舞台は、ニューヨークの国連本部。12月2日、日本が提案した「核廃絶決議案」が、今年も国連総会本会議において、圧倒的多数の賛成で採択された。賛成171、反対2、棄権8という投票結果である。
正式には、「核兵器の全面的廃絶に向けた新たな決意」決議というこの決議案は、核兵器のない平和で安全な世界を実現する、ということを目標に掲げ、すべての国が核兵器の全面的廃絶に向けて、具体的な行動を取ることを呼びかけている。1994年から毎年、日本が起案して提案し、世界各国に精力的に働きかけて、採択に持ち込んでいる。私は、2001年から2003年まで、本省で軍縮課長を務めていた。だから、その期間、この「核廃絶決議案」は私にとっての大きな仕事であった。
そして、今年の採択結果を見て、私は大変感慨が深い。米国が、反対(昨年)から賛成にまわったからだ。私が軍縮課長になって、2001年にこの「核廃絶決議案」をひきついで提案したら、なんと米国が、いきなり賛成(2000年)から棄権をとおりこして反対にまわった。それ以来、米国はずっと、日本の提案に対して反対を投じてきたのである。それが、8年ぶりに賛成に戻った。8年前に、民主党のクリントン政権から共和党のブッシュ政権に変わったので、反対になった。このたび、民主党のオバマ政権に政権交代したので、賛成に方向転換したというわけである。
核軍縮や、さらに核廃絶は、被爆国として、国民の願いである。憲法の謳う平和主義の理念からも、当然の訴えである。この「核廃絶決議案」を採択に持ち込むという外交活動は、そうした国民の気持ちを、国連の舞台であらわしたものである。
そういう説明をすると、いわゆる安全保障専門家を任じる人々からは、冷淡な目で見られる。
「自国の安全保障を、米国の核の傘に頼らざるをえない日本が、核兵器の役割を否定するとは、安全保障の基本を分かっていない。」
「米国に楯をついて、米国の核兵器の削減を要求するというのは、日米間の信頼関係を傷つけかねない危険な行為だ。」
だから、核軍縮や核廃絶というのは、国民感情に安直に流された主張なのだ、という。外務省は、国際軍事情勢の冷徹な現実を前に、「国民の願い」とかではなく、国の安全保障をいかに確保するかを基本に考えて、外交政策を進めるべきなのだ。
そういう議論をする、安全保障専門家たちに対して、軍縮課長の私はこう反論してきた。
「核軍縮こそ、安全保障の手段である。」
つまり、こういうことである。
日本は、中国とロシアという、広大な領土と核兵器を含む大規模な軍備を備えた大国を二つ、隣国に抱えている。さらに、朝鮮半島、台湾海峡という不安定な要素を抱えた地域が、近隣に存在している。北朝鮮は、ミサイル保有だけでなく核実験まで行った。まだまだ緊張関係や不透明・不確実な要素が多く存在しているという地域、というのが、日本のおかれた安全保障環境なのである。
さて、日本が平和と安全を確保するためには、日本を取り巻く地域での軍事的な情勢をできるだけ安定したものにする必要がある。万が一にも、各国が互いに無節操な軍備拡張競争に走るような、危険な情勢を呼んではならない。だから日本は、自国の防衛力整備、日米安保体制とともに、国際環境の安定を確保するための外交努力により、自国の平和と安全を図ろうとしてきた。軍縮は、そうした外交努力の有効な手段である、ということである。
ほんとうに安全保障について考えている専門家なら、「米国の核の傘によって安全保障が確保されるのだ」とだけ唱えて事足れりとするようなことはない。それに加えて、日本を取り巻く国際環境の軍事的な危険性を、どのようにすれば低減できるかを考えるのである。そうすると、核兵器をはじめとする大量破壊兵器の開発や配備を制限したり、地域における軍備のあり方について、周辺諸国も含めてよく話し合ったりすることが重要であるということになる。
もっと端的に言おう。日本は、中国やロシアに、日本の近くで核兵器を持っていてほしくないし、その核兵器の性能をどんどん向上させるなども、やめてほしい。ましてや、北朝鮮が新たに核兵器を開発するなど、言語道断だ。もちろん、直接それらの国に、あなたがたの核兵器はやめてください、と言いにいくのも手だ。でも、それぞれの国も、自分たちの安全保障の都合がある。日本だけがそう主張する程度で、はいそうですか、それでは核兵器を無くしましょう、とは行かない。
しかし、そうした国々も、核軍縮を国際的な規範として求める、といわれれば、従うことを考えざるを得ない。良い例が、核実験禁止である。核実験禁止の国際条約が1996年に出来た。出来ただけで、まだ発効しないが、とにかく出来ている。それ以来、中国(条約は未批准)もロシア(批准済)も、核実験を行っていない。だから、核実験を重ねることによる核兵器の性能向上が、図れていないはずである。北朝鮮(未署名)は、それにもかかわらず核実験を行った。国際社会から激しい非難が来たのは、核実験禁止がすでに国際規範として定着していたからである。
それはもちろん貴方は、中国やロシアや北朝鮮にむかって鉄砲を撃っているつもりでしょうけど、それは同時に米国にも、核兵器を止めろ、核兵器を開発するな、と言っていることになるわけでしょう。それは、やはり良くないのではないですか。そういう反論が来る。
ところが何と私は、米国こそがそのうちに、核軍縮、いやそれどころか核廃絶の旗頭になる、と思っているのである。その理由は、ちょっと紙面がつきたので、明日。
(続く)
正式には、「核兵器の全面的廃絶に向けた新たな決意」決議というこの決議案は、核兵器のない平和で安全な世界を実現する、ということを目標に掲げ、すべての国が核兵器の全面的廃絶に向けて、具体的な行動を取ることを呼びかけている。1994年から毎年、日本が起案して提案し、世界各国に精力的に働きかけて、採択に持ち込んでいる。私は、2001年から2003年まで、本省で軍縮課長を務めていた。だから、その期間、この「核廃絶決議案」は私にとっての大きな仕事であった。
そして、今年の採択結果を見て、私は大変感慨が深い。米国が、反対(昨年)から賛成にまわったからだ。私が軍縮課長になって、2001年にこの「核廃絶決議案」をひきついで提案したら、なんと米国が、いきなり賛成(2000年)から棄権をとおりこして反対にまわった。それ以来、米国はずっと、日本の提案に対して反対を投じてきたのである。それが、8年ぶりに賛成に戻った。8年前に、民主党のクリントン政権から共和党のブッシュ政権に変わったので、反対になった。このたび、民主党のオバマ政権に政権交代したので、賛成に方向転換したというわけである。
核軍縮や、さらに核廃絶は、被爆国として、国民の願いである。憲法の謳う平和主義の理念からも、当然の訴えである。この「核廃絶決議案」を採択に持ち込むという外交活動は、そうした国民の気持ちを、国連の舞台であらわしたものである。
そういう説明をすると、いわゆる安全保障専門家を任じる人々からは、冷淡な目で見られる。
「自国の安全保障を、米国の核の傘に頼らざるをえない日本が、核兵器の役割を否定するとは、安全保障の基本を分かっていない。」
「米国に楯をついて、米国の核兵器の削減を要求するというのは、日米間の信頼関係を傷つけかねない危険な行為だ。」
だから、核軍縮や核廃絶というのは、国民感情に安直に流された主張なのだ、という。外務省は、国際軍事情勢の冷徹な現実を前に、「国民の願い」とかではなく、国の安全保障をいかに確保するかを基本に考えて、外交政策を進めるべきなのだ。
そういう議論をする、安全保障専門家たちに対して、軍縮課長の私はこう反論してきた。
「核軍縮こそ、安全保障の手段である。」
つまり、こういうことである。
日本は、中国とロシアという、広大な領土と核兵器を含む大規模な軍備を備えた大国を二つ、隣国に抱えている。さらに、朝鮮半島、台湾海峡という不安定な要素を抱えた地域が、近隣に存在している。北朝鮮は、ミサイル保有だけでなく核実験まで行った。まだまだ緊張関係や不透明・不確実な要素が多く存在しているという地域、というのが、日本のおかれた安全保障環境なのである。
さて、日本が平和と安全を確保するためには、日本を取り巻く地域での軍事的な情勢をできるだけ安定したものにする必要がある。万が一にも、各国が互いに無節操な軍備拡張競争に走るような、危険な情勢を呼んではならない。だから日本は、自国の防衛力整備、日米安保体制とともに、国際環境の安定を確保するための外交努力により、自国の平和と安全を図ろうとしてきた。軍縮は、そうした外交努力の有効な手段である、ということである。
ほんとうに安全保障について考えている専門家なら、「米国の核の傘によって安全保障が確保されるのだ」とだけ唱えて事足れりとするようなことはない。それに加えて、日本を取り巻く国際環境の軍事的な危険性を、どのようにすれば低減できるかを考えるのである。そうすると、核兵器をはじめとする大量破壊兵器の開発や配備を制限したり、地域における軍備のあり方について、周辺諸国も含めてよく話し合ったりすることが重要であるということになる。
もっと端的に言おう。日本は、中国やロシアに、日本の近くで核兵器を持っていてほしくないし、その核兵器の性能をどんどん向上させるなども、やめてほしい。ましてや、北朝鮮が新たに核兵器を開発するなど、言語道断だ。もちろん、直接それらの国に、あなたがたの核兵器はやめてください、と言いにいくのも手だ。でも、それぞれの国も、自分たちの安全保障の都合がある。日本だけがそう主張する程度で、はいそうですか、それでは核兵器を無くしましょう、とは行かない。
しかし、そうした国々も、核軍縮を国際的な規範として求める、といわれれば、従うことを考えざるを得ない。良い例が、核実験禁止である。核実験禁止の国際条約が1996年に出来た。出来ただけで、まだ発効しないが、とにかく出来ている。それ以来、中国(条約は未批准)もロシア(批准済)も、核実験を行っていない。だから、核実験を重ねることによる核兵器の性能向上が、図れていないはずである。北朝鮮(未署名)は、それにもかかわらず核実験を行った。国際社会から激しい非難が来たのは、核実験禁止がすでに国際規範として定着していたからである。
それはもちろん貴方は、中国やロシアや北朝鮮にむかって鉄砲を撃っているつもりでしょうけど、それは同時に米国にも、核兵器を止めろ、核兵器を開発するな、と言っていることになるわけでしょう。それは、やはり良くないのではないですか。そういう反論が来る。
ところが何と私は、米国こそがそのうちに、核軍縮、いやそれどころか核廃絶の旗頭になる、と思っているのである。その理由は、ちょっと紙面がつきたので、明日。
(続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます