さて、「第二部」において、バグボ大統領はコートジボワールの経済を近代化しなければならない、という議論を展開する。つまり、これまでの「プランテーション経済」から抜け出さなければならない、という。もともと、コートジボワールの経済構造は、「植民地経済」のままであった。つまり、かつて宗主国(フランス)の経済を補完する役割であった、その名残が残っていた。外国の工業を支えるため、一次産品を生産して輸出する、それがコートジボワールの経済であった。これをバグボ大統領は、「プランテーション経済」と称する。
昔はそれでよかった。カカオやコーヒー、綿花、木材、天然ゴム。そうした商品作物を作って売れば、生活に必要な工業製品は十分買えた。しかし、人口が増大した今、国内の必要は、商品作物の生産力ではまかない切れないほどに増えた。工業製品はおろか、食料も輸入できなくなりつつある。もはや、一次産品を生産して、それで工業製品・食糧を買うという、「プランテーション経済」には限界がある。自ら工業を起こし、自ら食糧を生産して、新たな生産力を身につけなければならない。そういう議論である。
コートジボワールは農業に支えられている。だから、商品作物を含め、まず既存の農業をきちんと立てなおすことは何より必要である。それとともに、バグボ大統領は、食料生産の重要性を説く。われわれは、日常の消費に応じた農産品をつくって、その分外貨を節約しなければならない。そして、穀物とりわけ米を輸入に頼っていると、世界の食料価格高騰に翻弄される。だから、食糧自給を高めなければならない。同じ議論を、バグボ大統領は、独立記念日の演説でもしていた。
次に、工鉱業生産である。コートジボワールには、鉱物資源が豊富にあるはずなのに、殆ど開発がされていない。石油・天然ガスも有望である。ただ掘り出すだけでなく、石油精製や、石油化学工業を行わなければ。そして、何より製造業の活性化である。西アフリカ地域でみれば、フラン通貨圏の工業生産の半分以上は、コートジボワールである。西アフリカ経済共同体全体でみると、合計3億人の市場が目の前にある。
ところが、コートジボワールの工業には問題があり、生産性が低いままだ。何が問題か。バグボ大統領は、ここを議論する。労賃・地代が高すぎる。技術力が貧弱だ。質の高い労働力の不足。製品の仕上げが不十分。生産・流通・販売が統合されていない。まさにその通り。これらはみな、この国の産業全体に言えることだ。私だったら、これに加えて、勤労精神の乏しさをあげるけれども、バグボ大統領はさすがに有権者の自尊心を傷つける危険は冒さない。
バグボ大統領は、税の軽減、投資保護など、ビジネス環境の改善を図り、何とか国内工業生産を高めたい、と論じる。カカオやコーヒー、綿花など、原料をそのまま輸出するのでなく、国内での加工を進める。製造業を活性化する。特に、これまで存在しなかった重工業を興す。等々。
さて、輸入で外貨を持っていかれないように、輸入品を国産品で置き換えよう。これまで輸入に頼っていた食糧・工業製品を、自国内で作ろう。これは、まさに「輸入代替政策」ではないか。確か、「輸入代替政策」は間違った政策だ、と大学で学んだ。近代経済学では、リカードの「比較優位説」というのがあって、何でも自国で作ろうとするより、比較的に生産性が優れている産品の生産に特化して、それ以外の産品は自由貿易で輸入した方が効率的、という。
コートジボワールにあてはめると、自国で食料や工業製品を作ろうとするより、得意のカカオ、コーヒーなど商品作物の生産に特化して、食料や工業製品は商品作物の売上代金で輸入しなさい、ということになる。しかし、バグボ大統領のいうとおり、全国でカカオやコーヒーを一生懸命作っても、その売り上げが、国民全員が食料や必需品を買えるほどに及ばないとしよう。だとすれば、やはり自国で食料や工業製品を供給して何とか賄わなければ、という議論のほうが正しいような気がする。とにかく、新しい部門で、何かもっと頼りになる生産力を獲得しなければ。そういう大統領の焦りは、理解できる。
さて、「第二部」の最後のところで、バグボ大統領は、コートジボワールの公的資金の循環について、大きな欠点があると述べている。第一に、公的資金動員力の弱さ、つまり徴税能力の低さである。付加価値税の課税、輸出品への課税などを定式化するとともに、脱税を許さないようにしなければ、と言う。第二に、過剰な公的債務を何とかしなければ。これは債務救済措置が早く進むように考える。第三に、公務員が多すぎる。2008年の公務員人件費支出は7400億フラン、予算の41%、国内総生産の7%に及んでいる。これが、国家の大きな足かせになっている。第四に、公的投資機関が弱い。国内投資銀行を活性化し、開発と貧困撲滅に、資金が循環していくようにしなければならない。
さても、こうした論点はすべて正鵠を射ている。さすがに、10年間大統領を務めてきただけある。私の目からは、これらの分析は鋭いけれども、大統領なのだから、これまで何かもっと出来たのではないか、と思うわけである。バグボ大統領は、これらの展望にたって政策を実行しようと思った矢先に、2002年に国内紛争が起こって、以来何もできなかったと述べている。
いずれにしても、こうした本格的な政策を、大統領が世に問うてきた。つまり、大統領選挙に向けて、着々と準備が始まっているということである。その意味で、この本が出版されたことは、たいへん興味深いことである。
昔はそれでよかった。カカオやコーヒー、綿花、木材、天然ゴム。そうした商品作物を作って売れば、生活に必要な工業製品は十分買えた。しかし、人口が増大した今、国内の必要は、商品作物の生産力ではまかない切れないほどに増えた。工業製品はおろか、食料も輸入できなくなりつつある。もはや、一次産品を生産して、それで工業製品・食糧を買うという、「プランテーション経済」には限界がある。自ら工業を起こし、自ら食糧を生産して、新たな生産力を身につけなければならない。そういう議論である。
コートジボワールは農業に支えられている。だから、商品作物を含め、まず既存の農業をきちんと立てなおすことは何より必要である。それとともに、バグボ大統領は、食料生産の重要性を説く。われわれは、日常の消費に応じた農産品をつくって、その分外貨を節約しなければならない。そして、穀物とりわけ米を輸入に頼っていると、世界の食料価格高騰に翻弄される。だから、食糧自給を高めなければならない。同じ議論を、バグボ大統領は、独立記念日の演説でもしていた。
次に、工鉱業生産である。コートジボワールには、鉱物資源が豊富にあるはずなのに、殆ど開発がされていない。石油・天然ガスも有望である。ただ掘り出すだけでなく、石油精製や、石油化学工業を行わなければ。そして、何より製造業の活性化である。西アフリカ地域でみれば、フラン通貨圏の工業生産の半分以上は、コートジボワールである。西アフリカ経済共同体全体でみると、合計3億人の市場が目の前にある。
ところが、コートジボワールの工業には問題があり、生産性が低いままだ。何が問題か。バグボ大統領は、ここを議論する。労賃・地代が高すぎる。技術力が貧弱だ。質の高い労働力の不足。製品の仕上げが不十分。生産・流通・販売が統合されていない。まさにその通り。これらはみな、この国の産業全体に言えることだ。私だったら、これに加えて、勤労精神の乏しさをあげるけれども、バグボ大統領はさすがに有権者の自尊心を傷つける危険は冒さない。
バグボ大統領は、税の軽減、投資保護など、ビジネス環境の改善を図り、何とか国内工業生産を高めたい、と論じる。カカオやコーヒー、綿花など、原料をそのまま輸出するのでなく、国内での加工を進める。製造業を活性化する。特に、これまで存在しなかった重工業を興す。等々。
さて、輸入で外貨を持っていかれないように、輸入品を国産品で置き換えよう。これまで輸入に頼っていた食糧・工業製品を、自国内で作ろう。これは、まさに「輸入代替政策」ではないか。確か、「輸入代替政策」は間違った政策だ、と大学で学んだ。近代経済学では、リカードの「比較優位説」というのがあって、何でも自国で作ろうとするより、比較的に生産性が優れている産品の生産に特化して、それ以外の産品は自由貿易で輸入した方が効率的、という。
コートジボワールにあてはめると、自国で食料や工業製品を作ろうとするより、得意のカカオ、コーヒーなど商品作物の生産に特化して、食料や工業製品は商品作物の売上代金で輸入しなさい、ということになる。しかし、バグボ大統領のいうとおり、全国でカカオやコーヒーを一生懸命作っても、その売り上げが、国民全員が食料や必需品を買えるほどに及ばないとしよう。だとすれば、やはり自国で食料や工業製品を供給して何とか賄わなければ、という議論のほうが正しいような気がする。とにかく、新しい部門で、何かもっと頼りになる生産力を獲得しなければ。そういう大統領の焦りは、理解できる。
さて、「第二部」の最後のところで、バグボ大統領は、コートジボワールの公的資金の循環について、大きな欠点があると述べている。第一に、公的資金動員力の弱さ、つまり徴税能力の低さである。付加価値税の課税、輸出品への課税などを定式化するとともに、脱税を許さないようにしなければ、と言う。第二に、過剰な公的債務を何とかしなければ。これは債務救済措置が早く進むように考える。第三に、公務員が多すぎる。2008年の公務員人件費支出は7400億フラン、予算の41%、国内総生産の7%に及んでいる。これが、国家の大きな足かせになっている。第四に、公的投資機関が弱い。国内投資銀行を活性化し、開発と貧困撲滅に、資金が循環していくようにしなければならない。
さても、こうした論点はすべて正鵠を射ている。さすがに、10年間大統領を務めてきただけある。私の目からは、これらの分析は鋭いけれども、大統領なのだから、これまで何かもっと出来たのではないか、と思うわけである。バグボ大統領は、これらの展望にたって政策を実行しようと思った矢先に、2002年に国内紛争が起こって、以来何もできなかったと述べている。
いずれにしても、こうした本格的な政策を、大統領が世に問うてきた。つまり、大統領選挙に向けて、着々と準備が始まっているということである。その意味で、この本が出版されたことは、たいへん興味深いことである。
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