コートジボワールの北部や西部の地域で、職業訓練学校が荒れ果てている、という。5月に、職業訓練省のドッソ大臣の招待で、これらの職業訓練学校を視察して回った。この視察旅行に参加したのは、私の他に、スペイン、ノルウェー、EUの各大使、それから国連、世界銀行、国連工業開発機関(UNIDO)の代表であった。
視察のあと、参加した面々で集まって、アビジャンで調整会議を開いた。これらの職業訓練学校の修復に協力することは、地方の若者を助け、経済の活力を強化することになる。また、これらの地域における、軍民転換を促進することにつながるので、平和構築の意義もある。そうした見方で皆が一致した。各国で出来ることを分担して、これら職業訓練学校の修復に取り組もう、ということになった。
職業訓練学校の修復といっても、建物から建て直す話ではない。校舎はしっかりと建っているし、何より、それぞれの職業訓練学校で、何百人という学生が、現に熱心に授業を受けていた。問題は、実技訓練に必要な工作機械などの資機材が、故障したり損傷を受けたりして、全く使い物にならなくなっていることであった。
スペインとEUは、西部地域のマンやトゥバで、工作機械を提供することにして、早速事業を開始した。ノルウェーは、フェルケセドゥグの職業訓練学校修復と、教員たちの研修に協力することにした。そして日本は、北部地域の職業訓練学校を選んで、工作機械を新規導入するなど、能力強化を図ることにした。視察結果を踏まえて、マンコノの職業訓練学校、カティオラの職業訓練学校と陶芸学校の3校と、タフィレの移動式職業訓練施設の、合計4施設を対象とする計画を立てた。事業規模は、20億フラン(約4億円)。本省の承認を得て計画を策定し、約半年かけて、ようやく日本の協力計画が整った。
とこう書くと、素直で分りやすい。役所に提出する報告書としては上出来である。ところが、実際の流れは、ちょっと違う。
まず、私は着任以来、北部地域での経済協力案件を探していた。なぜなら、南部や中部地域では、国の分裂時代にも政府軍側にあったし、またアビジャンにも比較的近くて、協力案件が作りやすかった。実際のところ、学校建設や病院への協力などの計画が、少しずつ進みつつあった。しかし、反乱軍側にあった北部地域での案件発掘は難しかった。遠い場所だし、どういう必要性があるのかも見当がつかない。
それでも、北部地域に何かいい案件はないかと探していた。なぜなら、日本の経済協力は、南北を隔てなく再開され、国家統一に寄与するものであるべきだから。コートジボワール国民に対して、そういう立場が示せるようにしたいと考えていた。折から、ドッソ職業訓練相が、北部の職業訓練学校の修復を相談してきた。これは、私の発想にぴったりの案件だ、と感じた。
それでまず、私は大臣に、日本大使は見たものしか信じない、だから現場に連れて行ってくれ、と頼んだ。出来れば日本だけでなく、関心のある他の諸国の大使も一緒に。日本だけ単独でこの事業に乗り出すことは、何となく気が引けた。以前に反乱軍が支配下においていた地域である。他の欧州諸国も、北部には余り乗り出していなかった。だから、日本だけでなく数カ国で一緒に、と考えたのである。
実を言うと、日本以外の各国は、すでに職業訓練分野での協力に、関心と実績があった。スペインは、すでに10年前に、いくつかの職業訓練学校に機材供与をはじめており、それが紛争で中断していた。EUも、職業訓練には関心が高く、過去にもマンの職業訓練学校に機材供与を行っている。次の年度では、新規予算が付けられるとしていた。だから、各国で分担する形で進める「総合計画」の青写真が、当初からあったのである。
こういう複数国による協力の体裁というのが、予想以上に効力を発揮する。まず視察旅行は、世銀などの国際機関も加えて、大がかりなものになり、連日新聞やテレビに取り上げられた。そして、日本だけで進めているのではない、という構えがあれば、東京の本省も安心する。日本の独りよがりや、思い込みによる話でないことが、よりはっきりするからだ。それに、日本という国は、皆で力を合わせて、という建前が好きだ。皆が必要性を感じて取り組む中で、日本も「応分の負担」をするのだ、という説明が出来る。
また、幸いなことに、コートジボワールでは、職業訓練の分野で、UNIDOがすでに職業訓練省と協力を進めており、その過程でいろいろな問題点や提案を明らかにしていた。このUNIDOの存在は、私たちにもたいへん助けになった。機材調達が、ほんとうに職業訓練の能力を高めるようにするには、どう工夫すべきか。地元経済との関係で、どういう部門での職業訓練をおこなうべきなのか。そうした論点に、専門的な見地から助言をくれ、間違いに陥る危険を示してくれた。
そういう経緯で、職業訓練省の担当部局と調整を重ね、このたびようやく協力計画をまとめあげ、外務本省の承認を取り付けたというわけである。私は、これを華々しく発表することにこだわった。ドッソ大臣も、自分の担当での重要な成果として、大いに宣伝したいという意向だった。そこで、二人で並んで、記者会見を行うことにした。
(続く)
視察のあと、参加した面々で集まって、アビジャンで調整会議を開いた。これらの職業訓練学校の修復に協力することは、地方の若者を助け、経済の活力を強化することになる。また、これらの地域における、軍民転換を促進することにつながるので、平和構築の意義もある。そうした見方で皆が一致した。各国で出来ることを分担して、これら職業訓練学校の修復に取り組もう、ということになった。
職業訓練学校の修復といっても、建物から建て直す話ではない。校舎はしっかりと建っているし、何より、それぞれの職業訓練学校で、何百人という学生が、現に熱心に授業を受けていた。問題は、実技訓練に必要な工作機械などの資機材が、故障したり損傷を受けたりして、全く使い物にならなくなっていることであった。
スペインとEUは、西部地域のマンやトゥバで、工作機械を提供することにして、早速事業を開始した。ノルウェーは、フェルケセドゥグの職業訓練学校修復と、教員たちの研修に協力することにした。そして日本は、北部地域の職業訓練学校を選んで、工作機械を新規導入するなど、能力強化を図ることにした。視察結果を踏まえて、マンコノの職業訓練学校、カティオラの職業訓練学校と陶芸学校の3校と、タフィレの移動式職業訓練施設の、合計4施設を対象とする計画を立てた。事業規模は、20億フラン(約4億円)。本省の承認を得て計画を策定し、約半年かけて、ようやく日本の協力計画が整った。
とこう書くと、素直で分りやすい。役所に提出する報告書としては上出来である。ところが、実際の流れは、ちょっと違う。
まず、私は着任以来、北部地域での経済協力案件を探していた。なぜなら、南部や中部地域では、国の分裂時代にも政府軍側にあったし、またアビジャンにも比較的近くて、協力案件が作りやすかった。実際のところ、学校建設や病院への協力などの計画が、少しずつ進みつつあった。しかし、反乱軍側にあった北部地域での案件発掘は難しかった。遠い場所だし、どういう必要性があるのかも見当がつかない。
それでも、北部地域に何かいい案件はないかと探していた。なぜなら、日本の経済協力は、南北を隔てなく再開され、国家統一に寄与するものであるべきだから。コートジボワール国民に対して、そういう立場が示せるようにしたいと考えていた。折から、ドッソ職業訓練相が、北部の職業訓練学校の修復を相談してきた。これは、私の発想にぴったりの案件だ、と感じた。
それでまず、私は大臣に、日本大使は見たものしか信じない、だから現場に連れて行ってくれ、と頼んだ。出来れば日本だけでなく、関心のある他の諸国の大使も一緒に。日本だけ単独でこの事業に乗り出すことは、何となく気が引けた。以前に反乱軍が支配下においていた地域である。他の欧州諸国も、北部には余り乗り出していなかった。だから、日本だけでなく数カ国で一緒に、と考えたのである。
実を言うと、日本以外の各国は、すでに職業訓練分野での協力に、関心と実績があった。スペインは、すでに10年前に、いくつかの職業訓練学校に機材供与をはじめており、それが紛争で中断していた。EUも、職業訓練には関心が高く、過去にもマンの職業訓練学校に機材供与を行っている。次の年度では、新規予算が付けられるとしていた。だから、各国で分担する形で進める「総合計画」の青写真が、当初からあったのである。
こういう複数国による協力の体裁というのが、予想以上に効力を発揮する。まず視察旅行は、世銀などの国際機関も加えて、大がかりなものになり、連日新聞やテレビに取り上げられた。そして、日本だけで進めているのではない、という構えがあれば、東京の本省も安心する。日本の独りよがりや、思い込みによる話でないことが、よりはっきりするからだ。それに、日本という国は、皆で力を合わせて、という建前が好きだ。皆が必要性を感じて取り組む中で、日本も「応分の負担」をするのだ、という説明が出来る。
また、幸いなことに、コートジボワールでは、職業訓練の分野で、UNIDOがすでに職業訓練省と協力を進めており、その過程でいろいろな問題点や提案を明らかにしていた。このUNIDOの存在は、私たちにもたいへん助けになった。機材調達が、ほんとうに職業訓練の能力を高めるようにするには、どう工夫すべきか。地元経済との関係で、どういう部門での職業訓練をおこなうべきなのか。そうした論点に、専門的な見地から助言をくれ、間違いに陥る危険を示してくれた。
そういう経緯で、職業訓練省の担当部局と調整を重ね、このたびようやく協力計画をまとめあげ、外務本省の承認を取り付けたというわけである。私は、これを華々しく発表することにこだわった。ドッソ大臣も、自分の担当での重要な成果として、大いに宣伝したいという意向だった。そこで、二人で並んで、記者会見を行うことにした。
(続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます