日本のサッカー専用スタジアムの歴史を振り返ってみる 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話(02)
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2024年に開業したPEACE STADIUM Connected by SoftBank(ピースタ)。スタジアムだけでなく、アリーナ、ホテル、商業施設、オフィスなども併設
【宇都宮徹壱】
3つのサッカー専用スタジアムがオープンした2024年
Eピースは日本初の「街なかスタジアム」として、広島の中心街に位置し、平和記念公園や広島城と連携した回遊性の高い設計が特徴。「歓声と憩いをまちなかに。」をコンセプトに、多機能で開かれたスタジアムパークを実現している。またスタジアム内には、ミュージアムやグッズショップなどを併設。国際試合にも対応可能な設備を備え、災害時には避難所としての機能も持たせている。収容人数は2万8520人。
ゴースタは、北陸初のJリーグ規格を満たすサッカー専用スタジアムとしてオープン。テーブル、ソファー、畳といった多様な観戦シートを備え、キッズスペースやにぎわいスペースなどの多目的な利用が可能な施設を併設している。都市部ではなく公園内に建設され、防災備蓄倉庫機能も兼ね備えているのが特徴。収容人数は1万444人。
ピースタは、アリーナ、ホテル、商業施設、オフィスなどを併設した「長崎スタジアムシティ」の中心施設としてオープン。長崎駅から徒歩10分というアクセスの良さに加えて、ピッチから観客席までの距離が最短約5メートル(Jリーグ規定での最短距離)を実現している。加えて、全席屋根付き、カップホルダーや背もたれ付きの快適な座席、充実したフードコートなど、ホスピタリティあふれる施設である。収容人数は2万人。
このうち、Eピースとゴースタはシーズン開幕に合わせて、それぞれ2月1日と18日に開業。これに対してピースタの開業は10月14日であり、このシーズンでの公式戦開催はJ1昇格プレーオフを含めて4試合しかない。それでも、親会社のジャパネットホールディングスが1000億円を投資したとされる複合施設は、先行してオープンした2つの新スタジアムの印象が霞むくらいメディア露出も多かった。
確かにスケール感と話題性では、ピースタが他のスタジアムを凌駕していたことは否めない。けれども、ノンフィクションライター視点でいえば、Eピースには取材者として深堀りしたい要素が、ふんだんに詰まっている。その理由を語る前に、わが国におけるサッカー(あるいは球技)専用スタジアムの歴史を振り返ることにしたい。
昭和の価値観を引きずった日本のスタジアム
愛媛FCのホームゲームが行われるニンジニアスタジアム(ニンスタ)。2017年の国体のメイン会場として改修されたがアクセスの悪さは変わらず
【宇都宮徹壱】
その後、神戸市立中央球技場(現・ノエビアスタジアム神戸)が1970年、国立西が丘サッカー場(現・味の素フィールド西が丘)が72年、ヤマハスタジアムが78年、日立柏サッカー場(現・三共フロンティア柏スタジアム)が85年に誕生する。ただし昭和時代のサッカーのある風景は「陸上トラック付き」がデフォルトとなった。
なぜ日本では球技専用ではなく、陸上トラック付きの競技場が作られてきたのか。一番の要因は、国体開催に合わせて作られるケースが多かったからだろう。
日本のスタジアムづくりで、もうひとつ負のデフォルトとして指摘しておきたいのが、アクセスの悪さである。街なかに作られる野球場とは異なり、サッカーグラウンドと陸上トラックのある競技場は、街なかから離れた土地に作られることが多かった。
もちろん、都市部での土地確保の難しさもあっただろう。しかしそれ以上に、国体開催を契機とした「運動公園」をつくる場合、どうしても山を切り拓いた土地が選ばれる傾向が強かったのである。「スポーツは大自然の中で行われるもの」という、これまた昭和特有の謎の価値観によって、アクセスの悪さは日本の観戦環境の宿痾(しゅくあ)となっていた。
話を専用スタジアムに戻す。日本の地方都市に、多くのスタジアムが誕生する契機は、平成時代に入って2度あった。すなわち、1993年のJリーグ開幕、そして2002年のFIFAワールドカップ(W杯)開催である。
前者に関しては、カシマサッカースタジアム(1993年)が有名だが、日本平スタジアム(現・IAIスタジアム日本平、91年)や鳥栖スタジアム(現・駅前不動産スタジアム、96年)、仙台スタジアム(現・ユアテックスタジアム仙台、97年)なども挙げられよう。
一方、後者に関しては、まず埼玉スタジアム2002、そして(試合会場とはならなかったが)、豊田スタジアムや松本平広域公園総合球技場(現・サンプロアルウィン)を加えてもよいだろう。これらはいずれも2001年に完成している。
2002年のW杯は日韓共催となり、日本は10のスタジアムで開催されたが、そのうち球技専用は埼スタ、そして改修されたカシマと神戸の3スタジアムのみ。逆に韓国では、10会場のうちトラック付きは2会場である。
日本のW杯スタジアムの場合、大会後に国体のメイン会場に使用されることが多く、そのためトラック付きは必然とされた。また「普段づかい」という発想が希薄で、アクセスを度外視した立地の施設も少なくなく、Jクラブがホームゲームを開催する場合は、長年にわたり集客で苦労を強いられることとなる。
わが国における球技、あるいはサッカーの専用スタジアムの歴史を振り返ってみると、日本でトラック付きの競技場が主流だったのは、国体が大きく影響していたことが理解できよう。もちろん、国体そのものを否定するつもりはない。が、昭和のスポーツ観戦の価値観を引きずる結果をもたらしたことは、留意すべきである。