翌日の新聞記事は、「11時に予定されていた行事が、始まったのは13時だった。」という書き出しであるから、新聞記者もさすがにうんざりしたのだろう。まして、大使連中は、外務省からのお達しで、10時半までには大統領府に到着しているように、と言われていた。行事が始まるまでに、2時間半の間、テントの下とはいえ熱暑の中を待たされたわけだ。
今年2010年は、コートジボワール独立50周年である。独立記念日の8月7日にむけて、一連の周年行事を行うので、その開始式を行うというのである。案内は木曜日に突然送られてきて、1月31日に式典を行うという。何だ、日曜日ではないか。しかし大統領が行う式典となれば、何を置いても出席しなければならない。他に休日の予定をつくっていた大使たちも、それを取りやめて、不承不承集まったのである。
式典の始まる前に、綺麗に色刷りされた、一連の周年行事の予定表なるものが配られた。見ると、「2009年12月18日、開始式」と記載されている。なんと、この開始式からしてすでに、予定から1ヶ月半も、遅れているというわけだ。今日の式典が、2時間少々遅れることくらい、なんてことないのだ。
2時間半待って、暑さでほぼ脱水状態になりかけた頃に、サイレンの音が聞こえる。ようやくバグボ大統領が到着した。式典はすぐに始まり、まずコートジボワール各地の民族衣装を来た人々が現れて、国家を斉唱する。続いて、50人の小学生が、小旗を振り振り登場して、歌と踊りを披露する。子供たちが退場したら、こんどは50の太鼓がいっせいに鳴りだす。そして、コートジボワール独立のその日に生まれて、今年50歳になる人が現れて、挨拶の口上を述べた。
そうした演目が一通り終わった後、いよいよバグボ大統領が演台に立った。軽妙洒脱なバグボ節が聞ければ、暑い中を待ったかいがあるといえるか。
「独立50周年という記念すべき年を、国民総出でお祝いするために、私は祝賀委員会を設置いたしました。そして、歌と踊りでお祝いしよう、国威発揚の軍事パレードを準備しよう。この祝賀委員会に、私が命じたのは、そういうことだったでしょうか。違います。」
バグボ大統領は、一呼吸置いて汗をふく。
「私が委員会に命じたのは、独立50周年の機会に、独立とはいったい何なのか、これを国民皆でよく考えてくれ、ということでした。いったい、独立して50年経って、アフリカは何か変わったのでしょうか。独立したと言われながらも、私たちは無知蒙昧の中にとどまっている。それは何故なのか。」
今日はまた、ずいぶん真面目な問いかけだ。
「アフリカは50年前、突然に、あなたがたは独立国だといわれたですよ。それで、どうなった。多くの国が、一党独裁です。多くの国が、クーデタ続きです。どうしてなのか。建国の父ウフエボワニ大統領は、国民に絶大な人気があって、選挙しても勝てたにもかかわらず、一党支配の政治体制をとりました。何故なのか。」
そう、アフリカは独立して半世紀経つのに、その政治に未だに危ういところがあるのはなぜか。考えてみる必要があるだろう。
独立を考える前に、そもそも国とは何か。これを考えようと問いかける。
「国というと、私のところに人が来て言う。あれをくれ、これをくれ。そして、国は何もしてくれない、と言う。また、別の人は、大統領というのは、よろしいですな、と言う。小切手に署名すれば、何でも買えるのだから。」
また汗をふいて、ぐるりと周りを見渡して、
「そんなことはない。国にはお金がない。何も買えない。」
以前は、カカオやコーヒー生産の分け前を国民に分配していた。もはや、そういう時代ではない、ということだろう。
「民主主義が大事と言われる。私たちが民主主義を実践するのは、諸外国を喜ばせるためなのでしょうか。違う。私たちの問題を解決するのに、私たちには民主主義の方法しかない。私たちは多部族国家だ。セヌフォ、マレンケ、グロ、バウレ、アニ、クランゴ、まだまだいっぱい部族がある。それぞれの部族が、それぞれのやり方を持っている。そんなところで、国全体でなにか動かそうとするならば、それは民主主義によるしかないのです。」
なるほど、これは民主主義の捉え方として、新鮮である。
「1990年以来、多数政党制に移行して、その民主主義を動かそうとしてきた。ところが、そのやり方を知らないから、大混乱だ。私たちがよく理解しなければいけないのは、これは私たち自身の問題だということです。私たち自身で、問題を解決しなければならないということです。ところが、問題が起こったら、すぐに国際社会に判断してもらおう、という。すぐに国連に何とかしてもらおう、という。」
あれ、現下の選挙準備でその言い方だと、国連の支援に頼るべきではないという意味になるぞ。
「困ったら、すぐに国際委員会、国際委員会という。違う。国民委員会だ。」
わーっと拍手があったけれど、コートジボワールの国民の間だけで解決できなかったから、国際社会がこれだけ関与することになったのだ。そして、バグボ大統領は、独立50周年についてよく考えてくれ、その結論を祝賀委員会から聞けることを楽しみにしている、と締めくくった。
もう時計が午後3時を回って、昼食も取れないまま暑さの中を座り続けた大使連中は、たがいに顔を見合わせて言いあったのである。独立の意味について考えることも重要だろうけれども、その前にまずよく考えてほしいのは、決められた日程や時間をきちんと守るということである。果たして独立50周年を迎える8月までに、大統領選挙が日程どおり行われるだろうか。
そうしたら、隣に座っていた某大使がぽつんと言った。
「この分だと、独立50周年祭も、数年くらい遅らせるんじゃないか。」
今年2010年は、コートジボワール独立50周年である。独立記念日の8月7日にむけて、一連の周年行事を行うので、その開始式を行うというのである。案内は木曜日に突然送られてきて、1月31日に式典を行うという。何だ、日曜日ではないか。しかし大統領が行う式典となれば、何を置いても出席しなければならない。他に休日の予定をつくっていた大使たちも、それを取りやめて、不承不承集まったのである。
式典の始まる前に、綺麗に色刷りされた、一連の周年行事の予定表なるものが配られた。見ると、「2009年12月18日、開始式」と記載されている。なんと、この開始式からしてすでに、予定から1ヶ月半も、遅れているというわけだ。今日の式典が、2時間少々遅れることくらい、なんてことないのだ。
2時間半待って、暑さでほぼ脱水状態になりかけた頃に、サイレンの音が聞こえる。ようやくバグボ大統領が到着した。式典はすぐに始まり、まずコートジボワール各地の民族衣装を来た人々が現れて、国家を斉唱する。続いて、50人の小学生が、小旗を振り振り登場して、歌と踊りを披露する。子供たちが退場したら、こんどは50の太鼓がいっせいに鳴りだす。そして、コートジボワール独立のその日に生まれて、今年50歳になる人が現れて、挨拶の口上を述べた。
そうした演目が一通り終わった後、いよいよバグボ大統領が演台に立った。軽妙洒脱なバグボ節が聞ければ、暑い中を待ったかいがあるといえるか。
「独立50周年という記念すべき年を、国民総出でお祝いするために、私は祝賀委員会を設置いたしました。そして、歌と踊りでお祝いしよう、国威発揚の軍事パレードを準備しよう。この祝賀委員会に、私が命じたのは、そういうことだったでしょうか。違います。」
バグボ大統領は、一呼吸置いて汗をふく。
「私が委員会に命じたのは、独立50周年の機会に、独立とはいったい何なのか、これを国民皆でよく考えてくれ、ということでした。いったい、独立して50年経って、アフリカは何か変わったのでしょうか。独立したと言われながらも、私たちは無知蒙昧の中にとどまっている。それは何故なのか。」
今日はまた、ずいぶん真面目な問いかけだ。
「アフリカは50年前、突然に、あなたがたは独立国だといわれたですよ。それで、どうなった。多くの国が、一党独裁です。多くの国が、クーデタ続きです。どうしてなのか。建国の父ウフエボワニ大統領は、国民に絶大な人気があって、選挙しても勝てたにもかかわらず、一党支配の政治体制をとりました。何故なのか。」
そう、アフリカは独立して半世紀経つのに、その政治に未だに危ういところがあるのはなぜか。考えてみる必要があるだろう。
独立を考える前に、そもそも国とは何か。これを考えようと問いかける。
「国というと、私のところに人が来て言う。あれをくれ、これをくれ。そして、国は何もしてくれない、と言う。また、別の人は、大統領というのは、よろしいですな、と言う。小切手に署名すれば、何でも買えるのだから。」
また汗をふいて、ぐるりと周りを見渡して、
「そんなことはない。国にはお金がない。何も買えない。」
以前は、カカオやコーヒー生産の分け前を国民に分配していた。もはや、そういう時代ではない、ということだろう。
「民主主義が大事と言われる。私たちが民主主義を実践するのは、諸外国を喜ばせるためなのでしょうか。違う。私たちの問題を解決するのに、私たちには民主主義の方法しかない。私たちは多部族国家だ。セヌフォ、マレンケ、グロ、バウレ、アニ、クランゴ、まだまだいっぱい部族がある。それぞれの部族が、それぞれのやり方を持っている。そんなところで、国全体でなにか動かそうとするならば、それは民主主義によるしかないのです。」
なるほど、これは民主主義の捉え方として、新鮮である。
「1990年以来、多数政党制に移行して、その民主主義を動かそうとしてきた。ところが、そのやり方を知らないから、大混乱だ。私たちがよく理解しなければいけないのは、これは私たち自身の問題だということです。私たち自身で、問題を解決しなければならないということです。ところが、問題が起こったら、すぐに国際社会に判断してもらおう、という。すぐに国連に何とかしてもらおう、という。」
あれ、現下の選挙準備でその言い方だと、国連の支援に頼るべきではないという意味になるぞ。
「困ったら、すぐに国際委員会、国際委員会という。違う。国民委員会だ。」
わーっと拍手があったけれど、コートジボワールの国民の間だけで解決できなかったから、国際社会がこれだけ関与することになったのだ。そして、バグボ大統領は、独立50周年についてよく考えてくれ、その結論を祝賀委員会から聞けることを楽しみにしている、と締めくくった。
もう時計が午後3時を回って、昼食も取れないまま暑さの中を座り続けた大使連中は、たがいに顔を見合わせて言いあったのである。独立の意味について考えることも重要だろうけれども、その前にまずよく考えてほしいのは、決められた日程や時間をきちんと守るということである。果たして独立50周年を迎える8月までに、大統領選挙が日程どおり行われるだろうか。
そうしたら、隣に座っていた某大使がぽつんと言った。
「この分だと、独立50周年祭も、数年くらい遅らせるんじゃないか。」
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