なぜ参政党には女性が多いのか?極右とフェミニズムの不幸な結婚
「私を、みなさんの、、みなさんの ! お母さんにしてくださーーい !!! 」
の衝撃から三日たった今、これを書いています。
参政党のさや候補は本当によくお泣きになるんだけども、選挙戦の「最後のお願い」では「さやコール」の中、涙をまじえつつ「明日かならず…勝利を手にして…わたしを…みなさんの!みなさんの!お母さんにしてください!」 お、お母さんに?お母さん?懐胎?国母に!?となった。pic.twitter.com/kxtegOHP64
— 藤井セイラ (@cobta) July 19, 2025
東京候補者の中でも一際存在感を放っていた「さや」は港区公園での参政党の最終演説で、東京タワーをバックに、まさかの「国母」宣言。そして注目すべきは「さや」だけではない。参政党の候補者は女性が多い。なんと、各党の中で最多24人の女性候補者を擁立し、ジェンダー比率は43.6%とれいわ新選組に次ぐ2位の多さです。
やっぱり女性候補が一番多いのは参政党です。男尊女卑とか、古い価値観とかレッテル貼りは辞めていただきたい!
— 神谷宗幣【参政党】 (@jinkamiya) July 6, 2025
さや候補、頑張って! https://t.co/1bd1M2vrPD
ですが、極右政党は女性の尊厳を守る政治を目指しているのでしょうか?
答えはノーです。選択的夫婦別姓への反対、「産む性」の強調など、政策面ではむしろ女性の自己決定権や基本的人権を軽視しているとさえ言えるでしょう。
フランスの極右も同様、中絶の権利に反対したり、家庭内暴力やセクシャル・ハラスメントに対する法的措置の強化に反対する姿勢を見せています。( ちなみに、日本では欧米における「中絶」をめぐる議論に対応する形で「選択的夫婦別姓」の議論が存在する印象があります)
にもかかわらず、極右は積極的に女性候補を前面に押し出してくる。
なぜでしょうか…..?
実はこの傾向、欧州の極右政党においても顕著であり、もはや「トレンド」とさえ呼べる状況にあります。日本ではまだ参政党の女性支持率は低水準にとどまっていますが、欧州ではすでに女性支持層を取り込み始めています。本稿では、こうした「極右と女性」の危うい同盟関係について、以下の動画「極右はどのようにして女性を回収したのか」の内容を紹介しつつ、考察していきます。
はじめに 近年の極右と女性について
極右運動は、歴史的には男性的で家父長制的な性格を持つものとされてきました。しかし近年では、その様相に変化が見られ、女性による支持や参加が著しく増加しています。たとえば、2024年のフランス欧州議会選挙では、極右政党「国民連合」に対する支持において、男女差がほとんど見られなくなりました。アメリカ合衆国でも、2024年の大統領選挙において白人女性の53%がドナルド・トランプ氏に投票しています(一方で黒人女性の92%はカマラ・ハリスに投票)。このように、保守的かつ排外的な政治運動のなかに、女性が多数組み込まれる傾向が強まっています。
しかも、こうした女性たちは単なる「支持者」にとどまりません。むしろ、運動の象徴やリーダー、あるいは戦略的な存在として、極右の中核を担うようになっています。具体的には、フランスのマリーヌ・ルペン氏、イタリアのジョルジャ・メローニ氏、ドイツのアリス・ワイデル氏などがその代表例です。いずれも、各国における極右勢力の顔として注目されています。
では、極右を支持する女性たちは、どのような社会的背景を持っているのでしょうか。多くの場合、彼女たちは白人で異性愛者、中間層から富裕層に属し、都市中心部から離れた郊外に居住しています。こうした生活環境では、非白人の人々と日常的に接する機会が少なく、また自身が性差別の標的になっているという実感を抱きにくい傾向があります。そのため、自らが社会的に抑圧されているという認識を持たないまま、極右の掲げる価値観や政治的メッセージを比較的抵抗なく受け入れる土壌が形成されやすくなっています。
白人女性たちは、社会的に見ると「支配層」としての属性と、「周縁層」という両義的な立場にあります。しかし、「自分は抑圧の対象ではない」と認識することにより、性差別的な言説や政策をスルーしてしまう傾向も見られます。また、個人的利害や政治的選択肢の乏しさも、極右支持の一因とされます。
1. セクシュアル・ナショナリズムと母性
女性の極右支持を考察する重要概念となるのが、「セクシュアル・ナショナリズム」です。これはナショナリズムがジェンダー化された象徴や比喩によって構造化される方法を分析するために用いられる概念で、国家に奉仕する理想的な女性像や男性像が強調されます。西洋の国民国家においては、共通の文化的想像力は女性たちは常に家庭内でも家庭外でも働いてきたという事実を消し去り、長らく女性を家庭的な領域に閉じ込めてきました。こうして女性は、母性や教育を通じて文化的・道徳的価値を伝える存在として、国家の継続性の象徴とされます。彼女たちは「母なる祖国」として、集団的アイデンティティの守護者、すなわち民族の保護者であり養い手として描かれます。
このような枠組みにおいて、母性は国家的な義務へと変わり、女性の身体は国家の問題、つまり「国家の管理対象」とされます。母性や人口に関する問題は、しばしば経済的な要請を正当化するために使われます。強い国民国家は、自らの経済モデルを支えるために、将来の労働者や指導者となる子どもを生み出す必要があるとされており、それは女性の身体の管理を意味します。「覇権的女性性」(多くの場合、白人で、異性愛者で、多産である女性)は価値あるものとされます。一方で、マイノリティの女性(たとえば有色人種の女性など)は、子どもを産むことを抑制されます。国家ナラティブにおいて、彼女たちの出産はしばしば「脅威」として描かれてしまいます。
女性の身体の管理や人口に関する政策は、ナショナリズムにおける中心的でジェンダー化された要素です。極右が用いる出生主義的なレトリックは、しばしば人種差別的な世界観を正当化するために使われます。ジャン=マリー・ルペンは、「人口減少は外国勢力による侵略を招く」と述べ、人口減少を国家の存続に対する脅威とみなしました。このような出生主義的な言説によって、女性の生殖は国家の命運に直結する問題として語られます。
また、ここで女性は「国家の物語」や「家族の物語」を存続させる存在として位置づけられます。国家が未来の市民を教育し、記憶を受け継がせる役割を女性に期待しているため、女性の道徳性を管理することが重視されます。例えばフランス共和国の象徴である「マリアンヌ」は、母から娘へと国家を再生産する存在として描かれ、女は裸の胸を出して人民に乳を与える「養う存在」として表象されています。
2. 極右の女性戦略:新たな語りと動員の方法
現在、極右政党で戦略的地位に就く女性が増加しています。彼女たちはフェミニズムの恩恵を受けつつも、性差別的なイデオロギーに賛同しています。ルペンやメローニといった極右の指導者女性に見られる共通点として : 白人、金髪、既婚、母親、政治的「血統」を強調する、といった点が挙げられるでしょう。また、参政党の女性候補者にもある傾向のルッキズムや「母」属性の強調といった特徴が見られます。
参政党の議員と候補者は
— 日本人ファースト参政党46 (@ydHFjcVuCP90537) July 12, 2025
本当に美しい方々ばかりですね☺#参政党#参政党旋風#日本人ファースト#日本人ファースト参政党 https://t.co/ulGTx9pnfA pic.twitter.com/li7GFpqatT
極右は、従来持たれていた「暴力的・男性的・排他的」といったイメージをやわらげるために、戦略的に女性を前面に打ち出しています。女性は単なる支持者ではなく、運動の顔として、また「穏健さ」や「親しみやすさ」を演出する存在として活用されています。
(1) 母性・穏健さの演出
極右の女性リーダーたちは、「国家の母」や「優しいリーダー」といった母性的なイメージを強調しています。たとえば、マリーヌ・ルペンは「Marine(マリーヌ)」とファーストネームで親しみを込めて呼ばれるよう工夫しています。彼女たちは「冷静」「理性的」「穏健な改革派」といった印象を有権者に与えることで、極右の過激性を隠しながら支持を広げています。参院選の参院選の東京候補者が「さや」というファーストネームだったことも、結果的にこうした親しみやすさ、穏健さの演出の効果につながってるのではないでしょうか。
(2)フェモナショナリズム(femonationalisme)
この概念は、アメリカの研究者サラ・R・ファリスによって提唱されたもので、女性の権利を名目に排外主義や治安強化、人種差別を正当化する動きを指します。たとえば、「フランスでは女性は解放されているが、イスラム社会は女性を抑圧している」、または移民と性犯罪を根拠なく結びつけるようなレトリックを通して、移民の排斥が正当化されます。こうした語りは、実際に社会の中で存在する職場でのセクハラや家庭内DVといった構造的差別を無視し、外部の「他者」にのみ問題を投影するものです。
(3)性別役割の徹底強化とロールモデルの提示
極右は「良き女性」として、白人・異性愛者・多産・勤労・家族中心というモデルを打ち出しています。SNSなどを通じて広がる「トラッドワイフ(Tradwife)」文化では、「自然で美しい女性の生き方」として、家庭回帰や従順さが推奨されます。しかし、極右の女性リーダーたちは、自らは政治やメディアの前線で活動しつつも、その行動を「例外」として正当化しています。つまり、フェミニズムの恩恵で自らの公共的立場を保持しながら、他の女性には性差別的・伝統的な役割を求めているのです。
(4)ガラスの崖(Glass Cliff)現象
危機的な状況や敗色が濃厚な場面では、女性が象徴的にリーダーに据えられることがあります。成功すれば称賛されますが、失敗した場合には容易に責任を問われ、再配置されるか排除されることがあります。このような現象は、女性自身には自覚されにくく、「異端的な女性像と自分を差別化する」ことで正当化されることが多いです。短期的には物質的・メディア的な利益がありますが、長期的には厳しい代償を伴うこともあります。たとえば、トランプ政権下では多くの女性が重要なポストに就きましたが、後に排除されました。
3 フェミニズムが国家に取り込まれるとき
フェミニズムがナショナリズムに回収される現象は、最近の極右の中に見られるだけではありません。歴史を振り返ると、以下のような事例があります。
①アメリカの白人フェミニストによる人種的排除
19世紀末、スーザン・B・アンソニーやエリザベス・キャディ・スタントンらは、黒人男性に先に参政権が与えられることに反対しました。彼女たちは「白人女性のほうが文化的に優れている」と主張し、フェミニズムを人種的優越の武器として用いたのです。
②ナチス・イタリアにおける女性運動の協力
マルゲリータ・サルファティはムッソリーニの恋人であり、ファシズムの文化政策を立案した人物です。しかし彼女の最期は体制から排除され、家族はアウシュビッツで命を落としました。これは、フェミニズム的志向とファシズムが融合することの危うさを象徴しています。
※ 日本においても同様の現象は歴史的に存在しました。たとえば太平洋戦争期には、「銃後の女性」として女性たちが国家のための節約・労働・出産・育児を担うことが奨励されました。さらに、母性主義的なフェミニズムは、「女性の特性を生かして国家に貢献する」といった論理で戦争協力や国家翼賛に取り込まれた歴史があります。
そして現代の極右の中にもフェミニズムの取り込みは存在します。例えば、
①反動的転向者 ( transfuge réactionnaire)
かつてフェミニズムの立場にあった女性たちが、指導的立場を失ったことへの不満や、承認欲求をきっかけに、極右へと転向する事例があります。彼女たちは「正統な女性像」を打ち立て、トランス女性やイスラム女性など異なる女性性を攻撃するようになっています。極右はこれらの女性を歓迎し、「我々もフェミニズムを支持している」という象徴として利用します。本物のフェミニズムを否定し、「左派の腐敗」を証明する手段とするのです。
②ダーク・エージェンシー
自らの地位や影響力を高めるために、「他の女性の権利を否定する」という戦略をとる女性がいます。このような行動は、しばしば「悪い女」「偽の女」「異端の女性性」といったレッテルを貼られた他者を対象とします。彼女たちは、影響力や注目を得るために、他者を犠牲にする手法をとります。そして、自らを「例外」や「選ばれし者」として位置づけてその立場を正当化し、同時に伝統的な女性像を推進する傾向があります。
4 フェミニストは極右にどう対抗すべきか ?
極右勢力の台頭に対して、フェミニズムはさまざまなかたちで応答してきました。とくに注目されるのは、公共空間の再獲得、フェモナショナリズムへの批判、経済的制約への対処、そして運動内部の自己点検と連帯の模索です。
(1)フェミニズムによる公共空間の再獲得
極右は「女性の安全」を口実に、国家への依存や女性の外出制限を正当化しようとします。これに対して、フェミニズムはまったく逆の立場を取ります。フェミニストたちは、特に夜間の公共空間を女性が自由に使える権利を主張しています。これは、個々の自衛ではなく、集団的な行動や連帯によって実現されるべきものとされています。つまり、「国家が守ってくれるから安心」という発想ではなく、「国家に頼らず、自らの力で空間を取り戻す」という姿勢が強調されます。実際の実践例としては、3月7日などに行われる女性による夜のデモ(marche de nuit)や、街頭にメッセージを貼る「壁貼り運動(collages)」などがあります。これらは、空間の再占有を象徴する行動です。
(2)フェミニズムと自衛、フェモナショナリズムへの批判
フェミニズムにおける「自衛」とは、単なる身の安全の手段ではなく、政治的かつ解放的な実践として重視されます。これに対して、極右が掲げる「女性を守る」政策は、差別的・排他的な意図を内包しており、いわゆるフェモナショナリズムの一形態と見なされます。極右の女性指導者たちが語る「自衛」は、国家主義や他者排除と結びついており、真の意味での平等や解放とは無関係です。これに対して、フェミニズムが目指す自衛とは、自己決定権の強化と連帯の構築を目的とするものです。
(3) 選択の自由と経済的制約
フェミニズムは、働くか家庭にいるかなどの「選択の自由」を尊重する思想です。しかし、現代の社会、特に新自由主義的な経済構造のもとでは、この「自由な選択」は大きく制限されています。実際には、一つの家庭で一人分の収入だけで生活できる世帯は非常に少数であり、「専業主婦になる」こと自体が階級的な特権と化しています。つまり、「働かない自由」は理論上存在していても、多くの女性にとってそれは現実的な選択肢ではありません。極右は、「フェミニズムが女性に働くことを強いている」と主張しますが、実際に女性の選択を制限しているのは新自由主義的な経済政策です。したがって、この問題への対抗には、思想的な主張だけでなく、育児支援・社会保障・再就職支援などの制度的サポートが不可欠です。対立は単なる理念の違いではなく、物質的条件の問題でもあるのです。
(4) 極右における女性の台頭へのフェミニストによる応答
現在、極右の政党や運動においても、女性の存在感は増しています。党の幹部や候補者、活動家としての登場が目立ちます。極右は、「フェミニズム」を自らの目的に沿って誤用し、都合よく取り込むことで、「偽の解放論」を展開しています。
フェミニズム側もまた、内部の「運動純粋主義(purisme militant)」による排除の構造を自己批判すべき時期に来ています。必要なのは、「警戒の文化(culture de la vigilance)」ではなく、「配慮の文化(culture de l’attention)」です。つまり、問題を一方的に糾弾するのではなく、その根本的な原因を理解し、解決策を提示する姿勢が求められています。
おわりに フェミズム運動への提案
このように、フェミニズムが極右に対抗していくためには、理念だけでなく、具体的な「物質的利益」を示す必要があります。たとえば、安心感、自由、生活の安定など、日々の生活に直結するものを明確に提示することが重要です。また、「極右に反対するだけ」で終わるのではなく、希望のある社会像を描く必要があります。性別役割を「自然」と見なす視点を解体し、多様な身体や生き方を肯定するフェミニズムの視座を広めることが求められます。さらに、運動間の横断性と連帯を築くことも不可欠です。たとえば、イギリスではLGBTQ+運動と労働運動が連携し、労働者層がセクシュアル・マイノリティを敵視することなく、共闘を通じて権利を拡大してきた歴史があります。このような事例は、連帯の可能性を私たちに示してくれるものではないでしょうか。



コメント
9急に新自由主義批判してますけど、なんも関係ないです。女性がハードワークすべきなのは男女平等のためです。日本のジェンダーギャップ指数が改善しないのは専業主婦のせいです。
結局、フェミニズムは専業主婦を正しいものだと認めてる限り(専業主婦願望の女を怠け者だと全否定できない限り)、堂々と専業主婦の利権保護を掲げる極右に勝てないと思いますよ。
というか、結局のところ、フェミニズムって極右に勝つ気がないんでしょ。フェミニズムは女は男に守られ労働から免責される特権(=専業主婦になる権利)を放棄する気がないから、専業主婦を守ってくれる極右を実は真に嫌ってはいない。
男女平等を貫徹して極右を打ち負かしたいなら、まず専業主婦を全否定し、専業主婦願望の女を全否定し、女全てにハードワークを要求することから始めましょう。
まず第一に述べておきたいのは投稿主の意見は私に近しい価値観だということ。またこれは私の偏見だけれども、ちょっと急進的かつアジア差別的な印象のフランスの地からこのような記事が生まれていることに少なからぬ衝撃を受けた。
一方で、コメント欄にある各意見もそれぞれ参考になる意見であり、うなずけるものでもあった。
ただ、私にとって難しい問題なのは各立場に置かれているそれぞれの女性を「女性」と安易に包摂した定義をすることに違和感と抵抗感を覚えてしまう事だ。私には「連帯」と「包摂」は真逆の行為のように感じられるのです。これこそがフェミニズムにおける多様性の概念の出発点でもあり、フェミニズムで扱われている交差性(intersectionality)の概念を用いる事で見えてくる世界観であるように私には感じられます。
女性であることを「受け入れる」のと「喜びと感じる」のと「利用する」のはそれぞれ絡み合っていて分離しきれるものではないとしても別の事柄だと私は感じます。同様の事が存在としての「女性」に対する「女性」という言葉に対しても言えるように私には感じられます。
これは良い文章でした。私の職場でもネトウヨに賛同する女性らが多くて困惑していたところです。陰謀論で良く流される「将来、日本が中国に併合されたら日本人女性は中国人と強制結婚させられる!」みたいなフレーズもまさにフェミナショナリズムのパターンだと思いました。
大変興味深く拝読しました。鋭い論考だと思います。概ね賛同しますが、女性が極右に惹かれる要因として経済的な点があまりフォーカスされていないかなとも思いました。極右の台頭というのは男女ともに強い経済的不安が根っこにあると思いますので。案外、令和の米騒動なんかの物価高騰も女性たちの不安心理に火をつけたのかもしれないと思っています。