この子は2004年に生まれた。
今から21年前。
生まれた頃はこんなだった孫娘、第一号。
今年、二十一歳になるタマちゃん(女の子)は
某国立大学で魚の専門家になるべく、
勉強している。いま、大学の三年生だが、
個人情報でもあるので、彼女のいまの
美少女写真を見せるわけにはいかない。
彼女から連絡があり、
「じいじが二十一歳の時、何していたの?
そのころの社会はどんなだったの?」と聞かれた。
所属している英語研究会の課題で
「おじいさんは21歳の時、何をしていたか」
ということを調べろと言われたのだという。
課題は次のようなものだった。
21歳(ぐらい)の時
・どんな時代だったか?
・社会に対して何を思っていたか
・自分に対して何を思っていたか
・どんな生活をしていたか
・自分の将来についてどう考えていたか
・どんなことを大切にしていたか
・どんなことを考えていたか
私の二十一歳というと、昭和43年から44年にかけて。
ちょうど、その部分の『芸能界史』の文章を
書いている最中なのだが、自分の頭の中を整理して、
この課題をこんなふうにまとめた。
・21歳(ぐらい)の時
僕の21歳は昭和43年10月から44年の10月まで。早稲田大学文学部の3年から4年にかけての時期でした。就職試験を受けて、出版社に合格しました。
この頃はこんな顔をしていた。自分ではイケメンとか
思っていなかったが、女の子たちにはけっこうモテた。
・どんな時代だったか?
戦争が終わって、二十二年が経過していて、日本経済は毎年10バーセント以上の高度経済成長が続いていて、エネルギッシュで、政治運動も盛んだった。文化的にも、所得倍増計画という国家プロジェクトが成功して、国民のみんなが金回りが良くなり、おしゃれしたり、外国旅行が流行り始めたりした。みんなが日本は輝かしい未来に向けて発展していると思っていた。昭和元禄なんていう言葉が流行語になった。
・社会に対して何を思っていたか
僕は学生運動に共感していて、アメリカのベトナム戦争に協力する日本の国家権力を否定しなければ、世界は平和にならないと思って日米安保条約に反対して、毎日のように仲間たちとデモしていた。大学は「全学無期限バリケードストライキ」で、授業もなく、まもなく大学を卒業して社会に出なければならず、そのための就職試験も受けなければならなくて、悩んでいた。政治活動をしながら、かたわらですでに大人の世界に首を突っ込んでいて、小さな出版社の住宅専門誌で原稿書きをしていて、社会は混雑はしているが、出版社が関係するビジネスは順調で平和そのもので、住宅産業も繁盛していて、そういうのを見ていて、学生がいくらデモやストライキをしたって社会は変わらないんじゃないかということも思っていた。
早稲田大学の全学無期限バリケードストライキは昭和44年5月から始まったが、10月に大学の当局が警察に依頼して機動隊を導入し、終わりを告げた。そこから授業が再開された。わたしは大学四年の授業は3ヶ月くらいしか受けていない。
・自分に対して何を思っていたか
早稲田の文学部は女の子が50人のクラスの半分を占めていて、みんな、フェリスとか双葉とか東京女学館とか名門女子校を卒業した女の子たちばかりで、そういう女子が何人もいた。自分では自分のことを美男子とかいい男とかは思っていなかったが、何人ものクラスメイトの女子に「シオザワ君のことが好き」とか「あたしと付き合って」とかコクられたが、全部、無視していた。きっと将来、もっとすごい美人の女の子と出会うだろうと思っていた(それが堀内明美、いまの女房だった)。将来は作家になりたくて、そのための勉強をしなければと自分に言い聞かせていた。自分が書いた文章をいろんな人に褒められていて、自分は文学の才能はあると思っていた。
・どんな生活をしていたか
世田谷の若林の小さな借家で、妹と二人で親父の仕送りで生活していた。アルバイトの原稿書きでもらったお金はほとんどが本代に消えていた。
本ばかり読んでいた。
家では本ばかり読んでいた。マルクスの「資本論」とか、ハイデッガーの「存在と時間」、ヨハン・ホイジンガーの「中世の秋」、アンリ・ピレンヌの「ヨーロッパの誕生」などを読んだ。他にも、ヘーゲルとかニーチェとかJ・P・サルトルとか何冊も哲学書を読んだ。。夜中まで本を読み、ノートに色々と書き、学校に行っては仲間と自主ゼミナールみたいなことをやって、合間みんなでスクラムを組んで町でデモしていた。仲間で機動隊に捕まる人が何人もいたが、僕は要領がよく、デモ行進の時でも、隊列の一番後ろの方に張り付いていて、逃げ足も早く捕まらなかった。
・自分の将来についてどう考えていたか
文章を書いて、身を立てていければと思っていた。
その頃書いたノート。一日に5ページとか書いていた。
この作業が僕を作家にしてくれたのだと思う。
44年の8月にマガジンハウスという出版社の就職試験に合格した。まだ21歳だった。学校推薦をもらうのが5倍(90人の希望者から15人が選ばれた)で8大学(早慶、東大、明治、法政、立教、上智、中央大学法学部)から120人の学生が集まって試験を受けた。700倍くらいの倍率で、合格者は僕一人だった。異常な狭き門だった記憶がある。
・どんなことを大切にしていたか
言行一致。これは中国の有名な王陽明という儒学者の言葉で、いうこととやることがきちんと辻褄が合っていなければいけない、というもの。明治維新の志士とかの行動の基本になった考え方。出来もしないことをその場の勢いで言ってはいけない、という意味。不言実行に通じる。
・どんなことを考えていたか
自分は文章を書く才能はあると思っていたが、それもコツコツ努力しなければ、幸運は開けないと思っていた。まわりの仲間も就職試験を受けに行ったが、うまく行った人はほとんどいなくて、僕は大手の出版社の入社試験に合格して急にデモとかに行くのが嫌になった。家に閉じこもって学校に行かなくなったら、裏切り者扱いされたが、自分の将来のことを考えたらやむを得ないと思っていた。早く社会に出て、自分が書いた文章を世の中の人たちに読んでもらいたいと思っていた。
あれからもう、56年もの歳月が経過している。
私は年をとってから余計に人間嫌いになってきて、
仲良くしていた友達も死んだり、音信不通になったり
していて、大学時代の仲間は一人もいない。
彼らにとっては私は裏切り者で、多分、みんな、
私のことを一人だけ、うまいことやりやがってと
思っているのではないかと思う。
高校時代から続いていたガールフレンドとも
連絡を取らなくなってしまった。美少女たちもみんな、
おばあさんになってしまった。仕方ないけど。
具体的な名前はあげないが、大学時代に付き合った
女の子たちもどこでどうしているか、
一人も消息がわからない。誰か、誰でもいいから
連絡でもくれないかと思うこともある。
妻がいて、娘が二人いて、
孫娘が三人いて、家庭環境という、
そういう意味では恵まれていると思うのだが、
自分の過去の友達たちのことを考えると、
暗澹たる気持ちになる。
愚痴なのだが、愚痴をブログに書ける
そういう幸運な人生、ということなのか。
この話、ここまで。