人に何かを教えるということは、自分も人から何か教わることだと思います。
日本語の授業中、生徒から習うことはたくさんあります。
例えば…
不吉な数字(忌み数)
の話になった時。
日本ではやっぱり4と9ですよね。
4は死を連想させ、9は苦を連想させるからです。
私 「イタリアで不吉な数字と言えば13でしょ?」
13という数字はキリストの最後の晩餐で、テーブルについた人数が13人で、
その中に一人ユダ=裏切り者がいるということで、今でもイタリアでは夕食を13人でするのは不吉と、
どうしても13人になる場合はもう1脚誰も座らない椅子を用意したり(計14人に見せかけるため)、「誰か妊娠してる人はいないの?」などとジョークを言ったり(お腹に子どもがいることで、計14人だといいたい)します。
だから、カトリックの国イタリアでは13が不吉な数字だと私はずっと思ってたんですが…
生徒曰く、
「13人での夕食が不吉なのであって、別に13という数字が不吉なわけではありません。」
とな。
さらに、生徒曰く、
「13よりも17のほうが、イタリアでは不吉な数字なんですよ。」
とな。
私 「そうなんですか?17…それもキリスト教と何か関係があるんですか?」
生 「いいえ、宗教は関係ありません。ローマ数字です。」
とな。
私 「????」
なんのことかわからなかったんですが、生徒の説明によると…
ローマ数字、日本人にはあまりなじみがありませんが、
I=1 II=2 III=3 IV=4 V=5 VI=6 VII=7 VIII=8 IX=9 X=10
ってやつですね。
そのローマ数字で17はXVIIとなります(X=10 VII=7)。
でも、こう並び替えることもできると…
VIXI (VI=6 X=10 I=1 … 合計17)
ラテン語で V I X I とは…
“生きていた”
だから…
死んでもういない
って意味なんですってー。
イタリア語動詞vivere(生きる)の遠過去に相当するらしいです。
だから、宗教うんぬんという話ではなく、イタリア人にとって17は不吉な数字らしいのです。
なるほどね
またまた勉強になりました。
私の生徒さんの中にはいろんな職業の人がいるのですが、
歴史や文学のことを専攻している学生さんとか、
弁護士さんとか、有名企業の社員さんとか、建築家さんとか…
結構、キャリアのある人が多いです。
日本語教授法の授業を日本の大学で受けていたとき聞いた
「日本語を習おう、もしくは、日本語が必要だという外国人の多くは、母国で大学を卒業し、
社会的地位のある人たちです。
初級レベルの学習者と日本語で話すと、
まるで子どもと話しているような感覚になりがちですが、
学習者は立派な大人で、プライドのある人たちだということを忘れないように。」
という教授の言葉を思い出します。
日本語が間違ってても、
簡単なフレーズでしか物事を説明できなくても、
私のことを「先生」と呼んでくれても、
彼らの知識・教養レベルはかなり高いということを忘れちゃいけないのです。
だからというわけではありませんが、
授業中は必ず、私も生徒も丁寧体(です・ます)で話します。
授業以外では、長い付き合いの、年が近い生徒たちとは普通に話しますけどね。
いや、実際にね…
私のイタリア語レベルが大したことないうえに、アジア人で実際の年齢よりも若く見られるから、
ときどき、イタリア人からまるで子どもに話しかけるように話されたり、
子どもに説明するように説明されたりするんですよね。
もう、大人なんですけどね。
確かに、場合によってはそういうふうに話してくれる方が助かることもあります。
それに、親切でそうしてくれているんだということが伝わってくる場合は何とも思いません。むしろ感謝しますね。
ただ、「どうせ、外国人だからイタリア語分かんないだろ?」とバカにしたように、ゆっくり、子どもに話しかけるように話されるとムカつきます。
だから、私も絶対に同じことを学習者にしないように気をつけなければ。
授業中、私は学習者に日本語を教えます。日本人の考え方、日本文化を教えます。
イタリア人の学習者は私にイタリア語を教えてくれます。イタリア人の考え方、イタリア文化を教えてくれます。
本当に面白い仕事だと思います。



