村に行くと、感謝のしるしとして、羊をおみやげに頂戴する。食べてくださいということなのだけれど、とても公邸で殺生はできない。だから、たいがいは訪問先の学校とか、孤児院とか、あるいは警備で世話になった警察部隊とかに、置いてくる。ところが、そいつは置いてくる機会を見つけられず、わが家までやってきた。
仕方なく、いざという時のための備蓄食糧だと思って、しばらく置いておくことにした。そうしたら、羊というのは、意外に人懐こい動物で、犬のように尻尾を振ってついてくる。庭に放してやると、仕事をする。芝を刈るのである。一日中、庭の芝を刈っている。愛敬をふりまき、仕事もして、だから警備員などにも可愛がられて、煮込みにもスープにもならずにまだ生きている。
さて唐突ながら、話は羊から豚に飛ぶ。イシアという町を、ボウン・ブアブレ開発相に連れられて訪問し、そこで地元の青年団が、養豚を手掛けている様子を視察した。その時に、青年組合から、豚肉の加工の部分について、日本の協力が得られないかという相談があった。豚肉をハムやソーセージにする技術を確立して、地元に普及させるために、組合の「食肉加工訓練センター」を作りたいという計画である。
地元産業の振興計画であるだけではない。豚肉をハムやソーセージに加工して、地域一帯に普及させる。そうすれば、新たな蛋白質の摂取源になり、人々の栄養改善が図られる。これはとりわけ、成長期にあって、蛋白質の不足しがちな児童たちには助けになる。私は東京の本省と相談の上、「草の根無償資金協力」の枠組みを使って、約2千2百万フラン(約5百万円)の資金を提供することにした。今日は、その合意署名の式典を、わが公邸でとり行っている。
式典には、ボウン・ブアブレ開発相が来てくれた。開発相に加えて、これは職業訓練だからと、ドッソ職業訓練相も来てくれた。大臣を二人迎えて、私は、この事業の主催者であるイシア県の経済社会評議会の副議長との間で、合意書に署名し、お互いに交換をした。
「この事業は、ボウン・ブアブレ開発大臣のお導きによるものです。開発大臣のお話を聞いたら、日本大使の私として、この事業に協力しないわけには行かなくなりました。」
と、私は開発相を持ち上げる。
「開発大臣は、以前に訪日したときに、わが国に「一村一品運動」というものがあることを知られたわけです。そして、この日本の運動に触発され、地元での養豚を推進してこられました。コートジボワール版の「一村一品運動」というわけですから、日本として事業を応援することは、当然じゃないですか。ぜひとも、イシアのハム、という銘産品を作ってください。そうしたら、私は日本への輸出のお手伝いをしたいと思います。」
そして、ドッソ職業訓練相の方を見て、
「すでに日本は、コートジボワール国内各地の職業訓練学校の修復に、協力することを決定しています。そして、今回の協力は、食肉加工という職業の訓練センターを設立するという案件です。ドッソ大臣には、ぜひとも、職業訓練活動の一環としてご賛助を得たいと考えます。」
ちょっとこじつけだけれど、これでドッソ大臣の顔も立てた。
引き続き、ボウン・ブアブレ開発相が、挨拶の言葉を述べる。日本への感謝と、食肉加工の産業振興の意義を語ったあと、ドッソ職業訓練相のほうを見て、彼がここに出席しているのは、もう一つの意味がある、という。
「ドッソ大臣は、実はイシアの生まれなのです。」
おっと、それは知らなかった。そういう別の縁があって、今日ここに来てくれたのか。イシアの市長さんもここに来てくれているし、今日はイシアの人々ばかりが、公邸に集まったというわけだ。
私ははっと思いついた、式典の最後で皆が立ちあがりかけたところに、ちょっと皆さん、と声をかけた。
「今日は実は、もう一人、式典に参加しているイシア出身の奴がいるのですが。」
そうして、公邸の窓のカーテンをさっと開ける。あの羊が、庭で草を食んでいる。
「この羊、この間イシアにお伺いしたときに、村でいただいた羊です。こうして今日の日を無事に迎えられたことを、この羊もきっと喜んでいるに違いないです。」
大笑いになった。ほんとうだ、煮込みにもスープにもならずに生きながらえて、幸せな羊だ。式典の後のカクテルで、私は大臣たちと一緒に庭に出て羊を呼んだ。羊は、私のところに駆け寄ってきた。ボウン・ブアブレ開発相も、ドッソ職業訓練相も、目を細めている。わが家の羊は、芝刈りだけでなく、親善外交にも従事するのである。
仕方なく、いざという時のための備蓄食糧だと思って、しばらく置いておくことにした。そうしたら、羊というのは、意外に人懐こい動物で、犬のように尻尾を振ってついてくる。庭に放してやると、仕事をする。芝を刈るのである。一日中、庭の芝を刈っている。愛敬をふりまき、仕事もして、だから警備員などにも可愛がられて、煮込みにもスープにもならずにまだ生きている。
さて唐突ながら、話は羊から豚に飛ぶ。イシアという町を、ボウン・ブアブレ開発相に連れられて訪問し、そこで地元の青年団が、養豚を手掛けている様子を視察した。その時に、青年組合から、豚肉の加工の部分について、日本の協力が得られないかという相談があった。豚肉をハムやソーセージにする技術を確立して、地元に普及させるために、組合の「食肉加工訓練センター」を作りたいという計画である。
地元産業の振興計画であるだけではない。豚肉をハムやソーセージに加工して、地域一帯に普及させる。そうすれば、新たな蛋白質の摂取源になり、人々の栄養改善が図られる。これはとりわけ、成長期にあって、蛋白質の不足しがちな児童たちには助けになる。私は東京の本省と相談の上、「草の根無償資金協力」の枠組みを使って、約2千2百万フラン(約5百万円)の資金を提供することにした。今日は、その合意署名の式典を、わが公邸でとり行っている。
式典には、ボウン・ブアブレ開発相が来てくれた。開発相に加えて、これは職業訓練だからと、ドッソ職業訓練相も来てくれた。大臣を二人迎えて、私は、この事業の主催者であるイシア県の経済社会評議会の副議長との間で、合意書に署名し、お互いに交換をした。
「この事業は、ボウン・ブアブレ開発大臣のお導きによるものです。開発大臣のお話を聞いたら、日本大使の私として、この事業に協力しないわけには行かなくなりました。」
と、私は開発相を持ち上げる。
「開発大臣は、以前に訪日したときに、わが国に「一村一品運動」というものがあることを知られたわけです。そして、この日本の運動に触発され、地元での養豚を推進してこられました。コートジボワール版の「一村一品運動」というわけですから、日本として事業を応援することは、当然じゃないですか。ぜひとも、イシアのハム、という銘産品を作ってください。そうしたら、私は日本への輸出のお手伝いをしたいと思います。」
そして、ドッソ職業訓練相の方を見て、
「すでに日本は、コートジボワール国内各地の職業訓練学校の修復に、協力することを決定しています。そして、今回の協力は、食肉加工という職業の訓練センターを設立するという案件です。ドッソ大臣には、ぜひとも、職業訓練活動の一環としてご賛助を得たいと考えます。」
ちょっとこじつけだけれど、これでドッソ大臣の顔も立てた。
引き続き、ボウン・ブアブレ開発相が、挨拶の言葉を述べる。日本への感謝と、食肉加工の産業振興の意義を語ったあと、ドッソ職業訓練相のほうを見て、彼がここに出席しているのは、もう一つの意味がある、という。
「ドッソ大臣は、実はイシアの生まれなのです。」
おっと、それは知らなかった。そういう別の縁があって、今日ここに来てくれたのか。イシアの市長さんもここに来てくれているし、今日はイシアの人々ばかりが、公邸に集まったというわけだ。
私ははっと思いついた、式典の最後で皆が立ちあがりかけたところに、ちょっと皆さん、と声をかけた。
「今日は実は、もう一人、式典に参加しているイシア出身の奴がいるのですが。」
そうして、公邸の窓のカーテンをさっと開ける。あの羊が、庭で草を食んでいる。
「この羊、この間イシアにお伺いしたときに、村でいただいた羊です。こうして今日の日を無事に迎えられたことを、この羊もきっと喜んでいるに違いないです。」
大笑いになった。ほんとうだ、煮込みにもスープにもならずに生きながらえて、幸せな羊だ。式典の後のカクテルで、私は大臣たちと一緒に庭に出て羊を呼んだ。羊は、私のところに駆け寄ってきた。ボウン・ブアブレ開発相も、ドッソ職業訓練相も、目を細めている。わが家の羊は、芝刈りだけでなく、親善外交にも従事するのである。
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