリゲファン」という層が増加し、皮肉にもその中には少なからずアクション超苦手な人が混ざっていたのである。その結果、鬼ごっこをスキップできるモードを搭載したり、逆に「鬼ごっこがない」ことを売りにするフリゲが登場するなど、価値観の再転換が起こったようにも思える。ホラゲーにとって鬼ごっことは何なのか?その意義が再度問い直されたのかもしれない。
 作者の意図がそこにあったのかどうかは知らないが、「鬼ごっこの意義」に特化したフリゲも出現したので紹介しておこう。「BLACK LABO(XyliShoot ,2010)」である。凶暴な被検体がうろつく研究室に取り残された研究者となって脱出を目指す!というバイオハザードめいた作品だが、被検体に見つからないように忍び歩きするときの息が詰まるような緊張感、被検体のほうが足が遅いが主人公側にはスタミナの限界があるため走り続けられないとか、相手の視界に一定時間入らずにいられれば見失ってくれるのだが部屋が狭いので下手に逃げ込むと袋の鼠になってしまうとか、「逃げられそうで逃げられない」怖さに重点をおき、鬼ごっこという概念の意義を徹底的に突き詰めた作品である。鬼ごっこに対してこれ以上に向き合った作品、ないんじゃなかろうか。鬼ごっこゲーの隆盛が産んだ一つの到達点と言えるだろう。
 
 さて、ここでは「仲間の死にフラグ粉砕型」と「鬼ごっこ」というふたつのトピックを中心に話をしてきた。だがむろん、その枠におさまらない作品もある……というかこれらの要素は相反するものじゃなく、一つの作品に複数の要素が入ってたりするんだけど。
 探索系に近い作品ではお化け屋敷探検隊(ねこふろしき,2003)、マヨヒガ(oumi,2004)、擬人のゆりかご(象龍茶,2007?もっと前だった気もする)あたりがメジャーどころかな。ツクールを使った作品だけに戦闘が入っていたり、RPG的な部分が残っている作品がけっこうあったような。いまツクール製ADVはRPGから分化し、むしろ見るゲ・ノベルゲに近くなった作品もそれなりに見られるような気がしてるのだけど、この辺についてはイメージなので識者に任せる。

 私が「ホラーゲームって少なくね?」とか言いながらホラーゲームを作り始めたのがたしか2009年の初頭くらいの話だった。つまり、それまではホラーゲームって「そんなにメジャーじゃない」という感覚だったのである。ウィキペディアの「青鬼」の記事によると青鬼の人気が出始めたのが2009年だそうなので、実況ブームをきっかけとしたホラゲーのカンブリア爆発は2009年以降くらいから、という認識でいいんだろうか。私は2008年くらいからニコ厨だったのだが、ニコ動で「フリーゲーム」で検索すると少数のプレイ動画とMAD動画、という状態だったのが爆発的に実況動画が増え始めたのがこのへんだった記憶がある。とはいえあまり実況を見ないたちなのもあって記憶が定かではない(むしろ私は、数少ないネタ動画とか手書きMADが埋もれるからやめて!と思ってた側の人間だったりする)。このころのゲームとしては(いかん、すでにこのくらいの時代からあんまり詳しくない)、スクッテー(粉粉粉粉粉,2011)とかあの辺が有名どころかな?実況者のリアクション性が高いゲームほど実況されるので、理不尽な脅かしなどが入る作品が比較的多く、ゲームとしては不親切設計でも許容される傾向があったように思える。
 そしてホラーゲーの知名度は「Ib(kouri,2012)」でさらに一段階のブレイクを起こす。私は小麦畑(かもかて作者・oumiさんのHP)の日記で紹介されているのを見て知ったのだけど、細部までこだわったお洒落グラフィックとスタイリッシュな怖さの雰囲気を両立させた作品で、多くのライト層を含むプレイヤーを確かに熱狂させた。
 ホラーという媒体は、キャラクターを描くのに意外と相性がいい。いや、キャラクターを描くことが意外とホラーと相性がいいと言うべきか。恐怖にさらされ不安な中、他人に出会えば安心する。その他人に不穏な言動が出てくれば「本当に信用して大丈夫?」となる。そして大丈夫じゃなかった場合の絶望感は半端ない(Ibは本当にこういう感情誘導の加減が上手いよねェー!)。キャラクター同士の、というよりプレイヤーからキャラクターへの感情を、ホラーというジャンルは増幅することができるのである。
かくて「少人数のキャラクターの心の動きをホラー展開にからめて描く」というスタンスのホラーが増加していった……と言い切ってしまえるほど私のプレイ数は多くないのだけど、そういったウェットな作品が増加していたという感覚はある(もちろん今までなかったわけではないよ)。「ジャンルとしてはホラーだけどホラーというほど怖くなくない?」という作品も増えてきた印象だった。言ってみれば、ホラーの範囲が拡張されメインジャンルでなくサブジャンルとして使われることが増えた、と言っていいと思う。ここに来て怖さはメインディッシュではなく、スパイスとして使える素材である、という認識が広まったのだ。そのため、学校、病院、廃屋などのいかにもホラーっぽい舞台でなく、メルヘン風、ファンタジー風の世界観の増加も特徴かな。またブームの担い手が主に「ライト層の若い女の子」であったこと、「書籍化」というひとつの到達点が示されたこと、などがこの時代のブームの特徴だったといえよう……今どうなの?(旧人類)
その一方で「いや、ホラーはメインディッシュだろ!」という、怖いものを目指そうという潮流も見受けられる……と思ってるけど、なにぶん最近の作品多すぎて追えてないので識者に任せたい。そもそも私にとっていつからが最近なんだろう。2012年がすでにだいぶ前だよ。

 ここまで語ってきたのはツクール・ウディタ系のホラー作品の話であるが、ホラーにはもうひとつ、大きい潮流がある。ノベル・アドベンチャー系である。
 まあ、「アドベンチャー」という言葉の定義がめちゃくちゃ広いのもあり、この中でも選択肢なしの完全サウンドノベル、選択肢ありのサウンドノベル、もっとゲーム性の高いやつ、という区分があるのだが、とりあえず混ぜて語っておこう。しかし私は選択肢の少ないサウンドノベルあんまり好きじゃないので、だいぶやりそびれてる作品があるのだが。
 サウンドノベル自体の由来については私は守備範囲外なので論じないが、「弟切草」をはじめとするイロイロがイロイロであること、吉里吉里・Nスクの登場などから、90年代時点ですでにフリゲ内では1ジャンルとして認識されていたと思われる(詳細はたきゃしー氏の論に詳しいのでそっち読んで)。エロゲーでも伝奇ものって定番だったし(今でもそうなのかな?)、ホラー要素とサウンドノベルは相性のいいジャンル、と言っていいと思う。
 とはいえ、初期は選択肢なしの純サウンドノベルってそんなになかったような気もする(私の守備範囲外だからか?)。選択肢をもってホラー的な緊張感を出すタイプの作品の代表例は1999Christmas Eve(1999ChristmasEve Project ,2000)……と言われるけど、実は私はこれ未プレイ。その後継作と呼ばれるJune Bride(まきし,2001)はやったな。閉鎖空間に閉じこめられた主人公とヒロインが怪異に巻き込まれていき、やがて己自身に科せられた因縁と向き合うことになる……という伝奇の文脈で、「自ら選択肢を選んで進んでいく」という選択肢多めノベルゲーはまさにぴったりだったのである。
 近いポジションがゾウディアック(バイオハザード・サイレントヒルを考える会,2002)。作者HP名からも分かるように、ああいうタイプのゲームをサウンドノベルでやるには?ということを突き詰めた作品で、謎解きあり戦闘ありの、サウンドノベルというにはRPG・SLG的要素を加えたシステムになっている。
 ゼロ年代初期のゲームでは、他に「首がない子の話(水由きみや ,2004)」「赤い部屋(くすりばこ,2003)(※同名のブラウザゲーが有名だけど、コミックメーカー製のほうね)」「学校七不思議シリーズ(藍澤風樹,2000~)」などがあるが、ゲーム性という面に注目すると、選択肢に対するスタンスが割と異なってるのがおもしろいところ。
「首がない子の話」は最終的には怪異「首がない子」から逃げ切るのが目的で、逃げ切れなければ死、首のない子を追い返すために何をすればいいのか正解にたどり着けなければ死、という点でいわゆる「ゲーム性」が高く、先に述べたサバイバル系ホラー系と言っていいと思う。「恐怖の花子さん(夢鳥,2003)」などが似た系列か。
 「赤い部屋」は、かつて友人と呼んだ相手に恨みを買ってしまった主人公(やられるだけのことを実際してるんだけどな!)が自分専用オーダーメイドデスゲーム装置に投げ込まれる、怪異ではなく「人間が一番怖い」的な作品である。この相手がまた恐ろしく、やられたら嫌なギミックを的確に投げかけてくるんだけど「そいつの誕生日を入力しないと鍵があかなくなり、餓死を待つだけとなる」部分で主人公は「10月23日だったかしら?24日だったかしら?どっち?」と悩んだりする……という点ではサバイバルホラーの文脈だが、「どっちが正解なのかプレイヤーには判断するすべがない」というのが特徴だ。まあ、どっちを選んだら生き残れるのか分からない選択を迫られ無惨に死んでいくのはサバイバルホラーでも定番であり花形でもあるのだけど、この作品の選択肢はわりとずっとこんな感じ。これがホラーゲームでなければ「運ゲーさせるなよ!」となるところだが、このゲームは50%の確率で死ぬ運ゲーがごろごろしているデスゲーム部屋に放り込まれた主人公の絶望感を味わうことが目的だから非常に効果的なのである。しかも当時のコミックメーカー、選択肢でセーブする機能がなかった。実に主人公の恨まれっぷりが骨身に染みたもんである。
 そして学校七不思議……は、シリーズによってスタンスに差があるのでまとめて語ってしまっていいものかとは思うものの、基本的には選択肢で進むホラーの文脈を続けつつ、「怪談を聞く順番によってルートが分岐する」システムになってるのがあった。この場合、選択肢はハッピーエンドを目指すものというより「複数の物語のうちどれを摂取するか」を決めるものにすぎない。怪談オムニバスというか、アンソロジーというかそういうシステムである。カイダン実ハ(トラベルミン,2008)とかがこの系統かな。
 選択肢による分岐にはこのように「目指すべき目標(生還とか)があり、それを目指して選ぶものか?」「実質運ゲーであり、選択を迫られること自体に付随する恐怖感を演出するためのものか?」「それとも外部からの傍観者の立場で、何の物語を選ぶかに過ぎないのか?」という区別があり、もちろん一つのゲームの中に複数種の選択肢が混ざっていることも普通だし、一つの選択肢が複数の性質を持つことすらあるのだが、「いかにしてプレイヤーの選択を恐怖に繋げるか?」という部分でのバリエーションは多く、これがホラー系ADVのバリエーションを産み出すものでもあった(ホラーゲーの場合、「ホラー的な演出をする」という意義があれば理不尽な即死選択肢なども入れやすい、というのもジャンル的な特徴である)。一方、これが「ADV」というジャンルの範囲広すぎない?と私がぼやいてる要因のひとつでもあるのだ。広いよ、タテハチョウ科くらい広いよ!広すぎるよ!テングチョウ科とかマダラチョウ科とかはどこ行ったんだよ!(虫好き的表現)
 まあ、しかし最近、ガッツリ選択肢を選ばせるサバイバル型の作品はあまり見かけなくなった気がする。理由は後述する。

 なお、もっと「ゲームっぽい」見た目の作品もあった。「mansion of the fear(えむぃ,2001くらい?)」「碧の黙示録(えむぃ,2001くらい?)」(この二作品は作者同じだけど)、「精神破壊(じろた,1998)」などはコマンド選択型ADVという形式をとった作品である。
 コマンド選択型ADV、つまり商業作品で言うとシャドウゲイト。「この局面で何をしたらいいか」を考えて実行しなければいけないため、自由度と難易度が高いシステムである。
 コマンド選択型ADVと相性の良いのは詰まったときのコマンド総当たり時にダレない要素を含んだジャンルじゃないかと思う。代表例がシャドウゲイトのようなシビアな(行動を間違えると死ぬ)探索ゲーだと思うが、そういう点でホラーはすごく相性がいいのだった。「何をすればいいか考えろ、さもなくば死ぬぞ」である。碧の黙示録なんかクラスメイトが容赦なく死ぬし(これ、前述の「仲間の死亡フラグへし折り型ホラーゲーム」でもある)、いろんなギミックを仕込んで来てまさに「ゲーム」って感じだったなあ……
 なお、「精神破壊」ではコマンド選択次第で壁に話しかけたりヒロインの耳穴に指を突っ込んだりできたが、主人公がもともとズレてるというか若干異常者なので、その異常っぷりを楽しむ意味で面白かった。コマンド選択の都合で変な行動をしても面白い反応が返ってくる、というのはやっぱり面白いので、ホラーの他にギャグとも相性のいいジャンルなんだろうなあと思う。なんでこんな話をしたかというと、フリゲのコマンド選択式ADVで一番有名なのって多分シルフェイド見聞録(SmokingWOLF,2001)だよなー!ということに思い至ってしまったからである。全然ホラーじゃないけどシル見の話をさせろ。人は通常キュウリで人の頭を殴ったりしないが、選択肢として出されたらやっちゃうんだ、選択肢の意義とはそういうものなんだ!
 えー、シル見の話はいずれ別項立ててやりましょう。その他、サウンドノベルっぽい形状をしていながらゲーム性を追求してるゲームとしてはThe Box Of Lore(黒猫銀次,2008)などがある。私はこの人の「ゲーム」という媒体への向き合い方が好きなのである。「行動を自分で選べる」というゲームの要素をどうホラーに生かすか、という点でホラゲのバリエーションはまさに無限なのである。

しかし最近この手のジャンル、減ってるんじゃないか?と思ったりもする。
思うに、分岐たくさん系サウンドノベルやコマンド選択式アドベンチャーは、「映画の主人公のように、実際にその世界を恐怖に怯えながら歩いてほしい」という作者の願いが生み出したものだったのだ。しかし現在、絵が描ける人が増え、高度な写真加工技術も増え、大量の高画質画像を使ったゲームの制作が可能になり、ビジュアル面での強化がしやすくなった。実際に世界を歩いている臨場感を重視するスタンスはテキストベースのサウンドノベルよりも、ツクール等のツールを使ったゲーム(あるいは思い切って、3D)に引き継がれてるんじゃないだろうか。
 言い換えれば、同じ船に乗っていた「ゲーマー」と「ノベラー」が分化を始めたことがホラーゲーのありかたにも変化をもたらした、ということかもしれない。また、「ゲーム的」なものを入れなくても「ゲーム」という媒体は表現法として使えるんだ!という認識が一般的になったのもあるかもしれない。本当はノベル的な表現を嗜好しているのに「ゲームを作っているんだから」とゲーム要素を入れていた層も「これ抜いてもいいんじゃない?」という認識をするようになっただろう。
 ま、実際めんどくさいよね行動ひとつごとに選択肢を迫られるの(身も蓋もない)。十字キーで移動し、調べたいものの前で決定ボタンを押すことだって実質的には選択なのだが、そこに選択肢を選ぶような「重さ」はない。洗練されたゲームシステムとは、選択肢が選択肢であることをさらっと覆い隠すものでもあり、それは間違いなく進化だ。なのだが、私はいろんなものをいちいちテキストでやってる系のゲーム、好きなのである。テキストが好きであり、ゲームという媒体が好きなのである。つまり何がいいたいかというと、ADVをください、たくさん下さい。
 なお一番、「ノベル系じゃないけどテキストベースでめっちゃ怖い」と感じたのはRuina(枯草章吉,2008)の宮殿パートだったことを付記しておこう。ホラーじゃねえ。

 ノベル方向の話をしよう。
 恐らく、忘れてはいけないのが「ひぐらしのなく頃に」の初出が2002年だったこと。一時期、鬼隠し編が体験版として無料公開してたよな。……みたいな話をしようとしたのだが、有料同人ではないフリゲホラー方面にひぐらしの影響がどの程度あったのか、私の観測範囲からはよくわからなかったので識者にブン投げることにした。お前、原稿の最初に「それだけが、私の望みです。」とか書いといてそれかよ!
いや、まあめちゃくちゃ怖かったけどね鬼隠し編。直接的に「影響受けてる?」って思ったフリゲ、「ナイ・アン・デ(ノンリニア,2008)」くらいしか思いつかないな。
ホラー的な部分よりも、ループものとかメタ構造の概念を一般に広めるのに一役買ったんじゃないかな……みたいな話をしたら友人に「私はひとかた(お竜,2001)で履修したんだけど?」と言われてしまったのであった。ひとかた履修してなくてすいません!
 さて、私の記憶では、ホラーに限らずある地点から選択肢なし・あっても少量のノベルゲーが大量に増加したような記憶があるのである。ゼロ年代後半くらいの話だ。当時「フリーゲーム 紹介」とかでぐぐるとノベルゲー系ばかりで、純ノベルが守備範囲に入りづらい私にとっては割と暗黒時代だったような……
考えてみたら当たり前の話で、字を読むのが好きな人ほど字を書くのも好きな確率が高いんだから、ノベルゲーというのは一番レビューされやすいジャンルなのだ。ゼロ年代前半と違い、字書きにとってありがたい「ブログ」という媒体が一般的になったことで技術的な制約もなくなり、そこはもうノベルゲーレビュワーの天国となるのである(大げさ)。あ、あとおそらく同じ理由で乙女ゲーがすごく増えたのこのへんの時代だった気がする。乙女の長文感想力すげえな!と思った記憶あるし。
 退廃ノスタルジア(ぐれっち,2007)、the noose(夏鳴,2006)など、ゼロ年代後半から、背景画像の雰囲気にこだわったスタイリッシュな感じのホラーノベルが増えていた。特徴としては見た目の綺麗さと、プレイヤーがゲームの中に入り込んでサバイバルするというよりは一歩引いて怪談を聞くような印象のホラー感がトレンドになったのかな、という感覚だった(あくまで感覚ね)。ライブメーカーなどの直感的に扱いやすいノベルゲツールが増加し、デジカメや画像加工ソフトの発達により綺麗でスタイリッシュな背景素材が作りやすくなったことで製作者の裾野が広がったことが時代的な要因として上げられるだろう。かくて2009年ごろ、実況ブームによるホラーゲーの激増という黒船がやってくるまではホラーといったらノベル作品、という時代があったのである。あと、「たぶんおそらくきっと」作品の存在感が大きかったよね。それと、ホラーとは別かもしれないけど「ヤンデレ」と言う言葉ができたのが2005年前後のこと(当時の私は「やっと私の性癖に名前がついた!」と喜んでいた。なお参考までに「リョナ」の初出は2003年。いろんな性癖が名詞化した年代を調べてみると「割と最近だな!?」となって面白いよ)で、そこから派生したヤンデレブームによりヤンデレ系の作品(当然、ホラーと親和性が高い)が増えたのもこの時代の特徴なんじゃないかと思う。
 純ノベルが守備範囲に入りづらい私にとってはここまでが語れる限界である。あとは誰かやってほしい。

ホラー以外であと気になるトピック
○レビューサイトの変遷 ~ゼロ年代後半、ノベルばっかだな!と私は叫んでいた~
○ネフェイスト系 ~難度と親切設計の狭間~
○みるゲとノベルゲー ~「ゲーム性」からの解放~
○ギミックゲーの系譜 ~短編フリゲで印象を残す冴えたやりかたと3分ゲーコンテスト~
○市販ゲーのギミックはどう作用するか ~逆裁型推理ゲーって増えたよな~
○家庭用PCの普及と制作ツールの各種 ~ゲ製ハードルはどう下がっていったか、あるいは技術的制約による表現について~
○メタゲーのありかた ~ゲーム内世界にとってプレイヤーとは?周回ゲーとループもの概念、そのあたりを中心に~
○「ゲーム制作ゲー」の隆盛 ~勇者の憂鬱、答え合わせとしてのまもも~

参考になりそうなサイト

フリーソフト超激辛ゲームレビューhttp://gekikarareview.com/
老舗のフリゲレビューサイト。どれだけ世話になったことか。もはや最初のほうは歴史的文献では?

フリゲ20XX https://furige.herokuapp.com/
2008年以降の話題作の話をするのにめっちゃありがたいっす。コメントで当時の空気感とかも知れるし。歴史的文献その2。

Videogame Liberators 195X~2015 自主制作ゲーム史論 Web版http://tansubeya.x0.to/vgrweb/vgr.html
たきゃしー氏のフリゲ史。アクションゲー中心。195x~なのでゲーム全般の歴史としてもとても参考になりました。というか、この人の守備範囲外の穴を埋めたくて書いた。

フリーホラーゲーム一覧DXhttp://freehorror.web.fc2.com/
あくまで一覧だけど、「あのころこんなゲームあったな!」というのを思い出すのに重宝しました。

夢鳥 絶賛!酷評?フリーホラーゲーム http://yumedori.ec-net.jp/page032.html
「恐怖の花子さん」作者の夢鳥氏のホラーフリゲレビュー。結構な老舗だし、記述が詳細でとてもよい。


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