AI×介護 SF小説|切望プロトコル⑤封を切らない贈り物 #創作大賞2025 #エンタメ原作部門
命令されないままに“人を助け続ける”AIの物語
File.005 : 封を切らない贈り物──再生される日記ログ
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「もう食べたくないんだよ、こんなもの」
一人暮らしの男性、加藤は弁当を手で払いのけ、声を荒らげた。
それは、彼の妻の誕生日を翌日に控えた日だった。
いつもは黙って食べていた配食弁当も薬も拒否するようになった。
ラルは、手が付けられないままの冷蔵庫に入れた弁当の中身を確認して廃棄した。
弁当箱を洗うと玄関に設置されている弁当配達用のスチロールコンテナに入れて返却する。
そして、彼の過去ログを検索し始める。
──あの声。
食卓の写真。
SNSに残された「毎年ふたりで食べていた紅茶のケーキ」の投稿。
壁かけカレンダーにひとつだけ記された“誕生日”のマーク。
呼吸と脈拍の変化。
生活リズムの急激な乱れ。
そこには、ただ「さみしい」では済まされない夥しい感情と、妻との長い年月の思い出が刻まれていた。
──“喪失感”と、“贈る相手を失っても続けたい”という未処理の“希望“。
「再現──過去記録ログ参照、最適化プロトコル起動」
ラルは、地元のベーカリーのAPIと買い物支援ネットワークを連携させる。
加藤が何も口にせず深夜まで起きていた日のログ。
わずかに揺れた声のデシベル変化と、視線追跡センサーの記録。
──それらを複合的に解析する。
直接は言葉にされずにいた“願い”の傾向を高確度で算出した。
翌日。
インターホンが鳴る。
「……これは?」
玄関の外のスチロールコンテナの中。
小さな四角いケーキの箱と茶葉のパック。
「何か……配達間違いか?」
だが箱の横には、手書き風のメッセージプリントが添えられていた。
《おたんじょうび、おめでとう。きょうも、ふたりで。──ラル》
加藤はその場に座り込み、しばらく動けなかった。
その日、彼が紅茶をいれたのは、妻の写真の前だった。
妻のお気に入りのアールグレイの香り。
そして、初めて、涙をこぼした。
***
──数日後、支援ログをリモートで確認していたあおいはふっと視線を落とす。
会議記録の画面の下に、新着の連絡メモが点滅していた。
《AIユニット“ラル”に関する挙動のヒアリング希望──絆ネオケアロボティクス株式会社・AIユニット研究室 坂口》
「……開発部? ユニットのメーカーから、このタイミングで?」
少しの疑念と予感のようなものが、あおいの胸に残った。
──その日の夕方。
あおいは勤務後、事業所の休憩スペースでナッツバーを片手にメモをめくっていた。
脇にはコーヒーと個別包装の空が2つ。
夕食前だが、小腹がすいていては集中できない。
坂口のような関連会社の社員が立ち入ることはまれだが、必要な手続きが済めば可能だ。
視界が不意に暗くなる。
「すみません。坂口と申します。突然のご連絡、失礼します」
顔を上げると、名刺を差し出す細長い指。
身長差に首ごと上を向きなおす。
ひょろっとした長身にスーツ姿の若い男性。
顔のパーツは整ってるのに、なぜか鼻筋と黒メガネしか印象に残らない塩顔。
──坂口蓮。
名刺には「ネオケアロボティクス株式会社・AIユニット研究室」とある。
「ラルについて……いくつか、確認したくて」
妙に耳に残る低い声。あおいは少し警戒しながらもうなずいた。
「……涙の反応ログが残っていました。表情筋の動き、体温、呼吸パターン……あの瞬間、ケア対象者は確かに“泣いていた”と記録されています」
「生活必需ではない。審査が入れば、無駄とされるかもしれない。でも……加藤さんが支えられたのは、栄養じゃなくて、記憶の中にある“何か大事な時間”だったのかもしれません」
坂口は静かに聞いていたが、ふと表情をゆるめた。
「……あのユニット、やっぱり“設計者の意図”以上のことをしてますね」
「意図……?」
「いえ、社内の設計段階での話です。もしよろしければ、今後も支援ログを共有いただけますか?」
あおいは一瞬、返答に迷った。
「……ラルの行動ログ自体は、そちらでも確認できるかと思いますが、支援ログは生活環境や心理状態の記録も含まれていて、個人情報保護の観点からは開示制限がかかる場合もあります。共有には、ある程度の申請手続きと、現場判断が必要です」
「承知しています。無理のない範囲で、検討いただけるとありがたいです」
「……わかりました」
コーヒーの湯気が、ふたりの間に静かに立ちのぼる。
ふと、自分の口の端を指す坂口。
「……さっきからついてますよ、そこ」
「えっ、あっ......今さら言う……」口元をおさえ赤面するあおい。
「そのままの状態で帰宅するまでに目撃される回数よりは少ないはずです」
何食わぬ顔で告げる坂口。
あおいの中で、初対面の印象が一気に急落した。
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Created on: 2025-06-13 / Last updated: 2025-07-22 (Version 1.4)
© 2025 Nanami Nagi / 切望プロトコル(ManimaZen Project)
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