日本文化の紹介をしてほしい、と言われた。大使として大事な仕事である。もちろん喜んで、と答えた。ある携帯電話の会社が、アビジャンの名士たちを呼んで、夕食会の形式で、他国の文化を学ぶ会をしている、今度は日本のことを取り上げたい、という。
夕食会には、日本料理屋から寿司の出前を取るという。そこまで日本に関心を持ってくれるとは、ありがたい話だ。日本料理屋といっても、このアビジャンに2軒ほどそれらしいのがあるうちの一つで、シンガポール人が経営している。結構勉強熱心で、材料のない中で、それなりにまともな日本料理を出すのである。
招待状には、8時半から主催者の挨拶。次いで、日本大使による講話、とある。だから、日本紹介ビデオなどを持参して、8時半に会場に現れた。文化を学ぶ会というから、どこか室内での勉強会かと思っていた。ところが、野外の広い庭園に、数百人ほどの会席がしつらえてある。どうも勉強会ではなくて、携帯電話の顧客を招いてのパーティーだったらしい。企業の宣伝に利用されたような気がするが、まあ構わないとしよう。相手が誰だって、日本を広報できればいいのだ。それで、案内されて座ると、数百人ほどの席に、二十人くらいしか来ていない。私を出迎えるはずの、主催者の携帯電話会社の社長も来ていない。
まあ、時間通りに始まらないのは、いつものことだ。仕方なく、一人座って待つこと20分。それでも、社長はおろか、誰も責任者らしい人が現れない。野外で蒸し蒸しと暑いし、さすがに、大使を呼んでおいて責任者もいないというのは失礼だ、と憤慨することにした。誰も来ないので私は帰る。何かあったら電話をくれ、と言い残して、会場を後にした。
公邸に帰ってゆっくりしていると、案の定電話が来た。もうお客様が皆さま揃ったので、もう一度お越し願えないか、という。講話をするべき私が帰ってしまっては、社長は大変困るはずだ。私は、そういうところは物分かりがいいから、臍を曲げるのは止す。会場にはちゃんと出向いて、約束の講話はしよう。でも、ちょっと落とし前はつけてもらおう。
夕食会は、私不在のまま、先に進んでいた。私は何事もなかったかのように、会場に入って、主催者の携帯電話社長や、その他の人々に挨拶をし、着席した。社長も、かなり慌てたはずなのに、何事もなかったかのように、私を出迎える。日本料理屋からの出前の巻き寿司などを、賞味していると、進行役が、さて今日ご来賓の日本大使から、日本文化のお話をいただきます、と言った。出番である。
私は、庭園の夕食会場の真ん中に進み出て、話し始めた。
「日本の文化というお題です。こちらに赴任する前は、何千キロと離れたコートジボワール。さぞかし違う文化だろうと思っていました。でも、こちらに来て分ったのは、実は共通点が多いことです。まず、皆さん米を食べる。」
日本料理屋の仕出しが出ているから、米の話をする。
「もう一つ共通点は、皆さんが自然を大切にすることです。山に精霊、川に精霊、鳥にも虫にも精霊がいる。これは日本でも同じです。神道というのがあって、森羅万象を崇める。山や森や大木などを御神体として信仰するのです。それから、お年寄り、年長者を尊敬する。何かを議論する時、まず年長者の意見を大切にする。これも一緒です。」
だから、日本とアフリカは、意外によく似た精神世界や社会秩序を持っているのだ、と述べる。
「でも、違うところもあります。」
私は、社会文化の違いについて話し始める。
「日本は豊かな国だとお思いでしょう。そして、それに対してコートジボワールは貧しいと。それは実は違って、逆なのです。」
そして、私はいつもの議論を展開する。日本は石油も資源もなく、土地も山ばかり、おまけに戦争で荒廃した。それだからこそ、日本人は働いて国を作った。働いたからこそ、国が豊かになったのだ。日本は豊かな国なのではない、豊かになった国なのだ。
「日本に比べて、皆さんの国は、ほんとうに、たいへん豊かなのです。いつも夏で、いつもバナナが実っていて、地面を掘るといつもマニヨク(キャッサバ芋)があって、いつものんびりと昼寝が出来る。日本だったら、そういうわけにはいきません。春の短い期間に種をまき、梅雨や台風の空を見ながら、世話をして、秋には折を見て収穫しないと、厳しい寒さの冬が来てしまう。でも、コートジボワールの皆さんには、時間がたっぷりある。時間を気にする必要がないのです。今日でなくてもいい、今月でなくてもいい。気が向いた時、何となく皆が揃った時、そういう時がきたら、物事を始めればいい。」
そして、私はここぞとマイクを握り直す。
「例えば私は、今日ここに、8時半ぴったりに到着しました。8時半に来てくれ、と依頼されたからです。ところが、まだ皆さんはちらほらとしか来ておられなくて、社長の方のお出迎えもなかった。案内された席で、20分ばかり待ちましたけどね、誰も来ないし、何も始まらない。連絡も案内もない。まあ、日本でなくても、こういう場合には、約束は反古になったと理解されますね。それが先進国の常識です。だから私は、いったんは自宅に帰ったわけです。」
社長が、慌てて席を立って、私の方にやってきた。私は構わず続ける。
「日本では、皆が、一人一人が自分の役割を果たし、共同して仕事をしています。それでこそ、いろいろな事業が仕上がるのです。一人一人が、自分の気が向いた時にしか仕事をしなければ、皆で共同して作業するなどということはできない。日本のビジネスマンたちが、仕事のパートナーの迷惑にならないように、自分の責任部分をきちんと仕上げることができるか、とても神経をすり減らしながら、仕事をしているのです。まあ、そういうことを重ねてきて、日本は経済成長を達成したわけです。」
側にやってきて、社長もマイクを取った。
「いや大使閣下をお待たせしたのは、申し訳なかった。それで、お話しはよく分かりました。コートジボワールも、そういう点を改善しなければ、発展がない、とこういうことですね。」
私は応える。
「いや、私はただ、ここに文化の違いがある、とご説明したかっただけです。ご静聴ありがとうございました。」
そして、マイクを渡して席に戻った。
まあ、ちょっと大人げないといえば、そうかもしれない。時間を度外れて守らないというのは、ここコートジボワールではそんなに非常識ではないのだから。主催者の社長に喧嘩を売るように、耳障りなことを乱暴に言ってのけた、大人げない大使の講話に、聴衆のお客さんは余程戸惑っただろう。
と思ったら、何と一部から大きな拍手が沸いた。見ると、レバノン人のビジネスマンたちのテーブルである。席に戻った私のところに、握手を求めてきた。そうだ、そうだ、大使の言う通りだ。日ごろから我々もどうにもこうにも、あきれていることを、よくぞ大使は指摘してくれた、胸がすいた、と私に言う。そして、私が車に乗って帰ろうとしたら、車まで見送りに来てくれた人までいた。
日本文化の紹介、という趣旨からは、ちょっと離れてしまったかもしれない。でも、文化とは、美術や芸能に限らず、社会習慣にも及ぶものだ。であるとすれば、日本大使が大人げなく憤慨した一件は、社長にも、コートジボワール人のお客さんにも、レバノン人のビジネスマンたちにも、文化の違いについて考える、いい機会となっただろう。
夕食会には、日本料理屋から寿司の出前を取るという。そこまで日本に関心を持ってくれるとは、ありがたい話だ。日本料理屋といっても、このアビジャンに2軒ほどそれらしいのがあるうちの一つで、シンガポール人が経営している。結構勉強熱心で、材料のない中で、それなりにまともな日本料理を出すのである。
招待状には、8時半から主催者の挨拶。次いで、日本大使による講話、とある。だから、日本紹介ビデオなどを持参して、8時半に会場に現れた。文化を学ぶ会というから、どこか室内での勉強会かと思っていた。ところが、野外の広い庭園に、数百人ほどの会席がしつらえてある。どうも勉強会ではなくて、携帯電話の顧客を招いてのパーティーだったらしい。企業の宣伝に利用されたような気がするが、まあ構わないとしよう。相手が誰だって、日本を広報できればいいのだ。それで、案内されて座ると、数百人ほどの席に、二十人くらいしか来ていない。私を出迎えるはずの、主催者の携帯電話会社の社長も来ていない。
まあ、時間通りに始まらないのは、いつものことだ。仕方なく、一人座って待つこと20分。それでも、社長はおろか、誰も責任者らしい人が現れない。野外で蒸し蒸しと暑いし、さすがに、大使を呼んでおいて責任者もいないというのは失礼だ、と憤慨することにした。誰も来ないので私は帰る。何かあったら電話をくれ、と言い残して、会場を後にした。
公邸に帰ってゆっくりしていると、案の定電話が来た。もうお客様が皆さま揃ったので、もう一度お越し願えないか、という。講話をするべき私が帰ってしまっては、社長は大変困るはずだ。私は、そういうところは物分かりがいいから、臍を曲げるのは止す。会場にはちゃんと出向いて、約束の講話はしよう。でも、ちょっと落とし前はつけてもらおう。
夕食会は、私不在のまま、先に進んでいた。私は何事もなかったかのように、会場に入って、主催者の携帯電話社長や、その他の人々に挨拶をし、着席した。社長も、かなり慌てたはずなのに、何事もなかったかのように、私を出迎える。日本料理屋からの出前の巻き寿司などを、賞味していると、進行役が、さて今日ご来賓の日本大使から、日本文化のお話をいただきます、と言った。出番である。
私は、庭園の夕食会場の真ん中に進み出て、話し始めた。
「日本の文化というお題です。こちらに赴任する前は、何千キロと離れたコートジボワール。さぞかし違う文化だろうと思っていました。でも、こちらに来て分ったのは、実は共通点が多いことです。まず、皆さん米を食べる。」
日本料理屋の仕出しが出ているから、米の話をする。
「もう一つ共通点は、皆さんが自然を大切にすることです。山に精霊、川に精霊、鳥にも虫にも精霊がいる。これは日本でも同じです。神道というのがあって、森羅万象を崇める。山や森や大木などを御神体として信仰するのです。それから、お年寄り、年長者を尊敬する。何かを議論する時、まず年長者の意見を大切にする。これも一緒です。」
だから、日本とアフリカは、意外によく似た精神世界や社会秩序を持っているのだ、と述べる。
「でも、違うところもあります。」
私は、社会文化の違いについて話し始める。
「日本は豊かな国だとお思いでしょう。そして、それに対してコートジボワールは貧しいと。それは実は違って、逆なのです。」
そして、私はいつもの議論を展開する。日本は石油も資源もなく、土地も山ばかり、おまけに戦争で荒廃した。それだからこそ、日本人は働いて国を作った。働いたからこそ、国が豊かになったのだ。日本は豊かな国なのではない、豊かになった国なのだ。
「日本に比べて、皆さんの国は、ほんとうに、たいへん豊かなのです。いつも夏で、いつもバナナが実っていて、地面を掘るといつもマニヨク(キャッサバ芋)があって、いつものんびりと昼寝が出来る。日本だったら、そういうわけにはいきません。春の短い期間に種をまき、梅雨や台風の空を見ながら、世話をして、秋には折を見て収穫しないと、厳しい寒さの冬が来てしまう。でも、コートジボワールの皆さんには、時間がたっぷりある。時間を気にする必要がないのです。今日でなくてもいい、今月でなくてもいい。気が向いた時、何となく皆が揃った時、そういう時がきたら、物事を始めればいい。」
そして、私はここぞとマイクを握り直す。
「例えば私は、今日ここに、8時半ぴったりに到着しました。8時半に来てくれ、と依頼されたからです。ところが、まだ皆さんはちらほらとしか来ておられなくて、社長の方のお出迎えもなかった。案内された席で、20分ばかり待ちましたけどね、誰も来ないし、何も始まらない。連絡も案内もない。まあ、日本でなくても、こういう場合には、約束は反古になったと理解されますね。それが先進国の常識です。だから私は、いったんは自宅に帰ったわけです。」
社長が、慌てて席を立って、私の方にやってきた。私は構わず続ける。
「日本では、皆が、一人一人が自分の役割を果たし、共同して仕事をしています。それでこそ、いろいろな事業が仕上がるのです。一人一人が、自分の気が向いた時にしか仕事をしなければ、皆で共同して作業するなどということはできない。日本のビジネスマンたちが、仕事のパートナーの迷惑にならないように、自分の責任部分をきちんと仕上げることができるか、とても神経をすり減らしながら、仕事をしているのです。まあ、そういうことを重ねてきて、日本は経済成長を達成したわけです。」
側にやってきて、社長もマイクを取った。
「いや大使閣下をお待たせしたのは、申し訳なかった。それで、お話しはよく分かりました。コートジボワールも、そういう点を改善しなければ、発展がない、とこういうことですね。」
私は応える。
「いや、私はただ、ここに文化の違いがある、とご説明したかっただけです。ご静聴ありがとうございました。」
そして、マイクを渡して席に戻った。
まあ、ちょっと大人げないといえば、そうかもしれない。時間を度外れて守らないというのは、ここコートジボワールではそんなに非常識ではないのだから。主催者の社長に喧嘩を売るように、耳障りなことを乱暴に言ってのけた、大人げない大使の講話に、聴衆のお客さんは余程戸惑っただろう。
と思ったら、何と一部から大きな拍手が沸いた。見ると、レバノン人のビジネスマンたちのテーブルである。席に戻った私のところに、握手を求めてきた。そうだ、そうだ、大使の言う通りだ。日ごろから我々もどうにもこうにも、あきれていることを、よくぞ大使は指摘してくれた、胸がすいた、と私に言う。そして、私が車に乗って帰ろうとしたら、車まで見送りに来てくれた人までいた。
日本文化の紹介、という趣旨からは、ちょっと離れてしまったかもしれない。でも、文化とは、美術や芸能に限らず、社会習慣にも及ぶものだ。であるとすれば、日本大使が大人げなく憤慨した一件は、社長にも、コートジボワール人のお客さんにも、レバノン人のビジネスマンたちにも、文化の違いについて考える、いい機会となっただろう。
時間の観念は私のように日本に居ると分かりません。
同じ日本でも沖縄ではやはり違う時間が流れていました。
昔、ある市の建物の設計をする時、何日の朝10時に役場に来るように指示があり、行ってみたらご担当者は午前半休???
なんて事あったのを思い出しました。
日本の違うところは、それ以来、少なくとも私共に対してそのご担当者は遅刻をしなくなったことでしょうか…
いま、アビジャンに仕事の関係で来ていますが、仕事の仲間でさえも何時間も待ち合わせに遅れたり、たまに来てくれないこともあります。一緒に来ていた上司には結局誰もあてにするなと言われました。
ですが、現地の人と、限られた時間で、物を作っていく仕事に携わっているので、本当に最低限時間だけは守ってもらいたいです。