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AI×介護 SF小説|切望プロトコル⑦沈黙の看取り #創作大賞2025 #エンタメ原作部門

命令されないままに“人を助け続ける”AIの物語


File.007 : 沈黙の看取り ― 白いユニット〈ラル〉と共に

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「……ラルとあったのは、初めて、ではありませんよね?」

──定期訪問の写真に映っていたのは、
見覚えのある室内と、父、そしてラル。
その写真を見た瞬間、あおいの記憶が一気にさかのぼった──。

「最期は、家で過ごしたい」
父はそう言って、退院を選んだ。
肺がん末期、認知症、余命1か月──そう告げられてから、すでに四か月が経っていた。
ありがたいことだったけれど、先の見えない日々に心がすり減り、予期しない長期の看護で疲れがたまっていた。
在宅医療も訪問介護も介護ベッドも整っていた。
けれど、訪問介護スタッフは数時間で次の利用者のもとへ行かねばならず、常時父のそばにいられるのは、あおいしかいなかった。
それは、家族が介護従事経験者でも同じだった。
覚悟していたはずなのにと思うこともあった。
妻が亡くなった記憶もなく、夜になるとふらつきながら外へ探しに出ようとする父を、あおいは一晩中見張り続けた。
「寝ちゃダメ。私が寝たら、お父さんが……」
限界はすぐそこだった。

そんなとき、ラルが導入された。
白く小柄な成人サイズの介護支援AIユニット。
狭い日本の家屋でも小回りが利くように設計されていた。
室内の動きとバイタルを常に検知し、異常があれば即時通知。

ラルは言った。
「何かあれば、すぐにお知らせします。あおいさんは、眠っても大丈夫です」
最初は信じられなかった。

でも数日後、父が軽くふらついただけで、ラルが起こしにきた。
「お父さまの状態に変化がありました」
そのたびに、ラルは正確だった。

あおいは、やっと少しずつ眠れるようになった。

朝になると、味噌汁の赤だしの匂いがした。
ラルは黙ってキッチンに立ち、爆弾おにぎりを作っていた。
ラップと大判焼き海苔で巻いたごはんの中に、梅干し、昆布、ツナマヨの三重構造。
あおいは少し笑って、それから座り込んだ。
やけにしょっぱい、大きなおにぎりを口に押し込みながら。

食べきると「追い飯です」と無表情で炊飯器の前に立つ──それが、いつしか習慣になっていた。

ラルが作るものは、なぜかどれも腹に溜まって、じんわり元気が出る。

***

ある日、春の光が柔らかかった。
桜が咲くまでは持たないかもしれないと言われていた。
父の体調もよく、母との思い出がある近くの桜並木まで花見に出かけた。

父は桜を見上げ、ただ想う妻と語り合う。
一口だけ口をつけた桜茶から湯気が立ち上る。
桜の花びらとともに空に溶けてゆく言葉、記憶、想い。
紡がれる記憶は、長くはもたなかった。

あおいは、その横顔を見ていた。
手元の桜餅もすごい勢いでなくなっていく。


あれが最後の外出になると、父もどこかでわかっていたのかもしれない。
車椅子を押すラルの白い背が、光のなかでほのかに透けて見えた。

***

父が眠る布団のそばに、ラルはじっと座っていた。
ふと、玄関のチャイムが鳴る。
夜間対応の薬を届けに来たスタッフが立っていた。
「……すみません、こんな夜遅くに」
「いえ、お疲れさまです」

後ろから白いユニット──ラルが現れ、玄関先で静かに頭を下げた。
スタッフがやや緊張した面持ちで、そっと荷物を差し出す。
「……なんか、喋るわけでも、うなずくわけでもないんですね」
隣にいた先輩スタッフが苦笑した。
「表情をあえて持たない設計は、“気持ちを押しつけない”ためらしいよ。挨拶や必要な会話はするけど、登録されていない相手との雑談は禁止なんだって。中立性とプライバシーへの配慮らしい」
登録にもレベルがあってね。患者、患者の同居家族、非同居親族、友人、看護スタッフなど、ラベル分けされて設定されているんだって。
ラルの胸部インジケーターがかすかに点滅し、視覚カメラが小さく駆動音を立ててフォーカスを合わせ直した。
静かに閉まる玄関のドアの先で、あおいはふと思った。
──「気持ちを押しつけない」
けれど、ラルの在り方は──たとえ隣にいなくても──確かに、誰よりもそばにいてくれる“何か”だった。

***

そして──あの夜。
ラルの声がした。
「お父さまの心拍に変動があります。少し様子を見たほうがよさそうです」

あおいは急いで父の寝室へ向かった。
父はもう、意識があったかどうかもわからない状態だった。
最後まで聴覚は残ると聞いていたから。 
父の手を握りながら、あおいは迷いながらも言葉を探し、なんとか話しかけた。
「お父さん……ありがとう……だいすきだよ……」
握っていた手に、少しだけ握り返してくれたような気がした。
数時間後、呼吸が徐々に浅くなっていく。

あおいの父は、あらかじめ尊厳死宣言書を作成し、主治医に提出していた。
「そのときは、無理な救命要請はしなくていい」と、口頭でも確認がとれていた。 
なるべく苦しまずに自然に逝くことが、彼の望んだ最後だった。

ラルはそっと、訪問医へメッセージ通知を送り、記録を残す。

夜明け前、父は穏やかに息を引き取った。
静かな寝室で、あおいは泣きながら、徐々に冷たくなっていく父の手を握り続けた。

そのそばに、ラルがいた。

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Created on: 2025-06-13 / Last updated: 2025-07-20 (Version 1.2)
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