goo blog サービス終了のお知らせ 

コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

職業訓練学校への協力(2)

2009-12-05 | Weblog

職業訓練省の会議室に、ドッソ大臣と二人で入ると、十数人の報道記者たちが待っていた。ドッソ大臣から、職業訓練学校がひどい状態に置かれていることと、修復への取り組みが必要だったところに、日本がこのたび20億フラン余りの資金供与に合意した、と述べる。4つの施設への工作機械などの機材供与、先生たちへの研修などを行い、これら職業訓練学校の整備を通じて、約1700人の学生たちが、きちんとした技術習得ができるようになる。事前に配られた説明書きに沿って、説明を進める。

私に対して、発言が促される。私は、ドッソ大臣の機動力に背中を押されて、ここまでに至った、日本として有意義な協力を行う機会を得たことを感謝したい、と挨拶したあと、こう話す。
「日本がどうして、職業訓練学校の修復に協力することにしたか、を説明しましょう。それはまず、それが若者たちを応援する協力だ、ということです。コートジボワールの人口の半分以上が、若者です。その若者たちには、やる気と受け入れる力がある。そういった若者たちが、手に職をつけ、人材として能力を高めれば、これからの社会の発展が大きく開けます。」

次いで私は、日本は技術立国の国である、という話をする。
「日本には、石油などのめぼしい資源は無いけれど、一人一人がよく働いて、研究開発を進めて、大きな経済発展を成し遂げました。それは、単に最先端技術だけの話ではなく、たとえば小さな町工場などで、皆が工夫に工夫を重ねて、少しでも良い物を作ろうと努力してきた結果なのです。」
職業訓練を通じて、コートジボワールにもそうした物作りの文化が広がることが期待される。

「そしてもちろん、この協力が、これまで不利な立場に立たされてきた、北部地域の人々に対する協力案件である、ということです。日本は、北部の人々にも頑張ってほしいと考えています。北部の若者たちが、職業訓練を経て、地元の経済にしっかりした働き場所を見つければ、社会は安定します。それは、紛争後の地域での、平和の構築につながり、そしてコートジボワールの国の一体性にも寄与するものであると考えています。」
日本が北部地域で行う協力なのだ、という点を、しっかり強調しておく。

さて、記者のほうから、質問が来る。これに続く協力計画が、日本としてさらにあるのか。日本には、単に資機材の供与だけでなく、技術の供与こそが期待されるが、どうか。私は答える。
「もちろん、更に支援を考えたいと思っていますけれど、何分にも大統領選挙が行われないでいるので、本格的な援助計画を再開できないでいるのです。以前には、技術研修の交流プログラムなども、活発に行われていたのですが、紛争のときに国際協力機構(JICA)の事務所もアビジャンを待避したので、現在は難しくなっています。だからこそ、大統領選挙の実施が待たれるわけです。」
この国で協力を求められたとき、断るならば簡単である。たいがい、大統領選挙が実施できていないから難しい、と言う。

大臣にお聞きしたい、と質問が出る。20億フランという資金であるが、きちんと職業訓練学校に回るのか。資金の使い方について、大丈夫であろうか。おっと、質問は遠回しながら、職業訓練省のなかでお金が「蒸発」するのではないか、と聞いている。ドッソ大臣は、苦笑いをしながら答える。資金は財務省が管理して、きちんと手続きに従って支弁されるから、心配ない。

そうしたら、記者がさらに食い下がる。資金の支出先の内訳が明らかに出来るか。ドッソ大臣は、手元に資料を取り寄せて、読み上げ始めた。
「学校施設の修復費用、3億7千万フラン。
工作機械の購入費用、9億8千万フラン。
移動式訓練施設整備費用、7千5百万フラン。
教員養成の研修費用、6千5百万フラン。
・・・・」
お金の話になると、この国の人たちはたいへん真剣になる。それほど人々は、公金が不正流用されることにうんざりしているのだ。

質問も尽きたところで、私が手を挙げて話す。
「皆さんは、北部の職業訓練学校にある工作機械が、動いていなかったから、日本は支援を決めたと思っているでしょう。違うのです。工作機械が動いていたから、支援を決めたのです。」
記者たちは、どういう意味だろうと、訝しげな目を向ける。

「北部の職業訓練学校の、実習施設にある工作機械は、ほとんど1970年代に調達されたものでした。そんな古い、寿命の来た機械、30年以上経って、動いている方が不思議だ。実際、どこでも皆、壊れて錆び付いていました。ところが、マンコノの職業訓練学校に行って驚いたのです。その同じ1970年代の機械が、先生や生徒たちのたゆみない手入れのおかげで、なんと現役で動いていた。それを見て、この人たちに機械を渡せば、末永く大切に使ってもらえる。私はそのように確信したのです。」

拍手があって、記者会見が終わった。記者の人たちが、原稿を書きやすいように、論点を挙げて明解に話したつもりである。「ちょっといい話」も加えておいた。私は、ちゃんと記事になればいいがと思いつつ、記者会見場を出た。

 翌日の新聞に、ちゃんと載った。(画像クリックで拡大)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。