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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

十年一昔

2009-12-30 | Weblog
「十年一昔」というとおり、10年という歳月は一区切りなのだろうか。2009年の年末は、10年という歳月の「重さ」を考えてみるのに、いい機会ではないか。10年前は、1999年の12月。いよいよ2000年代を迎えると言う、千年紀の変わり目だった。何かしら新しい時代が開けるような高揚感が、街々に満ちていたから、誰しも何かしら思い出があるであろう。1999年の年の瀬を、どこでどのように迎えたか。

私は、コソボの国連ミッションで働いていた。すさまじく寒い冬であった。その年の前半に、コソボで起こった民族紛争。殺戮と難民流出、そしてNATOによる爆撃。ミロシェビッチ大統領の撤退と、国連による暫定行政。そうした有為転変を経て、年末を迎えていた。私たちのチームは、2000年を迎える大晦日に、コソボの北部ミトロビッツアの町の橋の上で民族和解の記念行事を行うことを計画し、その準備を進めていた。

コソボ紛争の終結は、90年代にバルカン半島を吹き荒れた、凄惨な民族紛争に止めを刺すものであった。その年、東チモールの民族紛争も終わり、同じく国連ミッションが進出していた。アフリカでは、シエラレオネの内戦に終止符が打たれ、やはり国連が停戦を進めていた。

地域紛争の10年だった90年代は、多くの紛争にひとまずの解決を見出し、その一方で国連の平和維持活動を拡大しつつ、暮れようとしていた。世界は、平和に向かって、千年紀の変わり目を迎えつつある、そういう安堵感があった。それだけに、そのニュースが私たちの耳に届いたときに、国連関係者の間においても、大いに驚きが広がったことを記憶している。
「コートジボワールでクーデタが起こった。」

まさか、あのコートジボワールで。実際のところ、政変と内乱を繰り返すアフリカ諸国のなかで、コートジボワールは建国以来39年間、安定と発展のお手本だった。アビジャンは、アフリカのパリ、アフリカのマンハッタンと呼ばれ、高層ビルが林立する経済首都であった。ヨーロッパから多くの人々が、商売のため、休暇のため、この国を訪れていた。その国で、まさか軍事クーデタとは。

そのクーデタは、綿密に計画され、実行されたものとはとても言えない。いわばハプニングで起こった。1999年の12月22日、普通ならば大晦日に行うはずの、国民に向けてのメッセージを、早々とこの日に行って、ベディエ大統領はそのまま故郷のダウクロに引っ込んでしまった。彼がアビジャンもう少し残っておれば、いくらか早い段階で手を打てていたかもしれない。

さて、コートジボワールは、国連平和維持活動に参加するために、自国軍兵士を中央アフリカに派遣していた。クリスマスを前に、本国に戻ってきた彼らは、まだ手当が支払われていない、と不満を鳴らしはじめた。結構な手当てが、国連から一人当たりで支給されているはずだ。それがまだ、自分たちの手元に来ない。軍の上層部が、一人占めしているのではないか。何事につけ、管理職は汚職をするのが当然と考える、この国の文化である。兵士たちは、手当を取り返すために、兵舎を出て示威行動をすることにした。

12月23日の夜から24日にかけて、兵士たちの騒擾は拡大していき、ベディエ大統領はこれに有効な手を打たなかった。「手当を支給する」と宣言し、お金を配りさえすればよかったのに。一方で、兵士たちの側には、「首謀者」がいなかった。首謀者がいないと、どうにも締まりがない。そこで、適当な人を探したところ、以前に参謀総長をやっていたゲイ将軍(Robert Guéi)の名前が挙がった。

ゲイ将軍は、今は引退していた。年末を、故郷の西部の村でゆっくりしていたところに、兵士たちからの電話が来た。ともかくも事態を収拾しようと、ゲイ将軍は自分でパジェロを運転して、アビジャンまでやってきた。そうしたら、もう調停役どころか、首謀者に祭り上げられていた。

それでも、ゲイ将軍は、最初のうちは躊躇し、まずベディエ大統領に電話をした。騒ぐ兵士たちを鎮めるためにも、まず軍の上層部を招集してください。そうベディエ大統領に依頼した。ところが、ベディエ大統領はゲイ将軍の言うことをきかなかった。聞かないどころか、机をたたいて怒り、ブアケの師団を派遣して、君たちを鎮圧してやると脅した。そう言われると、ゲイ将軍も腹を固めるしかなかった。

アビジャンの地方ラジオ局に出向き、ゲイ将軍はクーデタの成立を宣言した。「ベディエ大統領は解任され、内閣は解散する。」12月24日のことである。アビジャンに戻ってきたベディエ大統領は、さらに怒って、「自分はちゃんと大統領官邸にいる。解任された覚えはない。」と言って、国民全体にむけて、ゲイ将軍を排除する行動に出るように呼びかけた。

それで、呼びかけに応えて国民は街に出た。でも、ベディエ大統領を支持するということではなかった。国民は、ベディエ大統領の政治にうんざりしていたのだ。「軍服のサンタクロース(Père Noël en treillis)」と名付けられたゲイ将軍を、解放者として歓迎するために、街々に出た。ゲイ将軍は、12月25日に記者会見をして、「家の大掃除をする」と宣言した。おおかたの国民は拍手をした。

国民や軍の間に広がるゲイ将軍支持の動きを見て、ベディエ大統領も自分の運命を悟らざるを得なかった。12月26日、家族だけを連れて、フランス軍のヘリコプターに乗って、国外に脱出した。こうして、コートジボワールのクーデタは成立し、ゲイ将軍を議長とする「国家救国評議会」による政治がはじまった。

たしかに、10年前に起こったコートジボワールのクーデタは、流血を伴うものでもなかったし、何より国民の支持を得たクーデタであった。ゲイ将軍は、その後、早期の大統領選挙を宣言し、実際に2000年10月に大統領選挙を行っている(バグボ大統領が選出される)。しかし、選挙で選出されたベディエ大統領を、実力で排除するという、民主主義の禁忌を犯したことも確かである。

混乱の扉は、一度開かれると、閉じるのは難儀である。その後10年の間に、コートジボワールは、さらなるクーデタを経験し(2002年)、国中で部族対立や、宗教対立の扉が開いてしまった。今に至る、すべてのコートジボワールの厄禍は、ちょうど10年前のゲイ将軍のクーデタに端を発する。

そして、10年という年月の重さがある。今、二十歳代の人々には、よき時代のコートジボワールの記憶や体験がない。また、混乱と紛争を前提とした、社会や経済が出来あがってしまっている。これをあの元のコートジボワールに戻すには、さらに10年以上がかかるであろう。

ちょうど10年前に、クーデタのニュースを聞いた時、10年後にその国で大使をすることになっているだろうとは、およそ思いもしなかった。10年の年月は、私にとっても十分な重さがあった。

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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本当に (G KOBAYASHI)
2010-01-05 13:17:23
明けましておめでとうございます。

このブログを昨年末に知って読まさせていただいております。
非常に勉強になります。ありがとうございます。

私も社会に出て20数年経ち、社会も仕事の仕方も変わってきました。
社会はバブルからバブル崩壊、ちょっと良くなってから未曾有のリーマンショックで先行きはとても不安です。
仕事は、まずは道具が変わりました。製図版にうT定規から今はパソコンです。
今の若い人たちは、僕達が日々フリーハンドで世界を描いていた状況を知る人は少ないと思います。
しかし、この時間軸を持った我々人間も時代に合わせ、時には歴史から学び、心身ともに豊かな生活をしたいものだと思います。
最近、NHKで「坂の上の雲」というドラマを放映していました。第2部は2010年12月と先なのですが…江戸時代から明治に入り、鎖国から国際社会の仲間入りをし、その時代の先人達がいかに日本を愛し、志高く、協力し合って生きぬいてきたかを感じます。これからの日本もこれには習わなくてはとも思いました。
脈絡の無いコメントで申し訳ありませんが、これからも大使のお話や情勢分析等楽しみに読まさせて頂きます。
お体に気をつけ、頑張ってください。
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