DJ プラパンチャ

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DJ プラパンチャ
@prapanca_snares
〇すでに水没したジルニトラは水没しない。まだ水没していないジルニトラも水没しない。すでに水没したジルニトラとまだ水没していないジルニトラを離れて、現に水没しつつあるジルニトラは水没しない △色のない緑の考えは猛烈に眠るというわけでも眠らぬというわけでもない ロT-34 ShockとDJプラパンチャは同一でも別異でもない
虚航船団にいるというわけでも、いないというわけでもないnote.com/prapanca_snaresJoined September 2019

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というわけでnoteを更新しました。「宗教」という概念は、人間が時代や地域を超えて普遍的に抱くものではなく、近代に新しく創作された概念です。この概念によって、明治以降の日本にもたらされた悲喜劇やコトバの混乱について記しました。興味がある方はどうぞ。
空海についての本を読んでいて知ったんだが、「当時の日本は季節風を知らず、航海術も造船技術もレベルが低かったため遣唐使船は遭難することが多く、成功率は低かった」というのが従来の通説だったが、近年はそれを覆す研究が出てきているんだという。
お読みいただきありがとうございます。なお、初詣は日本で古くから行われてきた「伝統」だと思っている方も多いようですが、そうではありません。初詣は、明治以降に鉄道と深く関わりながら成立した、近代的な新しい参詣のスタイルです。いわゆる「つくられた伝統」というやつです。(続く)
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増田聡
@smasuda
紅白の最中だがこれを目にして夢中で読んでいた(おかげでaiko見逃した)。めっちゃくっちゃ長くて面白い。いやー勉強せなあかんことはまだまだ山ほどあるなあ。初詣行く前2024年のうちに必読。オレたちの考えを構成してる概念自体が歴史的な産物であることにオレたちはしばしば無自覚なのだ x.com/prapanca_snare…
「宗教」という概念を特に疑問を覚えることなく用いている人は多いようだ。だが、そもそも現在の我々が考える「宗教」という概念は、明治以前には存在しなかった近代的な構築物である。「宗教」という概念それ自体を疑ってみる必要があるように思うので、少々長くなるがこの問題について述べてみたい。
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本書は「遣唐使船は季節風を知らず、それに逆行して航海したので、そのほとんどが遭難した」という定説についても検証しており、「季節風の存在を知っていたかどうかは別として、その航跡を見る限り大局的には季節風を利用した航海であった」と書き直さなければならないとする。
少し長くなりますがお答えします。まず、我々が用いている「宗教」という語は、人類が時代や地域を問わず抱く普遍的な概念ではなく、近代に新しく創作された概念です。「宗教」を語る言説は数多くありますが、このことを押さえていないがために話がおかしくなっているものも多いように思うんです。 x.com/Aomidori2021/s
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一般にはあまり知られてませんが、ヘレン・ケラーは1915年の書簡で、障碍がある赤ちゃんを安楽死させることに賛成していました。この書簡には画像のように「真の生命への誠実な愛を示す人間の庭の除草」という表現があり、このすぐ後には「精神薄弱者」は潜在的な犯罪者だと言っている箇所もあります。
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横道誠
@macoto_y
『優生思想を支持する障害者たち』 (仮題)という本を作りたいので、関心のある編集者のかたは、お声がけをお願いいたします。「障害者は迷惑だから子どもを産んで遺伝させるな」という世間の差別的空気を内面化せざるを得なかった発達障害者がたくさんいます。いまだ知られざる社会問題です。
図書館にこもってこれを書いている途中で知って大変驚かされたことがいくつかあるので、(本稿と関係は薄いが)メモしておく。我々は何の疑問も覚えずに「幕府」という語を用いているが、これは江戸時代には使用頻度が非常に低い語であり、幕末に後期水戸学によって広まり一般化したことばである。(続く)
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DJ プラパンチャ
@prapanca_snares
というわけでnoteを更新しました。「宗教」という概念は、人間が時代や地域を超えて普遍的に抱くものではなく、近代に新しく創作された概念です。この概念によって、明治以降の日本にもたらされた悲喜劇やコトバの混乱について記しました。興味がある方はどうぞ。 note.com/prapanca_snare
例えば、民俗学者のジョージ・ローレンス・ゴム(1853-1916)は、17世紀半ばの記録にこんな話があると語っています。臨終に際した田舎の農夫に対して、牧師が死後の魂の行方を尋ねました。その老農夫は、魂とは体の中の大きな骨であり、自分は死後に「心地よい緑の草地」に赴くと答えたというんです。
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アライさん流まんまるまる亭
@skryta
中世ヨーロッパの非・知識人が信仰していたものは本当にキリスト教だったのか?という問題があるのだ。キリスト教という名前で呼ばれていたキリスト教ではないものの痕跡は少なくとも宗教戦争の頃までは残っていたのではないか?
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その後の歴史事典や百科事典や、フィクションに登場する遣唐使の記述はまるで判で押したようにこれを踏襲しており、森克己の説が定説になってしまったことが、命がけの危険極まる航海という遣唐使の暗いイメージを形成する原因になったんだそうで。
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また本書は、それまで遣唐使の全貌を記した研究書や概説書は意外に乏しく、日中の交渉史の権威だった森克己の『遣唐使』(至文社、1955)が唯一と言っていいほどだったとする。そしてそこには、遣唐使船は季節風の知識を全く欠き、逆風を冒して渡航するものだから多くが遭難したという旨の記述がある。
最初期の明治政府がいわゆる「神仏判然令」を出すなど、神道に肩入れした政策を行ったのは周知の通りだが、そうした方向性はすぐに挫折して複雑な軌道修正を経ていることや、一度は仏法と切り離された皇室が寺院との関係を復旧していったといったことは、やはり一般にはまだまだ知られていないようだ。
「断末摩」を断末の魔だと思っている人も多いようですが、そうではありません。死を迎える際に、身体中のマルマン(मर्मन्)という小さな急所が断ち割られて苦しむことがあるという説が仏教にあります。このマルマンを漢訳した語が「末摩」です。つまり「断末・摩」ではなく「断・末摩」なんです。
こうした領域に対する色眼鏡を少しでも取り去る上で吉永進一氏や横山茂雄氏による本格的な研究はもっと読まれるべきだと思うんです。彼らの研究に触れて、因や縁がそろえば自分を含めて誰でもこうした領域にハマるし、彼らを嘲笑したり“啓蒙”すればいいという話では全くないと思うようになりました。
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釋圓眞
@takumamonju
「宗教」関係者が、「“カルト”や“スピ”にハマるやつの本質は人生一発逆転狙いだ」みたいな言説を肯定する場合があるのは、「ウチは“カルト”や”スピ”みたいな胡乱なものとは違う」というある種の呑気さと傲慢さがあるからではないか。実際にそういうひとを見ていないのでなんとも言えないが。 x.com/prapanca_snare…
TLにやたらと「宗教」ということばが流れてくるので、このツリーを再掲しておきます。多くの人は「宗教」ということばを疑うことなく当然のように用いているようですが、そもそも「宗教」という概念自体がプロテスタンティズムを背景に近代的に創作されたものであり、大きな問題を孕んだ概念なんです。
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DJ プラパンチャ
@prapanca_snares
「宗教」という概念を特に疑問を覚えることなく用いている人は多いようだ。だが、そもそも現在の我々が考える「宗教」という概念は、明治以前には存在しなかった近代的な構築物である。「宗教」という概念それ自体を疑ってみる必要があるように思うので、少々長くなるがこの問題について述べてみたい。
山田奨治『禅という名の日本丸』読了。衝撃的な本だった。「弓道は禅と似ている」とか「竜安寺の石庭は禅の世界を表現したものだ」というのは最近までほとんど存在しなかった思想であり、戦後に創作されていった新しい神話であることを証明するのに成功している。
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ある研究者の方から伺ったのですが、歴史学者の平山昇先生が、少し前にnoteに書いた記事をご覧になったそうで、「近代日本の「国家神道」と「宗教」をめぐる研究史をめちゃくちゃ適確にまとめている」とコメントなさっていたそうです。大変恐縮です。
幕末に登場した黒住教や金光教や天理教が明治期にどのように変容していったかを辿ると、「宗教」という概念は時代や地域を超えて人間が抱く普遍的な概念では全くなく、近代に新しく創作された概念であることがよくわかるので、以下この問題について少し述べてみたい。
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DJ プラパンチャ
@prapanca_snares
「宗教」という概念を特に疑問を覚えることなく用いている人は多いようだ。だが、そもそも現在の我々が考える「宗教」という概念は、明治以前には存在しなかった近代的な構築物である。「宗教」という概念それ自体を疑ってみる必要があるように思うので、少々長くなるがこの問題について述べてみたい。
我々は、皇室と神社の結びつきを当然のことだと思っており、それを疑問にすら思わないが、平山昇氏の論文「明治の終わりと宗教――「皇室+神社」が当たり前になるまで」(『近代日本宗教史 第2巻 国家と宗教』春秋社、2021年)によれば、それが「常識」になっていくのは大正以降のことにすぎないという。
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教会に行かなくなった多くのイギリス人も、牧師や神父がしっかり務めを果たしてくれているとなんだか落ち着くという心理があるため、「宗教」離れが進んでも教会は存続できていると指摘する研究者がいることを知り、これは日本の状況と重なる部分があるかもしれないと思った。
「原始仏教」とか「歴史上の釈迦の教え」といったようなことばはよく見かけるけど、 ①仏典と呼ばれるものが文字化されるようになるのは、釈迦の時代から何百年もたってからである ②仏教について語る最古の文字資料は紀元前3世紀のアショーカ王碑文である
竹内洋『教養主義の没落』が話題のようですが、この問題で読まれてほしいと思うのはこの本ですね。「教養」という概念は、明治期に「宗教」関係者が関与する中で新しく近代的に創作されていった「修養」という概念から分離独立する形で成立したことが学べるすぐれものです。
粟津賢太氏の研究によれば、日本で現在行われている黙禱の起源は第一次大戦後の英領南アフリカにあり、それが英国から輸入されて、関東大震災の一周忌の際(1924年)に特定の「宗教」を明示しない弔意儀礼が初めて日本で行われ定着していくという(それ以前から行われていた遙拝とも融合していく)。
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神智学やスウェーデンボルグ主義やニューソートや自己啓発思想の歴史のお勉強をしていて衝撃的だったことの一つが、ヘレン・ケラーがスウェーデンボルグの熱心な信奉者だったことや、「優生学」を支持し、障碍があるなどの理由で人の役に立たない者は安楽死させるべきだと考えていたということですね。
従来の宗教社会学でもこうした分析理論はありました(ついったらんどでも、「『カルト』や『スピ』にハマるやつは安直な人生一発逆転を狙っている」的な俗説がバスったりする)が、先ほど紹介した横山・栗田対談では、こうした「剥奪理論」的な説明の問題点についても言及しています。 t.co/0q4GZquxb9
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元々「宗教」という概念はプロテスタンティズムを背景に近代に新しく創作されたもので、仏壇に手を合わせるといった生活世界に埋め込まれた非言語的な慣習行為(プラクティス)を軽視し、言語化された教理体系(ビリーフ)を重んじる偏りがあり、「中立的」なジャンル概念ではなかったりするので……。
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ジャッパの星
@loira294
そもそも「聖書を読んでその内容を理解する」ことが宗教行為の一部になったのって、つい最近の話だし。日本の仏教徒なんてどれだけお経の内容理解しているか怪しいもんだろ。
かつて阿満利麿は「総唱宗教/自然宗教」という区分を提案し、日本人の多くは特定の教祖や教義や教団を持つ創唱宗教への忌避感情が強いが、それを持たぬ自然宗教は寛容に実践していると論じた。このポストに対する多くの好意的な反応を見ているとそれを思い出すが、ある程度の説得力はあるように思う。
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荻pote@1日目南a-42a
@ogipote
家財全部ぶっ倒れてる中、このお姿見た時は流石に人智の超越を感じた
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大乗仏教で説かれる法身・報身・応身の三身説がピンとこないという人には、「ざっくり言うと、我々一般人にも見える中学生のまどかが応身で、アルティメットまどかが報身で、円環の理が法身」と説明することにしているんだが、もはやこのたとえは若い人には通じなくなりつつあるのかもしれない。
「たとえば、私自身が激しい歯痛を感じている時は、たとえ「私は歯が痛い」と言うとしても、その時私は歯痛そのものである。(中略)「私はしかじかのものを見ている」と言う時も同じです。その時、私はその視覚風景そのものです。その視覚風景の他に「それを見ている私」などというものは存在しません」
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天竜川ナコン
@love_eminemu
早く「僕・私」の代わりに全ての一人称を「窓」に統一して欲しい 窓は自分の窓を通してでしか世界を解釈できないため
そもそも「宗教」という概念は人類が時代や地域を超えて抱く普遍的な概念ではなく、近代に創作された新しい概念なんです。この手の話は、「宗教」という概念を疑うことなく自明視すると間違えてしまいます。詳しいことはここに書いたので興味のある方はどうぞ。 #唐突な宣伝 note.com/prapanca_snare
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中信(歴史上の人物をカードにしたい人)
@V69O6iL62aMiJjU
釈迦やキリストについて、 「自身を神様とする新興宗教を作った人」という誤解をしている人はそこそこいるような気がする。  自分は神様だなんて言っていないし、そもそも新しい宗教を作っているという考えは持っていなかったのではないかと思う。
仏像や仏画を信仰の対象として見るか「美術」作品として見るかというのも、近代仏教の問題と絡んでいます。「美術」という概念自体が明治以降に西洋から輸入されたもので、絵巻物や浮世絵や仏像などが「美術」という領域で扱われるようになると、「美術」と仏教の間に亀裂が生じるようになったんです。